04.呪われた霊峰

 水晶宮を頂く霊峰は、多くの清らかな水に恵まれている為、水の郷とも呼ばれていた。

 さらさらと流れる小川があり、滝があり、行きつく先には大きな湖も存在し、麓ではその川と湖で獲れる魚を名物にして売っている。

 高級魚から干物用まで、さまざまな種類があるようだ。


「ありゃぁ、今日の分はダメだな」


 湖のほうから戻ってきた漁師が、そう言った。


「……ああ、こりゃダメだ。喰ったら死んじまう」


 籠をのぞき込みながら、寄ってきた男もそう言う。

 そんな言葉に釣られるようにして影を見せたのは、剣士の青年だ。


「――すまない、見せてもらってもいいだろうか」

「いいけど、今日のは売れない、よ……」


 突然背後に湧いて出た青年を振り向くと、漁師たちは言葉を失った。

 青年の美顔に相当の驚きを感じたようだ。


「この状態は?」

「あ、あぁ……月に一度くらいかねぇ。川も湖も毒気が出ちまう時があってねぇ」

「なんでも、てっぺんの姫さんの力が弱っちまってる時らしいんだがね」


 男たちの話を聞きつつ、青年は籠の中の魚をじっくりと観察していた。

 魚は、どれも血を浴びたような見た目であった。とても美味そうだとは言えない姿だ。


 ――まるで呪われているかのような、色合いだ。


「巫覡の力では浄化しきれないという事か」

「まぁ、わしらは上の事はよくわかりませんがね」

「このような状況の時は、あなたがたはどうしている?」

「とりあえずは漁に出るけどね。ダメな時は水晶宮から補償が出るから、あんまり実害は無いんだよ」


 男たちは言葉通りで、困った様子では無かった。

 ただ、月に一度でも穢れが生じるのは風評被害にも繋がる。


「あんた、外の人だろう。このことは内密にお願いするよ」

「それは保障する。仕事の途中ですまなかったな」


 青年はそれだけを言い置いて、彼らから離れていった。

 清らかな水に混じる、僅かな陰気。

 巫覡の力で誤魔化しているだけの、これは『呪い』だ。


「……霊亀レイキよ。おまえはまだ、人を恨むのか」


 漁場を離れ、大きな通りを進みながら、青年は小さくそう呟いた。

 その表情は、愁いに満ちている。

 ――それが、周囲には幾分か色を含んで視界に留まった。


「……ねぇ、ちょっと、今の人見た?」

「すごい美男子……この辺の人じゃないわね」


 物売りをしている女性たちが、目の前を通り過ぎて行った青年の姿を目で追いながら、声を潜めてそう言った。

 先ほどもそうであったが、通りを歩くだけで注目の的になってしまっている。

 当然、当人もその視線に気づいてはいるのだが、どうにもならない。


(目立たぬようにと髪をまとめて来たが……あまり効果は無いようだ……)


 とりあえずはと、こちらに到着するまでは割と放置気味であった長い髪を、耳後ろほどの位置で括った。青い髪紐がゆらりと揺れると、括られた髪も同じようにして揺れる。


「はぁ……」

「あぁ……あの御髪のひと房になりたいわ…」


 女性たちのため息と呟きが聞こえてくる。

 どのようにしても結局は人目を引いてしまう青年は、しばらくその通りを歩続けた後、小さな路地へと足を向けた。

 なるべく人目を避けて通りを進むと、前方から笠を被った男が姿を見せた。長い黒髪を大雑把に後ろで三つ編みにした男だ。

 その男は静かに青年に歩み寄り、口元に笑みを浮かべる。


「――どうも」

「あぁ……」


 青年はその不審な男に警戒したりもせず、目配せで壁寄りに歩みを寄せて、静かに口を開いた。


「そちらの情報は」

「予想通りっちゃその通りなんですが、まぁちょいとややこしいです」

「と、言うと?」

「……旦那も少しは聞いているんじゃないですか? 最近、ここらの権力者たちの話」


 男はそう言った。

 青年もそれを受けて、うむ、と頷く。


「また殺しが?」

「いや、死んではいないんですよ。ただ、斬られた奴が脅えて噂を掻きたてちまった……っていう感じですかね」

「あぁ、なるほど……」


 青年は少々困ったようにして顎付近に手を当てた。

 探りを入れれば入れるほど、様々な方面から問題が出てくる。

 このままでは、手順通りでも巫覡に会うまでに時間がかかりそうだ。

 そんな青年の姿を見て、ニィ、と笑ったのは傘の男だった。


「――近々、チャン家が護衛を雇うそうですよ」


「…………」


「敵対しているワン家に、凄腕の剣客がいるんだとかで……」


 やけに思わせぶりな話の振り方する。

 この男がそのように言ってくる時は、すでにある程度の手筈が整っているという証でもあった。


「斬ってはいないだろうな」

「もちろん。俺たちはヒトには手出しできません。ただ、少々の目くらましを使ってるだけです」


 青年はどうやら、その剣客に思い当たる節があるようだ。

 そして男も、口元に笑みを浮かべつつ、さらりとそんな事を言う。


「んで、旦那はもちろん張家の護衛になってくださいよ」

「お前は?」

「俺は面倒なの嫌なんで、その間に別の手引きをしておきます。お偉い方にへつらうのとか、向いてないんですよねぇ」

「……よく言う」


 青年は呆れていた。

 自分よりも王家の剣客なる者よりも、一番情報集めに長けていて言葉上手で相手を丸め込める存在は、目の前の男しかいない。

 真面目に取り組めばどんなことでもこなせるはずの男は、面倒くさがりな性格が災いして、いつもこんな調子だ。


「とまぁ、俺のほうはこんな感じです。旦那はとにかく早めに姫さんに会ったほうがいいです。……見てきたんでしょ? 魚」

「そうだな」

「……どんだけ姫さんの力が凄いのか、改めて実感しましたよ。だからこそ、弱くなる時期ってのが気になります」


 どんなに美しく清らかさを装っていても、この霊峰自体が呪われている事は確かだ。

 『大地』が応えない限り、ずっとこの連鎖は続いていく。

 巫覡の命を削り、様々なものを削ぎ落し成り立っているに過ぎない。


「――大師兄」


 傘の男が、青年を呼ぶ言葉を変えてきた。

 青年はそれで俯きかけていた己の顔を上げて、彼を見る。


沈梓昊シェン・ズーハオ。……そう呼ばないでくれ」

「しょうがないでしょ。俺とあなたの立場なんだから」

「……だったら、名で」


 男は困ったように肩を竦めた。

 だが青年に逆らう気も起らない。元々、彼らにはしっかりとした立場があり、互いにそれを尊重している。


「――わかりましたよ、尹馨イン・ シン


 男にそう呼ばれた青年は、青竹色の瞳を僅かに揺らがせてこくりと頷いて見せた。

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