03.剣技顕現

 亥の正刻午後二十二時

 青年は一人、暗闇の中にいた。


「…………」


 静かな夜だ。

 ――だが、静かすぎる夜でもあった。

 高級宿の周囲には露店があったり、『花』を売る店などもあるために普通は夜半まで賑わうものだ。

 つまりは皆が寝静まるには、早すぎるのだ。


ワン家の末端が、こちらの地域で幅を利かせておりましてね。それに乗じて箔をつけたい者たちが、最近無茶をするようになったんですよ』


 青年が世話になった酒場の主人が、少々困り顔でそんなことを言っていた。

 少なからずこちらの店にも害が出ているのだろうと察した彼は、ならず者を一掃しようと約束をしたのだ。


 ――強き者よ集え。


 水晶宮の近辺では、そんな御触れが出ているらしい。

 その真意は定かではないが、恐らくは巫覡の姫が関わることなのだろう。


「……真っ当な道で義を示せばよいものを」


 盗みや襲撃など、愚かなものの選ぶ道だ。

 酒蔵を狙うのはより高値で販売するためのものなのだろうが、それにしても浅はかすぎる。


 青年は重い溜息を吐きながら、剣を佩いた腰に手を当てて、柄を握った。


 件の酒蔵の奥は、山道へと繋がっている。

 その闇からにじりよるかのような気配が生じた。

 ――だが、彼らは『ヒト』でしかない。


「止まれ」


 青年の剣の切っ先が、暗闇へと向いた。

 それだけで気配は若干の動揺を見せた。空気の動きから、五、六人ほどかと読む。

 それとは別に動いている影も、すでに察知している。


「……なんだぁ、お前。新しい警備のヤツか? だったら残念だったなぁ。俺たちの目標はもうこの酒蔵にはねぇよ。今日はボロ酒場を潰せって話で――」

「警備の者を殺し、酒蔵の職人は行方知れず、女人はお前たちの慰み者になったらしいな」

「へへ……戦利品ってヤツよ。……見たところ一人だが……俺らをツブして手柄でも立てようってのか。俺たちを『赤狼』だと知ってもかぁ?」


 ――さて、そんな名前の集団をどこかで聞いてきただろうか。


 青年はそう考えつつ、黙ったままでいた。

 雄弁に汚い言葉を発する男が、腕を上げる。すると曲刀を手にした男たちがぞろぞろと出てきた。青年を取り囲み、下卑た表情をそれぞれに浮かべている。


「…………」


 チラリと見やったのみであったが、熊のような大男もいた。

 静観な者たちばかりではあったが、それでもやはり荒くれものの枠を出ない。


「……どうした、俺を斬り捨てて目的の酒場に行かないのか?」

「随分と余裕じゃねぇか、ひょろひょろした兄ちゃん……だが、酒場のほうはすでに別の奴らが制圧してるぜ」

「そうか」


 ――うわぁ!! と遠くから声が上がった。

 悲鳴ではなく、男たちの低い雄たけびのような音だった。


「なんだ、どうした」

大哥アニキ! 老兄たちがやられた!!」

「なにぃ、……っ、おい、あいつは!?」


 突然のことに動揺した男が、一瞬だけ青年から視線を外した。

 その瞬間に、彼は間合いを一気に詰めて男の目の前へと迫った。


「……赤大哥・・・。もう少し考えが必要だったな」

「ち、てめぇ……ッ!」


 ――その後の言葉は、発せられることはなかった。

 『赤狼』の頭らしき男は、その場で青年に気絶させられたからだ。


「ちくしょう、こいつ……てめぇら、かかれぇ!!」


 荒くれ者たちが青年に飛び掛かってくる。

 だが彼は、僅かほどの焦りも見せずに、手にしていた剣を巧みに使って一人ひとりを全員・・、気絶させた。

 殺さずにいたのは、青年が人間・・を殺してはならない掟があるからだ。

 最初に刃を見せたのは脅しで、後はそれを鞘に納めて突きのみで対応した。

 慢心さ故の隙が多く、青年には彼らの動きがゆっくりとしたものにしか映らず、片付けるには容易かった。


「……さて」

 

 静かに一呼吸をしてから、青年は後ろを振り返った。その向こうには、ざわざわと喧騒が起こっている。

 先ほどの叫び声の元――『赤狼』とやらの別動隊が向かった先であった。

 倒れた男が言っていた『ボロ酒場』とは、数刻前に青年がいたあの場のことだ。

 それを踏まえてあちらには術を仕掛けて置いた。ならず者が一歩でも踏み込めば、地雷のようにして体が吹き飛ばされる。

 多少の怪我は負うだろうが、死には至らない。


「ああ、旦那!」

「……大事ないか」

「ええ、もちろんです。旦那が授けてくださったあのお札のおかげで、店は救われました。ありがとうございます!」

「そうか、良かった。こちらの店の酒があまりにも美味かったから、見過ごせなかったんだ」


 店の主人が青年の姿を見て、駆け寄ってきた。

 彼は青年の言いつけ通り、店を完全に締め切って内側から戸口に札を張り付けておいたようだ。


「せめてものお礼です。うちでお泊りになっていってください。お夜食もご用意しますので」

「……そうか。では一晩世話になる」


(長居をするつもりはなかったが……ここはご厚意に甘えておこう)


 青年は主人の言葉に素直に頷き、歩を進めた。

 この辺りの荒くれ者たちは、明朝には役人へと引き渡される。最終的にはワン家が責任を負うだろうが、ここは現地のものに任せたほうがいいと判断する。


「ここで箔をつけたところで、何にもならないだろうにな」


 巫覡の姫の存在は、微細な形で影響を示している。

 先ほどの荒くれどもは姫には興味を抱かないだろうが、財と名声が欲しかったのかもしれない。


「……、っ」


 青年が僅かに表情を歪めた。

 先を案内する主人は気づいていないようであったが、それは彼の秘められた『呪いの痛み』だ。


 一度、深呼吸をして、平静を保つ。

 そうすることで痛みは忘れ、時間を過ごすことができる。


 青年は己の体に言い聞かせるようにして歩を進め、用意された宿の部屋へと身を滑らせるのだった。

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