愛と対価⑵



 自分でもびっくりするくらい低い声が出た。

 こんな話、國久さんからは聞いていない。

 いや……國久さんもする必要が無いと思ったのかもしれない。だって、お金の話だし、そういうのは大人がすることでしょう?私が聞いたって、多分わからない。


 ちゃんと成長して、大人になってからきちんと話してくれればそれでいい。

 國久さんの口から、こういうことが有ったって話してくれれば。だから、一度は、その疑惑を飲み込んで、自分の奥にしまったの。


 でも、いつまでもいつまでも、國久さんから話はない。会話の途中でそれとなく聞いてみても、何もない。大人になった、上手に能力が使えるようになったと話してみても、何もない。……いずれは、魔導書をみんなに使って欲しいと話しても、何もなかった。


 そうして、"國久さんから何もない"ことを繰り返していると、この年の私の誕生日に領収証が1枚増えていた。



 それで、我慢ができなくなって。

 國久さんのところに、話に行ったわ。


 國久さんは相変わらず忙しそうにしていた。

 すっかり慣れてしまったはずの煙たさだったけれど、その時から、とても息苦しく感じるようになって、キライになった。



「クロエか。何か用か」


「……ええ、國久さん。少しお話ししたいのだけれど、手を止めてくれるかしら」


「……生憎、お前のお喋りに付き合っている暇もないのだがな。まあ、話なら耳で聞いているから、そのまま話してくれ」


「……そう」



 この人、本当に感覚が鋭い。人の悪意というものを感じやすいというのかしら。だから、私が能力『暗行の燐』を発動する前に、すぐに気が付いた。「やめろ」と一言。この一言は、「次やったら"返す"ぞ」という一言。


 それでも、こちらを見て話してほしくて、強く強く、惹きつけた。

 すると、一瞬にして世界が輪郭線だけになって、赤い血のような花が咲き乱れた。


 私は"対象に取られて"、能力が使えなくなる。

 私に惹かれていた精霊達も、わあっと離れてしまった。魚の形をした一匹だけ──"星の髪飾りの残滓"だけは残ってくれたけれど、それ以外は、ずいぶん薄情だと思った。



「はあ……」



 國久さんはため息をついた。

 輪郭線だけになった世界では報告書も、手紙も作り難いだろうから。

 だから、今度こそ──私の目を見て話してくれるのだと思った。


 けれど國久さんは視線を上に逸らして、私から離れていってしまった精霊達が騒ぐ様子を見ている。

 それは当然。だって私の『暗行の燐』に惹かれていないあの子達は、國久さんが嫌いな魔物と、殆ど同じ存在だから。「なんだ、嫌がらせか」なんて、呑気なことまで言って、私のことを見てくれなかった。



「クロエ、用件は?……あまり好まれた行為では無いが、どういうつもりだ」



 精霊達を見ながら、國久さんは言う。

 私は、すぐに答えられなかった。



「どういうつもり……ね。聞きたいことがあっただけなの。あっただけ、です」


「今?」



 あからさまに、嫌そうな声。

 きっと、本当に忙しいのだと思った。



「ちょっとした相談です。部下の話を聞くのも社長の務めではありませんか?」



 いつもよりも他人らしく、丁寧に話してみせると、國久さんは驚いたのかこちらを向いた。

 当然かもね、これまでずっと、"カジュアル"に接していたのだもの。社長だなんて、理解はしていたけどどうしてもそんなふうに思えなくて、……まるで、家族のように思っていた人だから。


 それからまもなくして、國久さんは赤い花の結界を解除した。


 景色に色が戻ると、深いため息をついて持っていたペンを置き私を睨みつけた──正確には、この人に私を睨みつけているという自覚はないのだろうけど、元々目つきが鋭いから仕方ないこと。この目つきが怖いからといって逃げ出す人は何人か居た。

 ネルロさんも"苦手"だって言っていたかしら。



「で、話したいこととは?」



 机の上に肘をついて、一服し、煙を吐く。

 そんな國久さんの前に立って、机の上にある書類やらペンやらを全部払い退け、資料室にあった私の資料のファイルをドンと、國久さんの目の前においた。乱暴だと思ったけれど、このくらいしないと、この人の雰囲気に呑まれそうな気がしたから。


 案の定、國久さんは顔を顰めた。

 重要な書類を目のつくところ──社長室の壁にびっちりと貼り付けて、正確に管理している人だもの。机の上のものをめちゃめちゃにされたら、怒るに決まってる。──もちろん、それは國久さんに限らず、殆どの人に当てはまることだと思うけれどね。


 でも、私は構わずに資料を開いた。

 そして、たくさんの領収書を見せながら問う。



「これは、このお金は、なんですか?」


「何、とは?見ての通りお前のご両親からいただいたものだが?」


「……どうして?」


「クロエ、何を聞きたいのかがよくわからないのだが?何、とは?どうして、とは?言いたいことがあるのならはっきりと言ったらどうだ。今更私に対して遠慮など……駄賃でも欲しいのか」


「……そう、そうね。わかった。言いたいことを言いますね。この『アザレア』という組織が、私に対して与えた価値を教えてください」



 自分の声が震えていた。

 こんなに勇気を振り絞って聞いたのに國久さんは、何も答えない。後ろめたいのか、それとも"常識から外れすぎて"本当にわからないのか……よくわからない。


「……」


「最初に960万──思えばあの時、初めて私が貴方と契約した時、アタッシュケースを持っていた。そのお金は、私の両親が貴方のことを信じて出資したお金ではないのですか?"これで娘をよろしく"と言われたのではないですか?」


「──ご大層な組織、偉大な組織に預けるのですものね。そのくらいの出資をしないと、失礼だと思って。ええ、ええ……、この『アザレア』にそれ程度の価値があれば、全くおかしな事じゃない。それに、養育費のこともある。それは、わかる」


「──でも、貴方が私にしたことはなんですか?勉強させて、能力を制御できないうちは"無意識"を利用して人を呼び寄せた。私の能力の研究をしてくれたことはあった?國久さんが何か教えてくれることはあった?」


「──両親が『アザレア』にこれまで合計2000万を出資する価値が、一体、どこにあったというの?」


「──無かったでしょう?2000万の価値なんか。万年人員不足で、どんどん人が死んで、生き残るのは國久さんだけ?成果なんか、どこにあるというの?両親へ研究報告はしているの?私の手紙はちゃんと両親へ届いているの?」


「手紙は届けている。ご両親からの手紙もお前に届けているだろう」


「は……、やっと口を開いたと思ったらそれだけですか?状況の説明はしているの?──いえ、していないはずだわ。そうじゃなきゃ、パパやママは、……こんな場所で頑張れなんて言わないものッ!!」


「──状況を説明せずに、ただお金を受け取るままにしている。それは、両親に対する冒涜だわ。まだ申し訳ないと思う気持ちがあるのなら、今すぐ」


「──今すぐ、その大層なお椅子から立ち上がって両親の元まで行って。それでお金を全部返して、『アザレア』の現況を、どれだけ手詰まりなのかを、誠心誠意説明しなさい。いい加減──私たちを馬鹿にしないでッ!!」



 ありったけの思いを叫んだつもりだった。

 流石に國久さんもこれなら、考えを改めてくれるだろうと思って。なのに。


 ……ええ、嘘でしょう?

 どうしてこの人は顔色ひとつ変えずに、話を聞いていられるの?私、何か勘違いをしているの?間違ったこと言ってるの?


 ああ──ネルロさん含め様々な人が、國久さんのことを"苦手"な理由、わかったような気がする。

 多分この人の放つ雰囲気がダメなんだ。会話ができないとかそういう伝わらなさではなくて、どこか──それこそ魔物以上に"得体の知れない感じ"がする。

 そして國久さんは、「そうか」とつぶやいてから、私から視線を逸らして立ち上がり、私が机から払い除けた書類やら筆記具やらを拾い始めた。

 そうして、落ちた書類に再び目を通しながら言う。



「誤解を招いているかも知れないから訂正をするが、まず私はお前の御両親に金を要求したことはない」


「──この金は、全て精霊からの愛情を受けたお前にたいする、御両親の愛情の証だと思っている。……それを全て返せというのなら、お前はとんでもなく親不孝者だろう」


「はあ?……そんなこと」



 そんなことない、とは言えなかった。

 幼い頃から能力のおかげで不自由はしなかった。……そう、能力のおかげ。両親からの愛情が無かっただなんて絶対に言わないけれど、普通の子、普通の家族と違っているのは確かだと思う。

 ──皮肉なことに、それは國久さんと銀を見ていたら実感することだった。

 いつもベビーキャリーに背負われて、肌身離さず、親の愛とか暖かさを感じたことがあっただろうか。


 私の目にいつも映っていたのは、精霊達だったのではないか──そして、そのことは、両親も感じていた。

 "手が掛からない良い子"ではなくて、"手が掛けられない子"なのではないか。2000万のお金は、両親の、愛情の証……。



「それに、そもそも──私は『アザレア』が完成された組織だとお前達に話したことはない」


「嗚呼、もしもそのことについて"誤解をさせてしまった"のなら、それは申し訳なかったな」



 2000万の愛情の証に気が付かされて、その後のことはもう、どうでもよかった。

 目と顔がすごく熱くなって、ポツポツと零れる。



「話は終わりか?なら、資料をきちんと下の場所に戻すように。それと、まだ2年後の話だが、18歳で養成学校の卒業が決まる。尤も教師人からお前の成績は非常に優秀と聞いているから、申し出があれば繰り上げもできる。『アザレア』での立ち位置もそれなりの場所を用意しているから、今のうちに考えておけ」


「……わかりました。失礼します」



 机の上に広げた資料を強引にまとめて、すぐに社長室を出た。資料室に戻って、たくさん泣いた。


 この時から、私は──精霊の力を借りて、その人や物に書いてあることを"読む"ようになった。

 無知でいるのも、分からず屋でいるのも、親不孝でいるのも嫌だったから。



 18歳の誕生日を迎え、100万の領収書が2枚増えたころ。

 私は『アザレア』の養成学校を首席で卒業した。

 と言っても、私が初めての入学者で、卒業者で、年長者だったのだけれど。


 そして同時に、銀とジルも学校を繰り上げで卒業した。二人とも13歳、まだ私よりずっと若かったけれど、『アザレア』の職員として働くようになった。魔物退治とかもするようになって、鬼ごっこをしていた頃がとても懐かく感じた。


 シャンドレット王は、しばらく顔を見ていない。

 たった一人の王様だし多忙でもあるだろうけど、病気がちで、あまり外に出られないと聞いた。



 それで、私は──

 親のお金のことで國久さんのことが嫌いになった。

 國久さんのことを読んだとき、それほど"寿命が長くないこと"を知って、とても嬉しかった。

 その寿命が、ちょうど塔の封印の節目の年であるということも相まって、報告書を読むのが楽しみになった。


 でも、結局お金のことは反論はできなかった。

 親の愛情にも応えようと思ったから、お金のことはそのままにした。それで、この遠くの地から両親の元まで、私の名前が届かせることを目標にした。


 その目標は──

 "私の名前"であって、『アザレア』ではない。


 だから、私は最後の最後で、國久さんに反抗した。

 養成学校の卒業生全員が全員、大嫌いな國久さんの元で働くことを強いられないように、先例を作った。

 ほとんどの生徒が卒業したら『アザレア』に入る、いわばエスカレーター方式だったのだけれど、それを壊してあげた。

 それがちょうど、封印計画の1年前のこと。私のために用意されていた"社長秘書"の椅子を倒した。


 それでも、國久さんは微動だにしなくて呆れた。

 ただ、私が作る"魔導書"の価値を見る目はあったようで、条件をつけられた。

『アザレア』を離れる選択をしても、ギルディアや『アザレア』の仲間のために、その能力を使ってほしいって言われて、素直に従うことにした。


 親元を離れた私を育ててくれた恩もある。

 銀やジルのこと、親友の"夜柚子ちゃん"のことも心配だった。

 國久さんが嫌いなだけでギルディアのことが嫌いなわけじゃなかった。

 何よりそこでつまらない意地を張ったりしたら、本当に……パパやママの恥になってしまいそうだったから。


 ──それが、主な理由。

 あとは、あわよくば國久さんが死んだという知らせを聞くため、あるいは見届けるためかしら。



 今、私は魔導書館を開く準備をしている途中。

 國久さんが死ぬまで、あと10日──ふふ、楽しみね。


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