始動⑵



「ということだから、國久さん。私、もうお手伝いしないわ?」


「……何故そういうことになるんだ?」



 リタとの交渉と近隣国での交渉、合計5日間の出張を済ませた國久は社長室に戻り、郵便受けに入っていた新しい手紙と、壁一面の書類を突き合わせながら、次の出張先を決めていた。

 そんなとき、クロエが唐突に言うものだから、鋭い目つきの顔を顰めて、クロエの方へ振り返った。


 クロエはというと、何故か誇らしげに國久を見上げている。



「ネルロさんが言ってたの。貰うものはちゃんと貰わなくちゃダメだって!」


「……嗚呼、ネルロさんが来たのか?先日まであんなに怒っていたのに。"堪らない"という気持ちはわからないでもないが」


「銀とこのお家の周りをお散歩してたらネルロさんに会ったのよ。それで、國久さんにお留守番任されてるって言ったら、なんだか怒っていたわ?子供を残して、國久さんはムセキニンだって!でも、私は言い返したの!お姉さんだから大丈夫よって!」


「そうか」


「でね、ネルロさん、王様のお仕事しながらも私たちの面倒見てくれたの。あ、おおっきなお家でね、王様とも遊んだの!」


「そう……は?誰と遊んだって?」


「王様の"シャンドレット"よ!私が1番お姉さんだから、面倒見てあげたの!」


「……はあ。よく許されたな。いやある意味ネルロさんの交渉力が優れていたということか」


「でもね、王様、お勉強の時間だって言ってずっとは遊べなかったのだけど、また遊ぼうって言ってたわ!」


「……」



 國久は長くため息をついた。

 それから書類の方へ向き直り、また整理を始める。

 その時、國久が書類を落とすとすかさずクロエが拾い上げ、國久に渡した。



「それだから、國久さんから貰うもんもらうまでは、お仕事しないの!」


「……言ってることとやってくれていることがチグハグだが、要は報酬が欲しいと言うわけか」


「そうした方がいいって、ネルロさん言ってた!」


「……まあ、当然か。で、いくらで働いてくれるんだ?」


「ふふ、國久さんったら、世の中ってお金じゃないのよ!お金は何に使ったらいいかわからないしから、もっと良いものがいい!」


「良いものって?」



 國久が問うと、くいと後ろに引かれた。

 どこかに服を引っ掛けたか、いや周りには服を引っ掛けるものは無いと思い直して、振り向いてみるとクロエが満面の笑みで國久の羽織の裾を引っ張っていた。


 自身の働きに対して受ける報酬として、クロエは「社長ごっこ」を要求した。

 というのはおそらく建前で、本音は國久が身につけている羽織をたいそう気に入ったからである。"國久が使わない"且つ"クロエが仕事をするとき"には、羽織を貸すという要求であった。


 國久は、そんな要求に拍子抜けした。

『アザレア』の今にはクロエの力が必要不可欠であったから、仕事を手伝わないと言われた時には、寒気がしていた。

 報酬が欲しいと言われた時もどんな物を求められるかを警戒していたし、そんな話をしたネルロを少し恨んだりもした。


 そんな不安を抱かせたクロエは、ニコニコとしている。なんだか笑われている──そのようなことは決して無いが──気がして、國久は羽織を脱ぎ、クロエの顔に被せた。



「ぅわーーい!」


「一張羅だ、汚したり破いたりしたら弁償だからな」


「大丈夫よ!大事にするわ!ありがとう國久さん!」



 そう言って、羽織に包まりながらルンルンと部屋を歩いているクロエに、「あげるわけでもないから」と念押しした。

 しかし案の定、クロエは聞いていないから仕方なく、國久は事務机の前に座ってリタから提案を受けた"『アザレア』養成学校の仮案"が書かれた書類を眺めた。

 書類には開校のために必要なものが書かれており、そのうち"制服"という項目に何重にも丸印が書かれていた。

 この丸印はリタがつけたもので、なんでも日本の学生の多くが制服を身につけているのを見て、ぜひ取り入れたいと思ったらしい。


 一方國久は、それにはまた金がかかると話して、結局、制服の有無については國久の判断に委ねられることとなった。


 改めて書類を見返しても、やはり制服の必要性はないと國久は考える。

 リタは自分が余分に資金援助すると言ったが、末妹リタの勝手な行動を王家がいつまでも許すとは考えきれず、その勝手な行動が『アザレア』への協力だとしたら、いつかはリタとの繋がりが途絶えることもありうる。その可能性は数年後か、数日後か、あるいは明日かもしれない。

 もしリタの援助で制服を作ったとして、その援助が途絶えれば、制服代を入校者に請求することとなる。ともすれば、入校者は制服を購入できる裕福層に限られる。

 國久もとい今の『アザレア』が求めるのは、まず"人数"である。能力の良し悪しとか、教養の有り無しとかは次の話。國久自身が手を回せるくらいの人数である間は、教養が無くとも信頼できる相手で、将来裏切りを行わない相手を選び取ることができる。



「嗚呼、リタ様には申し訳ないが……」



 "制服"という文字にばつ印をつけようとした時──



「國久さん、なに見てるの?」



 羽織を着て機嫌の良かったクロエが机の下から顔を出した。

 それから國久の腕の下からのそのそと、でも強引に、國久の膝の上によじ登り座った。



「えへへ〜社長のお椅子〜!あ、学校?学校建てるの?あ、制服って、お洋服でしょ!」


「……クロエ、退け。邪魔。あと書類を勝手に見るな。それに、制服は必要な……」


「え?そんなのダメ!」



 クロエは國久の膝の上に座ったまま、机と國久を離そうと両足で机の縁を蹴った。

 キャスター付きの回転椅子に座っていた國久達はそれによってわずかに後ろに下がる。

 そのあとクロエは國久に向き合うように体勢を変え、じっと國久を見つめた。


 それを見た國久はクロエの求心力に惹かれそうになるのを堪え、顔を横に向けた。

 しかし、クロエはそんな國久の顔を小さな両手で挟み込み、自分の方を向かせようとするが、大人の抵抗する力には敵わず、「へあ……」と変なため息をついて諦めた。



「……レディ、はしたないぞ」


「ごめんなさい……。でもでも仕方ないのよ。だって、お洋服は必要よ?」


「別に裸で通えとかそういうことを言っているわけじゃ……」


「もちろんよ!でも、あのね?制服は欲しいの。要らなくない!」


「……なぜ?目下のところ、目標は人を集めることだ。制服がそれに役立つとは思えんが?」


「あら、國久さんったらわかってないわ?それを目当てで来る人も少なく無いと思うの!私も学校選ぶときはパパとママと、お洋服も見て決めたわ?」


「そういうものなのか?」


「そーゆーものよ!だからきっと、制服はあった方がいいわ?」


「……嗚呼、わかったから退いてくれないか」


「ほんと?じゃあ、制服作ってくれるのっ?」



 クロエは物分かりよく、國久の膝の上から降りた。

 一方國久はというと、制服を作ることには未だ気分が乗っていない。ひとまずクロエを退かすため「わかった」と答えたのみであった。


 その真意はクロエには伝わらず、國久のその場しのぎの「わかった」を"了承"という意味で鵜呑みにして、「ああ、どんなお洋服かしら!」と一人、勝手に喜んでいるのであった。


 國久はひとまず制服のことは後にして、事務机の前に座り直し、書類の中の他の項目に目を向ける。

 開校にあたってさまざまなものが必要にはなるが、特に"教師"という項目に注目していた。

 現状『アザレア』には、何度数えたって國久とクロエ、銀しかいない。中でも、能力や魔物のことを教えられるのは國久であるが、その國久も、魔物のことについては王家の記録の範囲内であるし、能力については、それこそ人それぞれであるから"能力者の常識"以外──つまり、個々の能力の使い方等は教えようがない。

 そしてそもそも、國久は"人員確保"をしなければならないから、教師にはなれない。



「と、なると──」



 國久は書類から顔をあげ、制服について思いを馳せているクロエを見やった。

 すると、クロエはすぐにその視線に気が付いて、國久の方を向いて言った。



「ねね、國久さん!制服は何色がいいかしら?」


「……お前は何色がいいんだ」


「えっ?わ、私が選んでいいの?」


「私にはわからないからな。……そもそも制服には変わらず反対だが、制服がないことを理由に仕事にも勉学に励まないと言われても困る。だから──」


「私が選ぶ!えっとね、えっと……。ああ、あの色!なんていうのかしら?國久さんは見た?軍人さんがいる国のお空の上から見えたのだけど、いっぱいいっぱいあったじゃないっ?」


「……シエントに?」



 クロエの言葉をもとに國久は思考を巡らせる。

 シエント帝国にたくさんあるものと言えば、軍人や白や緑青を基調とした建物群であるが、それならクロエが例えられないはずがない。



「風で揺れると湖みたいにキラキラ光るのよ!ゴールドではないけれど、それに近いような!」


「嗚呼、あの麦畑か。あまり整備されていないように見えたが、シエントにもあんなところが……」


「むずかしいことはわからないけど、その色がいい!」


「桃色とか言い出すのかと思っていたが、意外と良識的だな」


「お姉さんだもの!みんなが好きになることをしなくちゃいけないわ?みんなも、銀も、ネルロさんも、私も……あと、國久さんも!」



 ぴしっと、クロエは國久を指差した。

 それを見て國久は眉をひそめたが、やがて、くくっと吹き出して笑った。

 相変わらず、笑いどころがおかしな國久であるが、そんなふうに國久が笑うを見るとクロエは嬉しくなり、「あ、笑った!」と嬉しそうに、うさぎのように飛び跳ねるのであった。


 そうしてひとしきり笑い終えると、國久は唐突にクロエの両頬を片手でつかみ、むにむにと、頬の柔らかさを弄ぶように、掴んだり離したりを繰り返した。



「……むぁむぁ、くにひささん、なにするの〜いたいけど〜いたくな〜い〜」


「教育」


「う〜。なんで〜」


「まず、私を指差すのはやめろ。敵意と受け取られても保証はできん」


「ごめんなさい〜」


「……それと、今後の『アザレア』の予定が決まった。制服の件はお前の要望をもとに掛け合っておくから、どうか協力してほしい」

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