ハリボテ⑵
「……では改めて。私は笹野國久。このギルディア特殊能力研究機構『アザレア』の長だ。諸君ら、長旅ご苦労だった」
「──『アザレア』では現在、ギルディア周辺に生息する魔物の調査、及び先ほどすでに目撃したかもしれんが、ギルディアの南方に位置する塔に住まう何某かの調査を目標としている。早速で悪いが、仕事を頼みた……」
「いやいやいや、だから超展開すぎるでしょ!?『アザレア』の長だ、とかいう自己紹介じゃなくて、僕たちが求めているのは、状況の説明!」
ネルロが冗談ぽくも、強く声を荒げた。
それに対し、國久は事務机に気だるそうに肘をつき、肘をついていない方の片手で煙管の用意をし始めた。
「……うわ、露骨に態度変わった。ホームだからか!?」
「……國久さん、疲れちゃったのね。きっと」
「嗚呼、どちらの言葉も一理ある。正直くたびれているし、体も回復しきっていないから、本当は横になりたい。でもって、君らには何も説明せずに仕事をしてほしいのだが」
「……素直になったのは低学歴の僕にも理解できていいんだが、それはそれでちょっとイラッとするな?よし、やっぱり1発くらいは叩いてもいい気がしてきた」
「ネルロさん、暴力はダメよっ?よくないわ!」
「大丈夫、1発、1発だけだから!」
「だめー!ケンカは良くないわ!國久さん何も悪いことしてないじゃない?」
「……お前たち煩い。銀が起きる」
國久が適当にしていると、國久を1発殴ってやろうと勇むネルロと、それを止めようとするクロエが騒ぎ始める。
ネルロは腕をまくりズンズンと國久の方へ進み、クロエはネルロの服を引っ張っている。
その騒ぎを聞いてか、國久の腕の中で眠っていた銀が、「ふええん」と声をあげてぐずり始めた。
しかし、それでもなお騒ぎをやめない二人を、國久は迷惑そうに睨みつけ、そして──、無言のままネルロを対象に取り、園を展開した。
「……ひ!?ま、またこれだ!?」
「銀が起きただろ、静かにしろ」
國久は、そんなことを言う。
元はといえば國久がまともに説明をしないで舐めた態度を取っているから──とネルロは反論しようとしたが、馬車の中で國久に眠らされた時の記憶や、森の中で襲いくる魔物をバタバタと殺していく國久の姿を思い出した。
非能力者で、能力や魔物と全く無縁の環境にいたネルロにとって、國久が見せるこの超常的な現象は恐ろしい以外なにものでもなかった。
しかし、最終的に、ネルロが國久がしてきた嘘の数々に対する怒りを抑える理由となった出来事は、ネルロをまっすぐ睨みつける國久の鼻からタラタラと血が流れていることだった。
國久は自身の出血に気づいてか、慌てて自身の手で血を拭った。それから結界を解きながら立ち上がった。
「國久さん、大丈……」
「……少し疲れが出ただけだ。洗ってくるから、クロエ、銀を頼む」
「うん……!あ、私タオル持ってるわ!使って使って!」
「それはいいから。銀だけ……手の血が付くだろ」
クロエの元へ行き背を合わせるようにしゃがむ。
そして片手で鼻を押さえながら、もう片方の手でクロエの両手に銀を抱かせた。
銀を任せると、國久は早々と社長室を後にした。
「……クロエちゃん、僕、社長の様子見てくるよ」
「うん!私はお姉さんだからここで銀のこと見てる。だから國久さんのこと、ネルロさんにお願いするわ!あ、ケンカはダメよ?」
「……ああ、わかったよ。もうしない」
「うん、それじゃ、いってらっしゃい!仲直りしてきてね!」
ニコニコとクロエに微笑まれ、ネルロは顔が熱くなる。その微笑みから逃げるように、そして國久を追うために社長室を出た。
すると部屋を出て早々、ネルロはどきりと心臓を弾ませる。
それほど離れていない場所で、國久が座っていた。
ただ血を洗い流しに行く前に力尽きて座っているくらいなら、ネルロは肩を貸して歩くくらいのことは考えていた。
しかし、実際に國久が座っていた理由は、魔物の血がついたまま鈍く光る短刀を、自分の首に当てていた。
「え、あ、……何やってんだ!?」
ネルロは國久の元に駆け寄り、短刀を掴む手を掴んだ。刃を首から遠ざけようとするもものすごい力で抵抗する。仮にここでネルロが國久の手を離したら、その勢いで首の柔らかいところまではザックリと切れてしまうということが想定された。
「おい、社長ッ!!しっかりしろ!!」
ネルロは叫んだ。
國久の力の強さに押し負けて、刃がわずかに自分の手に食い込む。その痛みによってか、或いは自分がこのまま押し負けることによって國久が死ぬかもしれないという恐怖からか──もはやどうしてかわからずも涙が溢れてきた。
それからは、悔しくなってきて、こんな男のために涙を流している自分の矛盾を感じ始める。そしてそれを原動力に、短刀を奪い取り、さらに片方の手で1発──ネルロは國久の頬を殴った。
あんなにも強い力で死のうとしていたのに、あんなにも恐ろしい能力を持っているくせに、ネルロが國久を殴ると、國久の身体は思っていた以上に軽々と白い廊下を転がった。
殴り飛ばされた後、國久はぬっと起き上がった。
そして、殴られた頬に手を当てながら、じっとネルロを見つめ、言った。
「……嗚呼、思い出した」
「な、なんだよ!社長、あんた変になってたぞ!」
「それも聞いた」
「……は、はあ?」
「何度も聞いた。何度も、何度も……。それで、いつの間にか嫌がられるようになったんだ。嗚呼、あははは、確かに良くないな、これ」
そういうと、間も無く國久は立ち上がった。
そして何を思ったのか、社長室に戻っていった。
ネルロはすかさずそれを追いかけると、社長室の中では、國久が未だ血まみれのまま戻ってきたことに首を傾げるクロエがいる。
そんなクロエを見て、ネルロは國久から奪い取った短刀を自分の背中に隠した。
「あら?國久さん、お顔、まだ汚れているわ?ネルロさん、どうしたの?タオルやっぱり必要?」
「い、いや……、社長が急に?」
突然の國久の奇行に困惑していると、國久は社長室の中にある扉を一つ開き、その奥に入っていった。
今のよくわからない状態の國久を放っておくわけにもいかず、ネルロもそれに続いた。
國久は扉を開けっぱなしにしたが、ネルロはクロエのことを気にして、すぐさま扉を閉めた。
扉の向こう側は、洗面所兼脱衣所、そして奥には風呂場があった。そこで國久は、洗面所に向かいあって、ザバザバと顔を洗っている。
「……社長。な、なんで、一度部屋を出たんだ?顔ならここで洗えるのにさ。もしかして……」
「大体、状況は把握したんだろう。私が帰る前、王家の乳母に案内されたということは、そこからも情報を得ているはず」
「な……何を、あ、いやいや!今はそんな話している場合じゃないんじゃないか?社長、あんた……」
國久は顔を洗い終えて、備え付けてあったタオルで自分の顔を拭きながら、突然調子良く話し始める。
「まあ、状況はこの通りだ。現状、『アザレア』には私と銀、そしてクロエしか居ない。尤も、クロエの交渉がうまくいかなければ、私と銀だけの組織のままになるところだった」
「いや、そんなこと言ってる場合じゃ……」
「先も少し話したが、『アザレア』の目標は魔物退治と研究、ついでにギルディアの防衛、それでゆくゆくは能力者の研究も行っていきたいと考えている。そこで、必要なのは人材だ。しかし、訳あってギルディアの民は協力をしてくれない。なので、卑怯な手だとは承知しているが、人を集めるため、『アザレア』について情報を盛りに盛って、各国に構成員の募集をかけているのが現状。そして、その初めての成果が、クロエだ」
「──これからは、クロエの力も含めればもう少し組織を大きくできると踏んでいる。そうしたら、まずは魔物の調査。嗚呼、先ほど貴公にも村からあの塔の異常が見えただろう?ぜひ、その調査もしたい」
「──ついては、貴公にもぜひ協力……」
「冗談じゃないッ!!」
ネルロは声を荒げる。
國久は、そんなネルロの様子が意外だと感じて、キョトンとしていた。
「……そうか、貴公が居ないとなるとクロエは寂しがるだろう」
「……っ」
「嗚呼。せっかく、仲良くなれたのに」
「冗談、じゃない……。僕は既にそう言った。だから、そんなことを言うのはやめてくれ。できるならクロエちゃんと一緒に、故郷にとんぼがえりしたい。でも、もうここに来てしまったから。僕だけの力じゃ、森は越えられない。……それに、クロエちゃんを僕が連れて行こうとしたら、間違いなく、僕を悪として裁く、"狂人"がいる」
「……嗚呼なんだ、ネルロさん。正気なのか」
「正気じゃない人に言われたくない」
「そうか。なら、貴公とは交渉決裂と言うわけか。……まあ、先ほど私も醜態を晒したし、落ち度はある。諦めもつく」
「……あれが、醜態?そんな言葉で片付けられるものなのか?あんた、変だよ。変わり者で嫌われ者の僕以上に変わってる。僕は、そんな人について行くのが、……少し怖くなった」
「至極真当だな。まあ、訂正するなら、もうあれはやめる。やると人が離れることを、さっき思い出した。貴公のおかげだとも。──その礼と、ここまで連れてきてしまった詫びと言ってはなんだが、ギルディアにて新しい職を紹介しよう。王家の職員に、貴公を推薦しておく。希望すれば衣食住付きで、悪くない話だと思う」
「……少なくともここよりは、マシだ。その話にはありがたく乗っておくよ」
「相分かった。それじゃあ荷物を持って、王家まで行くぞ。……嗚呼、それと、住む世界が変わっても、たまにはクロエに会いにくるといい」
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