ハリボテ⑴



 ギルディアの領土に入ってから、國久の意識が朦朧とし始めていた。

 ギルディアの民からの罵倒を耳に入れる余裕がない点については都合が良かったが、全身ボロボロで、馬に引きずられながら歩く様子は、5年前、英雄として帰還した記憶を、再び人々に思い出させることとなった。


 それでも、5年前よりもずっと状況が良かった。

 やがて、かつてのギルディア領主から残された白い建物が見え始め、國久を迎えにパタパタと誰かが走ってきた。



「ぐにひざざああん……!!」



 走り寄ってきたのはクロエで、森で別れたあとずっと國久の身を案じて泣いていたのか、顔がベチャベチャに、涙と鼻水で濡れていた。

 走り寄ってきたクロエはそのまま、國久に激突した。もちろん、ほとんど馬に引きずられるようにして歩いていた國久にはクロエの突進と抱擁を受け止めるほどの力はなく、クロエが激突すると同時にそのまま後ろへ倒れた。



「う……」


「あ!?いやああ、國久さん死んじゃったああ……!!やだああ……!」



 クロエが泣き喚き、その声が國久の身体にできた傷と頭に響く。

 多少無理をしてでも園の中で「修正」をしておけば良かったとこの時、後悔した。

 疲労のあまり、クロエにどいてくれということも出来ず、國久は困っていると、誰かに手を握られた。


 クロエではなく、クロエの手よりもずっと小さく、さらには陽の光のように暖かな手だった。


 手を握った人物の正体を確かめるべく、國久は少しだけ身を起こそうとすると、真っ先にクロエが反応した。



「國久さん!いきてる!?生きてるの!?うわああああん……よかったああ……どうして私のことおいてったのおお……」


「……いや、置いてったのはお前達だろう?」


「しゃべったああ……ゆうれいじゃないいいい!」



 國久は、今のクロエを前にはもはや自由がないことを確信した。身体を動かそうにも、声を出そうにもクロエは泣き喚き、「じっとしていないとだめ」と、國久を無理矢理寝かせるなど、心配ゆえの"乱暴"を繰り返した。


 そろそろ本気で殺されそうだと思った國久は、クロエに寝かしつけられたまま、そばにいるであろうネルロに助けを求めるべく、手を挙げた。

 クロエの勢いに圧倒されたのか、いつの間にか、國久の手を握った暖かな手は無くなっていた。


 間も無く、ネルロがやってきた。

 そうして、少し不機嫌そうな表情で、國久をじっと見つめていた。



「"國久さん"、生きてる?」


「……今にもお嬢さんに殺されそうだ。助けて」


「クロエちゃん。國久さん、もういいって。それ以上やると死ぬって」


「し、しんじゃう!?國久さん!?」



 ネルロが言うと、クロエは國久からばっと離れた。

 クロエが離れた瞬間、國久はなけなしの力で園を展開し、5分ほど時間を使って身体の傷、身体の不調を癒した。

 このときは何故か、疲れているのにもかかわらず身体の修復が早かった。修復の最中、小さな手に握られた自分の右手が、日の光のように暖かく感じられた。


 不思議に感じながらも、なんとか自力で動けるようになってから結界を解除した。



「うわ。急に出てきた!?しかもなんか傷治ってるし……気持ち悪いなあ」


「國久さん、どこ行ってたの!?大丈夫!?元気!?探したのよ!?」


「クロエ、煩い。お口チャック」



 國久がクロエの唇に指を当てると、「ん!」と小さく声を発したあと、口を閉じた。


 クロエが静かになり多少の余裕が出たあと、國久は周りの状況を確認する。

『アザレア』の白い建物が見え、銀を抱いたネルロとクロエがいる他は誰もいなかった。



「……貴公らだけか?他には?」


「僕たちをここに案内してくれた王家の乳母さん達が居ましたが、先ほど、國久さんが目を覚ましたら帰って行ったよ。それで、こちらはご覧の通り──人通りもなくて、嘘のように静かだね」



 ネルロは、針を刺すように言った。

 それを聞いた國久は、ネルロが『アザレア』の現状──大きな研究組織など嘘っぱちであることを、なんらかの形で知ったと悟る。


 無いものを有ると言い続け──正確には國久はネルロ達にも誰にも立派な組織があると明言していないが──魔物に襲われるという危険も伴ってまで、この地に辿り着いた。

 ネルロが真実を知って気を悪くすることは当然であり、また想定していた國久は、ふっと息を吐いた。



「どうやら……貴公は何かを知ったらしいが、改めて状況を説明しよう。この"ハリボテ"の中を案内するから、ついて来い」



 國久はネルロに軽く礼を言ってから銀を預かって抱き、玄関口に置いてあった自分の荷物と、アタッシュケース、それから郵便受けに入っていた手紙10通ほどを持って建物の中に入った。


 この『アザレア』のために作られた白い建物は、領主が力を入れていたこともあってかギルディアの中でも前衛的であり、ガラスの大扉傍にある端末に國久が暗証番号を入力すると、自動で扉が開く仕組みである。



「あ、國久さんのお家!入れるの?ネルロさん、早く行きましょ!」


「……ああ」



 クロエに誘われ、ネルロは國久の後に続いた。


 建物内に、3人分の足音が響く。

 その白い壁には傷や汚れひとつなく、まだまだ新しい建物の匂いがする一方、先行く國久がつけている香水の香りがほんのりとしていた。


 玄関から少し進むと、少し開けた空間が現れる。

 國久は誰に聞かれてもいないのに、「訓練場の予定だったが、魔物の研究施設に改造しようかと思っている」と説明した。

 クロエがあれこれ聞いてきそうな状況であったが、"お口チャック"を守っているのか、或いはネルロと同等とはいかないが、幼いながらにも、國久を信じていた自己の矛盾に気がつき、困惑しているから静にしている様子であった。


 訓練場と語った場所から、さらに少し歩く。

 建物の構造が複雑であるため、歩く時間が長く感じられたが、やがて、國久は他よりも少し上等な扉の前で足を止め、その扉を開け部屋に入った。



 ネルロとクロエもそれに続く。

 それからその部屋の様子に驚き、「おお」と声を挙げた。


 その部屋は國久の仕事部屋──言うなれば"社長室"であったのか、この建物の中で唯一使用感が感じられた。しかし、その使用感について二人が声を上げて驚くほど異様であった。

 即ち、一室の壁という壁にびっしり且つ整然と貼り紙がされていた。どの貼り紙も國久の直筆であり、その内容は魔物の生息状況が2割、残りは全国各地の有力者に宛てた『アザレア』の支援依頼の手紙だった。


 すると國久は部屋に入って早々、床に荷物を放り、これまた立派な事務机の上に届いていた手紙を広げ、1通ずつ内容を確認し始めた。



「荷物はその辺に。座る場所はないがこちらの作業が終わるまで適当にくつろいでくれ」



 くつろいでくれ、なんて言われても、そんな状態ではないことはネルロもクロエも同じであった。このように四方を手紙で圧倒されては、壁に寄りかかることもできない。

 一方國久は、ネルロやクロエの存在を忘れてしまったかのように、手紙の整理に没頭していた。

 手紙の内容を確認して、依頼拒否をされた手紙は壁から剥がす。そのうち1件だけ許可されたものがあったのか、その手紙には丸印をつけ、手帳やカレンダーに日程を書き込んだ。

 このとき恐ろしく思うのは、びっしり壁に貼り付けられている書類の位置を正確に覚えているということで、あの書類はどこだ……と迷うことが一切ない、ということだった。



「来週か。"リタ様"にも会いに行こうと思っていたが……、まあ距離的になんとかなりそうではある、それにしたってハードだな。……と、こちらはもう不要だったな」



 國久は郵便受けに入っていた依頼拒否の手紙とは別に、もう一枚少し離れたところにあった手紙を壁から剥がした。それからその手紙をチラとクロエに見せると、クロエはそれを指差して「パパの名前!」と声をあげた。

 一連の作業を終えたらしい國久は剥がした手紙を別のファイルに挟み戸棚にしまい、そのまま立派な事務机の前に腰掛け、言った。

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