森にひそむもの



 強い雨が降っている。

 雨でぬかるんでいる地面を強く蹴って泥を跳ねさせ、3頭の馬が、鬱蒼とした森の中を走っていた。

 3頭目の馬が走るその傍、馬ともその他の動物とも違う6本足の怪物が並走していた。



「社長!後ろ大丈夫か!?」


「問題ないと言いたいところだが、手を伸ばせば噛みつかれそうな位置まで来ている。……私が処理するから構うな、全速力を保て!!」


「でも……!」



 ネルロと國久は、雨の音にかき消されないくらいの声量で言葉を交わす。クロエはネルロに取り付けられてあるベビーキャリー基い銀に覆い被さるようにしながら、ネルロにしがみついていた。


 ネルロは相変わらず後方に居る國久の身を案じていた。かれこれ数十回、魔物の断末魔を聞いており、何本か自分の目の前に魔物の手やら足やら頭やらが吹き飛ばされて、道の端へと転がっていくのを目撃している。

 その襲い来る何体もの魔物から、國久はたった一人で守っている。その時折、「ああ」とか、「くそ」とか、國久が苦戦する声が聞こえるから、先頭を走るネルロは気が気でない。


 しかし、自分が魔物相手にできることはないから、ただ言われた通りにするしかない。あの時、シエント帝国で、國久に騙されているのではないかと疑った自分を恥じ、クロエと一緒になって、國久は悪くないと訴えなかったことを今更になって後悔した。



 ブツンッ──

 また肉がちぎれる音がする。


 その音を聞いたネルロには、馬が走る息遣いとともに、國久の荒い息が聞こえるような気がした。



「社長!もう少し馬に無理させてペースを上げる!だから、少し休──ッ」



 ドンッという低い音ともに、目の前が一瞬明るくなり、真っ白になる。

 先頭の馬が嘶き、急停止。後続の馬も止まり、気がつけば、全員が馬の上から放り出されていた。



「大丈──ッ!!」



 その状況下、真っ先に動いたのは國久だった。

 放り出されたネルロ達の元に駆け寄って、さらに1番近くにいた魔物の追撃を、短刀を抜き、魔物の腹に突き刺して食い止めた。



「しゃ、社長、何が……なんで馬が……!!」



 情けなく震えた声であったが、ネルロが状況確認のために後方を走っていた國久に問うた。



「雷が馬の目の前に当たった。私も状況はよく知らんが、とにかく、立て直せ。……クロエ、大丈夫か?」


「こわいぃ……!!すごくいっぱい声がするもん……!!」


「は、これでお前の髪飾りがどんな"うねうね"だったか学べてよかったな」


「よくないぃ……!!すりむいたし、すごくいたい……。あ、銀は……?泣いてる、すごく泣いてる。國久さん!あやしてあげないと!はやく、逃げて……」


「"ネルロ"。私の馬は無事だからクロエと銀を連れて先に行け」


「はあ!?そんな、こんな状況で!!社長だって、あんた、消耗して……」


「煩い。最初に言ったはずだ。何がなんでも、全速力でギルディアまで走り抜けろって。囮として1番ふさわしいのが私だとも、な。それに、私は──」



 私は、この状況よりもひどい出来事を経験し、そのうえ呪いまでかけられた──"英雄"だ。



「社長、何言って……」


「嗚呼、これは話していなかったか。いや、話していないことの方が多くて、きっとうんざりすると思うが……まあ、そう言うことだ。わかったらさっさと行け」


「……」


「國久さん、置いてっちゃ、やだあ……」


「莫迦、置いていかれるのは私の方だ」


「じゃあ置いていくの、やだあ……」


「これじゃ立派なレディには程遠いな。ネルロ、クロエの女性としての尊厳を守るためにも、先に行け。きっとお前も、この子の頼みなら断れないはずだ。……ギルディアについたら、まずは領主家を訪ねるといい。事情を話せば『アザレア』の建物を案内されるはずだ」



 國久はそう言うと、落馬の際に取れたクロエのフードを、深く被らせた。



「……社長の話は、後で話は聞かせてもらうから。クロエちゃん、行くよ」



 ネルロはクロエを背負い、腰に巻いていたベルトを一度外し、クロエの身体を固定するように強引に巻きつけた。

 それから國久が乗っていた白馬を呼びつけると、それを追うように荷物を取り付けた馬が近づいてきた。

 先にネルロが乗っていた馬は、生きてはいるが雷と魔物の群れに怯えたのか、茂みに身をかがめ、じっと動かなかった。


 ネルロは銀を抱き、クロエを背負いながら白馬によじ登り、馬を走らせる準備をした。



「え、ネルロさん!?國久さんは!?」


「社長なら、後から追いかけてくるって」


「うそ、うそよ!國久さん!!だめ!!一緒に行かないと!!」


「クロエちゃん、行くよ!!」



 ネルロは馬を走らせた。

 その馬を追うように6本足の魔物が走り出すが、間もなく6本のうち左側3本がブツンと音を立ててちぎれ、魔物は泥の上を滑って転倒した。



「……じゃあ、行くか」



 國久はネルロ達が走り去るのを見送ると、怯えている馬の尻を蹴って立ち上がらせた。

 馬は何度か跳ねて暴れたが、國久が手綱を持つとやがて落ち着いた。しかし、ここでこの馬に跨ったとしても再び振り落とされるのは目に見えているから、手綱を引き、馬とともにゆっくりと歩みを進めた。


 その間も、魔物の猛攻はおさまらない。

 國久に次から次へと襲いかかっては、國久に反撃される。國久も襲い来る魔物1匹1匹を正確に対象に取って、園を展開し、中でバラバラに切り刻んで反撃するということを繰り返した。


 能力者は能力を使うと体力を消耗する。

 それは國久も例外ではない。それどころか、國久の結界を張る能力は、普通の能力者よりも消耗が激しい。

 例えるなら、手で木を擦って火を起こし、それを消し、また火を起こす──それを何百回に渡って繰り返している。


 繰り返しの影響か、結界の中と結界の外の区別がつかなくなる時もあった。

 結界の中だと思って安心していたら実際は外で、慌てて結界を展開する。対象をきちんと取らなければ周りの魔物も結界に巻き込むことになり、一体のみしか対象にとれないという制限から、再び結界を解除し、展開し直すという悪循環を生むことも──



「は、は……は……」



 他人から見える行動としては、ただ馬の手綱を引いて森の中を歩いているだけであるが、その実は呼吸を忘れるほどの忙しさであった。

 そんな中、國久は、自分の首元をゴソゴソとまさぐって、チェーンネックレスを引っ張り出した。

 そこには2つのドックタグがつけられていて、國久の母国語で「修正」「報復」とそれぞれにうっすら刻まれていた。どちらのドックタグの文字も上から鉄鋼やすりで削り取られたようである。



「"報復"は……保ってあと10回か。……書物を一冊でも荷物から取り出しておくべきだったな。何か、好機があれば……」



 限界が近づいてきたと感じた。

 尤も、図らずも英雄となったあの時は限界すら超えていたが……。



 痛みを堪え、そう思った時であった。


 とぼとぼと歩く國久と、馬の元に光が差した。

 國久は思わず足を止める。


 バケツをひっくり返したように降っていた雨も、地鳴りのように轟いていた雷もおさまって、木々の間からオレンジ色の夕日の光が差し込んでいた。

 さらには、國久に牙を剥いていた魔物達は大人しくなり、一様に空を仰ぎ見ていた。



「……なんだ?」



 ビヒヒヒン……と馬が鳴き、カツカツと泥とともに小石を蹴って前足を鳴らし、すこし落ち着きが無くなる。

 馬を宥めようと馬の首元に触れると、大きな黒い影が上空を通過した。

 すると、一斉にその影を追うようにして、國久を囲んでいた魔物達が動き出した。

 黒い影が通り過ぎ、魔物達もいなくなってから数十秒後、クウークウーと鳥が歌うような声が響き渡った。


 その声にまた馬が反応し、周囲に身を隠していた小鳥達も一斉に飛び上がった。



「……鳥、魔物?いや或いは神の気まぐれか。ひとまず、今は……!」



 森の魔物達が静まった理由は何も分からなかった。

 しかし、これは好機と思って、國久は消耗し切った体力をこれでもかと振り絞って、なんとか早足で森を抜けた。


 それから間も無くして、森の中で國久を襲った魔物とは違う魔物が襲いかかってきた。

 思わせぶりな神の気まぐれに対して、國久は「くそ」と悪態をつく。

 しかしそれでも、なんとか、なんとかを繰り返して、ようやくギルディアの影が見えてくるところまでになると、突然背後で天を裂く勢いの恐ろしい声が響いた。

 声に驚いた馬が國久の手から離れて駆け出したが、國久にはもはやそれを追いかける気力もなくて、ドン、とその場で尻餅をつき、声の聞こえた方を凝視した。


 視線を向けた先には、天に向かって聳える塔があった。あの塔は、國久がギルディアにやってきた時から存在し、ギルディアの人々や領主のゼムノート王家ですらもその詳細は知らないと、聞かされた。


 遠い遠い眉唾物の言い伝えにおいて、あの塔は『神の贄場』と呼ばれ、塔の中には何もないが、踏み入ったものは消えて無くなるとか、精神を侵されるとか、何とか──


 そんなわけのわからない塔が、今、恐ろしい声とともに、その全体を揺らしている。さらにはその頂点が一瞬光り輝き、森の方へ一筋の光線が放たれたかと思うと、その光線を迎撃するように、薄紫色の火球が森の中から放たれて、衝突し、爆発を起こした。



「……次は何なんだ。相変わらず、意味がわからん」



 突然繰り広げられた演目に、國久は雑なヤジを飛ばした。

 しかし一方、そのヤジの隅には、早急に『アザレア』を完成させて、意味のわからない演目の正体と、魔物が暴走する原因を突き止める必要があるという思いがあった。


 ──ただ"何もすることがない"から始まり、英雄という呪いを受けながらも、その思いは、確かにあった。


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