出発⑴




 かくして、國久の長旅はようやく一つの区切りを迎えようとしていた。しかし、旅は終われど、目的の達成──ギルディアの安寧のための組織『アザレア』の完成には程遠く、現状では半歩踏み出したに過ぎない。


 飛行機の中で、國久は現状における問題点を反芻した。

 これで『アザレア』の構成員は國久を含めて4人。ただし、ネルロについては『アザレア』に組み込むことは考えておらず、今回ギルディアに戻った暁には、"王家の御者"として推薦しようとも考えていた。これは、ネルロ自身の希望による。

 つまり、『アザレア』の構成員としては國久、銀、クロエの3人であり、数にしてみれば魔物の毛の中に住んでいるノミの数よりも少ないが、クロエという存在が、『アザレア』にとって非常に大きなものであることを、國久は此度の長旅で確信していた。


 暗い深海に住むアンコウが獲物を誘き寄せるための光──クロエの能力『暗行の燐』は、國久がネルロやお堅い商店主人に試していたように、多少強引な交渉であっても、人を魅了し惑わすことで、「はい」と言わせることができる。

 とあれば、例えばギルディアよりもずっと遠方にある国でも、又は國久を毛嫌いするギルディアの民であっても、『アザレア』の結成に協力させることができる。

 自分が飲まれてしまわないように注意していれば、または飲まれた人々が先ほどのネルロのように暴走をしないよう予防すれば、真に組織と言えるくらいには人を集めることができる。


『アザレア』に人が集まれば、次は魔物の調査ができる。

 そして、その調査の結果、ギルディアを危機に陥れた元凶となる存在があるならば、『アザレア』が総力を上げて押し潰す。


 それから、そうしたら。嗚呼、その後は──

 飛行機の窓から青く広い空を見下ろしているとき、クロエの星の髪飾りが一瞬輝いた。



 "オオ、呪われしヒトの子──、空を仰げよ。"



 それきり、子供好きな異形のヒトデは姿を見せなくなった。

 意外にも、クロエはそれに気が付いたらしく、國久に何度もただの星の髪飾りを見せながら、精霊がいなくなったことを問うてきた。

 すると、"記念に残滓をつけておく"と言った精霊の言葉通り、星の髪飾りから小さな泡が浮かび、やがて泡は魚の卵となり、まもなく青色に発行する小さな魚が卵を破り生まれ出てきた。


 孵化した魚はクロエの額にキスをして挨拶をしたが、國久には尾鰭を振って、わずかな敵対の意思を見せた。形は変わっても中身はあの異形のヒトデらしい。光線を吐かないだけ、國久にとってはマシに思えた。



 ……………………



「ああ……、やっと地上に足がついた気がする」


「ほんとう……、すこし、身体ふわふわする」


「荷物が重いから先行くぞ」



 昼過ぎのこと──

 國久達は、三度目の空の旅を終え地上に降り立った。

 何度か飛行機を乗り継いだが、空港の外へ出たのはこの国が初めてであった。



「國久さん、ここ、どこ?」


「シエント帝国」


「シエント?てーこく?あ、兵隊さんだわ!……武器持ってる、ちょっとこわい……」



 道行く武装した兵士を見たクロエは怖がり、さっとネルロの後ろに隠れた。



「シエント帝国……、世界でも名のある軍事国家だと聞いたことがある。あれ、ギルディアの近くじゃないか、"社長"さん?」


「嗚呼、長旅ご苦労。ネルロさんの言う通り、ここからギルディアまでそれほど距離はない。予定より少し早いが、何事もなければ、3時のおやつの時間にはギルディアに着くだろう」


「ああ、やっとか!じゃあ、ちゃっちゃと行こう。僕、実はギルディアに行くの結構楽しみにしているんだ」


「ネルロさん、私もよ!ふふ、どんなところなのかしら!ギルディアに言ったら他の人もいるのよね?仲良くできるかしら?」


「ははは、クロエちゃんならきっとみんなと仲良くできるよ」


「えへへ、せっかく遠くまで来たのだもの!色んな人と仲良くなりたいわ!……。パパとママ、クロエが居なくて寂しく無いかしら……」



 ネルロとクロエが口々に感想を述べる一方、國久は荷物を持てるだけ持った。



「あ、社長!荷物なら僕も持つってば。何?急いでる?」


「私は銀と一緒に先にシエントを出る。東の国境門の外で待っているから、二人は馬車と馬を調達してきてくれ。金はそっちのケースに分けてある。どんなにぼったくられても良いから、とにかく一番速い馬を買え。馬のことはネルロさんの方が得意だろう?」


「え?ええ、まあ。そうですけど……」


「金が足りなければ『アザレア』でつけといてくれ。またシエントに寄った時に払う。……が、できれば決済は一括で済ませて欲しいところではある」


「國久さん、私は?私は何したらいい?あ、銀の面倒なら私が見る!」


「ここでは必要ない。ネルロさんと一緒に少し観光でもしてくるといい。まあ、この辺で見るものと言ったら兵隊の訓練場か、城を眺めるくらいだ。遊ぶなら"普通居住区"まで行くといい。さらに外れると治安が悪くなるから、行くならそこまでだ」


「うん!わかったわ!」


「……いやいや、社長が外で待ってるって言うのに、僕達、遊んでられないでしょうに」


「そこのわがままお嬢さんの誘いをネルロさんが断れるのなら、早く来てもらっても良いが?」


「……う、それは」


「ともかく、午後3時までは適当に過ごしてくれ。私は外にいる」



 國久はひらりと手を振り、ネルロとクロエを置いてその場を立ち去り、残された二人はその様子を呆然と見送った。



「クロエちゃん、どうする?どこか遊びに行く?社長も3時までなら良いって言ったし……、あ、アイスクリームとか食べるかい?」


「……ううん、いいの!ネルロさんとお馬さんを見るわ!」


「え、そうなの?ここじゃわからないけど、シエントって大きい国だし、色々あると思うよ?」


「國久さん、早くおうちに帰りたいのだと思うから、私が我慢するわ!お姉さんだもの!それに、國久さんのお家からこの国は遠くないのなら、また時間がある時に来ればいいもの!」


「……そうだね。それじゃ、お馬さんを見に行こうか」


「うん!」



 ネルロが手を差し伸べると、クロエはその手をしっかり握った。

 その後、道行く兵士に移動用の丈夫な馬と馬車の取引ができる場所を問うと、丁度、選別落ちした軍用馬の一般販売が、シエント城に一番近い兵舎で行われていることを聞いた。

 さらに、「君らのような一般人に購入できるほど安くはない」と忠告されたが、ネルロは國久から預かったアタッシュケースの中身を確認すると、気を大きくし、「ただの一般人だと思うなよ〜!」と、すでに背を向けて去っていった兵士の後ろ姿に物申していた。



「あの兵士さん達は、えらい人なのかしら?私たちのことからかっていたわ?」


「いいや偉くないね、あんなやつら!あんなやつらより、うちの社長さんの方が偉いに決まってる!このアタッシュケースの中身が全てを物語っているんだから!」


「……國久さんは、自分のことえらくないって言ってたわ?私のパパの方がえらいのだって!」


「ん?ははは、そうだね!さて、行ってみようか。クロエちゃん、もし買うなら何色の馬がいい?」


「え!じゃあ、白色!お姫様を迎えにくる王子様のお馬の色!」


「ようし、じゃあ、状態の良い白いのが居たらそれにしよう」


「うん!」


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