天翔ける⑵



 クロエがフードを被ったことを確認した國久は、銀をクロエに預け、自分は箱馬車の窓の縁に軽く腰掛けて、上半身を箱馬車の外に出して、外でキラキラと浮かんでいる異形のヒトデに向かって言った。



「人払いはこれでいいか。お前の考えているものがどういう方法か知らんが、園の中を移動するのは、景色が判別できないからお断りだぞ」


「──オオ、愛しき子ら!準備が済んだか。新たなる旅立ち、見事見事!……で、大きなヒトの子の要望は、景色が見られれば良いのだナ。ならば、問題ない。我らが合図をしたらこの赤き園を解け。その頃には、人目にもツカナイであろうよ」


「なら、ぜひ神と呼ばれる精霊の力を拝見しようか。何度も言うが余りに粗末だったら、『アザレア』が退治した魔物の記録にお前の名前を一番に載せることになる!」


「ほざけ、ヒトの子。我らを何と心得るカッ!!貴様の手帳に収まるものではないぞ」



 □□□□□、□□□、□□□□□□──



 異形のヒトデが國久の侮辱を叱った後、人ならぬ言語、或いは咆哮が耳を貫いた。

 間もなく、馬車に繋がれた馬が嘶き、ガタガタと激しく箱馬車全体が揺れた。いくつかの荷物と、御者が座席から落ち、箱馬車の窓の縁に座っていた國久も外側へと落ちそうになった。

 そして、ふっと浮遊感を感じ──もとい馬車全体が空中に浮き、ゆっくりと雲に近づき始めた。



「……浮いた!?おい、クロエ、無事か!?」



 國久はなんとか落ちそうになるのを堪え、クロエを見やった。すると、どうと言う事はない。クロエはキョトンとしたまま國久を見つめていた。



「あら?國久さん、どうしたの?ん?まあ!荷物も馬車のおじさまも床に落ちてる!」


「お前、無事──いや、これが"差別"ってやつか」


「さべつ?」


「いや、良い。……気にするな」



 クロエの身体はよく見ると少しだけ浮いていた。馬車の椅子に座っていなければ、馬車が揺れたところで体勢は崩さない。つまり、異形のヒトデによってクロエと銀のみが丁寧に扱われている様子だった。


 その様子を見た國久は呆れてため息をついた。

 それから馬車の上昇移動が収まった頃、園を解除した。


 少し冷たい風が、國久の頬や髪を撫でた。



「わ、國久さんすごいすごい!この馬車、お空に浮いているわっ!私のおうちが私の下にあるもの!ねえ、私も窓開けていい!?」


「だめ!!実験をすると言っただろう。危ないから大人しくしていなさい!」


「えーーー!!國久さんだけずるい!!」


「……社長の言う事は聞かなきゃだめだ。だから、絶対にやめろ」


「……ちぇ、はあい」



 クロエを宥めた國久は、改めて外を確認する。

 昼間の太陽が照りつけているからか、それとも高い位置にいるという恐怖か、或いは──落下すれば人を死に至らしめるほどの高さにあるという事実による希望と高揚、か……國久は手のひらに少し汗をかいていた。

 國久は、この期に及んでもなお、死に対する希望とそれに抗うための感情が渦巻いていた。クロエがはしゃいでいる声も相俟って、少し目が回ると同時に吐き気まで込み上げてきた。

 手汗やら、感情やら、目眩やら、吐き気を誤魔化すために、口を手で覆い息を止めた。僅かにだが、気持ちは落ち着いた



「……お前のソレ、生まれつきカ?」


「それって、どれのことだ。目元の模様は生まれつきだ。理由は知らん」


「違う。ヒトの容姿になど口を出すものか。我ラが問うているのは其ノ心。死に近づこうとする心ヨ。死の魔に触れられでもしたか?」


 「……わからない。そんな魔物に触れたなんて記憶は無い。触れたとしても、ギルディアの一件があってからだ。でもって、ギルディアに流れ着いた理由が死にに来た……はずだったのにな」



 國久は横目でクロエを見つめた。

 それから、「今じゃこんなふうに……」と付け加えた。


 結局クロエは被っていたフードを取って一人でキャッキャと、空の世界を楽しんでいる。



「だからきっと、何か精神的なものだ。或いは好奇心かもしれない。このように天に近い場所や、鬱蒼とした森の中、陰鬱な痴話喧嘩に挟まれた時など……人が何気なく"死にたい"とか"逃げたい"と思う場所や出来事に直面すると、飛んでしまおう、と思う時がある」


「フウン……、難儀。ヒトの心は理解し難い。生きようと思うのが普通では無いのか」


「その言葉、そっくりお前達に返してやる」


「クカカ、やはり分かり合えぬな」



 國久は問答を終え、どうしようもない自分の性格に対して諦めたようにため息をついた。

 それから、空に浮いたこの状況をもう一度見渡して、改めて異形のヒトデに問うた。



「……それで、空中を走らせると言うわけか。神様パワーは大したものだが、馬が地面を蹴る抵抗についても勘案したいところではあったな。純粋な地面を走る時の速度とは言えないだろう」


「案ずルナ。地面はある。お前には見えないだろうが、魔力の道を敷くことができる。そして魔力を渡る履き物を馬が履けば、地面を蹴っているのと変ワラヌよ」


「……嗚呼、称賛しよう」


「フフン、当然である。……して、どこまで走る?」


「馬の速さが申し分なければ空港へ。馬と馬車ごと、ギルディアまで帰る。もちろん辺鄙な田舎村には空港なぞ無いから、最寄りの空港──シエント帝国の周辺まで飛べる飛行機に乗る。馬が遅ければ、適当な商会で馬車ごと売却だ」


「……ところで、この馬車も馬も、お前のものでは無いだろう?」


「そうだが?嗚呼、だからあまり勝手な事はしたく無いからできれば早く走ってくれれば良いのだが」


「……我らはどうなっても知らぬヨ?」


「お前は何をそんなに心配しているんだ?お前が大切なのは私ではなくクロエだろうに。今更協力したところで何も出ない」



 國久が当然のように言うと、異形のヒトデは、□□□□□……と、伝わらない言葉で物を言った。

 もちろん國久には伝わらないが、異形のヒトデが何か貶すようなことを言ったように思い、「何だ?」と咎めるように強く言い、異形のヒトデを睨みつけた。


 異形のヒトデは何も答えず、すいすいと空を泳ぎ、馬の方へ近づき、馬の額にペタリとくっついた。

 すると、それに驚いたのか、馬は再び嘶き前足を大きく振り上げてから、一気に空を駆け出した。


 馬が走り出したことにより、強い力で箱馬車が引かれガコンという大きな音と、大きな揺れが発生した。もちろん、窓の縁に座り外に上半身を乗り出している國久は少し体勢を崩し、慌てて箱馬車の壁にしがみつく。また、馬車の中の荷物がガタガタと揺れ動き、未だに眠っている御者は、もはや荷物と同化していた。

 一方、クロエと銀はというと馬車が揺れたことになんら影響なく、というより揺れたことにすら気が付かず、ただ馬車が走り出したことを喜んでいた。


 天翔る馬。風を感じる。

 ブフルル……と息を切らしながら走る馬の速さを、國久はしばらく景色を眺めながら感じていた。



「嗚呼、御者の言う通り、普通の馬車引きに速さは期待できないな。もういい、このまま商市場に向かってくれ」


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