天翔ける⑴



 國久が社交辞令的に返すと、それにもかかわらずクロエはニコニコと嬉しそうに笑った。

 その笑顔の眩しさは、思いがけず國久の心を強く引っ張ったから、早々に背を向け、箱馬車の扉を開いた。



「もう一度、御両親に挨拶を済ませてから、乗って待っていろ。きっと、しばらくは忙しくなるから我儘言っても家には帰れない」


「う、うん!あ、はい!」



 國久はマーキュリー達からクロエの荷物を預かると箱馬車に乗せた。

 それから、クロエが両親に別れの挨拶をしているのをよそに、馬車の馬の方へ歩いて行った。


 馬は國久が近づくとブロロと息を吐いた。

 その身体をそっと撫でてから、徐に懐から短刀を取り出し、また何を思ったのか鞘からも取り出して、その刃先を馬の身体に刺さるか刺さらないかの距離まで近づけた。


 すると、その時、青色の閃光がクロエ達の方からすっ飛んできた。さらには國久が短刀を握る手に思い切りぶつかって、手の上にぺたりと"くっ付いた"。



「……ッ!?……嗚呼、お前か。何か用か?まさかお前はついてこないよな?嘘をついていなければこの地の精霊だろう?」


「……然り。我らが宝、クロエが決めタこと。記念に残滓は付けておくが、いずれ離れる。しかし、何か用かとは、素っ頓狂なこと申スな。お前がやろうとしていることを止めに来た、一体何を考えているノダ!」



 國久の手にくっついたのは異形のヒトデは、意外にも理性的で、クロエ達の団欒を邪魔しないよう声を抑えながらも強めに発言した。



「馬の速さが知りたい」


「それは知ってオル!馬を傷つけてお前が馬から敵対されないとならんのも、まあわかる。その珍妙な能力の仕様なのだろうが……それで、馬を使役しようというのダロウ?それも分かる!」


「そこまでわかっていて、なぜ止める?嗚呼、手綱による人の指示だけでは本能が引き出せないから、いっそのこと、馬を直接操ろうと思った、というのは説明すべきか?」


「……この街の中を爆走するツモリか!?」


「舗装されているから、"森の中"とは状況は異なるが……、この馬の実力を測るには十分だろう。それでダメなら、まあ、シエントに行くしかあるまい」


「……オオ、ヒトの子よ。お前は冷静に見えて、呆れるほど愚かよな。オロカで頭が痛くなる。……マア、我ラ頭はないのだが」


「じゃあどうしろと?」


「……オオ、そんなアホらしいことやめればいい、と言いたいところだが。お前に理解が及ばないところがあるとクロエに危険が及ぶ可能性がアるのでな。我らの手から離レタ瞬間に死んでしまっては余りにも哀れ。……我ラガお前に手を貸す。クロエの用事が終わったら、急ぎ、人払いをセヨ」


「……分かった。折角事が進んだのに、莫迦をしたら許さんぞ」


「……オオ、オオ。莫迦は貴様だ、莫迦!!」



 一通り話を終えると、異形のヒトデはペッと國久の足元に光線を吐いた。

 國久はその様子を咎めるよう睨んだが、手を貸すという神の気まぐれを無駄にしないためにも、ただ睨みつけるだけに留めた。



「じゃあ、クロエ。気をつけて。ササノ様の言う事はきちんと聞くんだぞ。失礼の無いようにな?」


「ええ、分かっているわ!パパもママも、私大好きよ!お手紙もたくさん書くわ!」



 國久が戻ると、クロエはすでに箱馬車に乗り込んで座っており、自分の荷物を抱えていた。マーキュリー達とは窓越しに会話をしていた。

 國久が近づいてきたことに気がつくと、クロエは「あっ」と声をあげてから、姿勢を正して座った。



「もういいのか?クロエも、マーキュリーさん達も。そろそろ出発する」


「うん……あ、はい!」


「お時間を取ってしまい申し訳ありません。……どうか、クロエのこと、我が最愛の娘のことをどうか、どうかよろしくお願いいたします」


「ああ。こちらが落ち着き次第、クロエには貴公らへ手紙を書かせよう。……まあ、内容は検閲することになるが、そこは許して欲しい。こちらも秘密にすることがある」


「いえ、手紙だけでありがたいです」


「ああ。では、お二人とも。どうぞ健やかに。奥様のお加減が良くなるよう、辺境の地にて願っております」



 國久は一度深く礼をしてから、箱馬車に乗り込んだ。その直後、箱馬車に関わるもの以外を排除する園を展開した。



「クロエ、早々で悪いが、少し実験に付き合ってほしい」


「え、あ、もうパパとママ、見えなくなっちゃったのね、あ……ですね?」


「"人払いをしろ"とのご命令だからな。……ああ、あと今まで通りでいい、そんなに畏まるな。世の中を知らない子供なんかに畏まられたって、私の調子が狂うだけだ。一度深呼吸して、その変なものを全部吐き出せ」



 國久がそう言うと、クロエはまたニコニコと笑った。それから、すう、はあ、と深呼吸をして、またニコニコと笑って言った。



「えへへ、私ね、少し苦しかったのよ。ありがとう、國久さん!」


「ああ。礼は良いから、お前はこれを着て、フードを被ってろ」


「あ、外套?まあ素敵!國久さんが選んでくれたの?でも、私外套より國久さんの着ている物がいいわ?だめ?」


「だめ。お前のその能力──"耽溺"と名付けるが、制御できるものなのか?」


「たんでき?なあにそれ?あんまり可愛く無いから……うーん、アンコウのヒカリが良いわ!アンコウって暗い海の中で光を照らして、みんなを元気にしてくれるの!」


「……名称はこの際どうだっていい。それで、制御できるのか」


「せいぎょってなあに?お魚?」


「……人間等をダメな感じに誑かすお前の能力を止めたりできるかどうかを聞いている。例えば、今お前の周りに纏わりついている精霊を追い払うことはできるのか?」


「……追い払うなんて可哀想!」


「わかった、もういい。その様子だと、制御などを考えたことは無いらしい。能力の状態を研究するのはギルディアに戻ってからにして、これ以上、そこな哀れな"馬車のおじさま"みたいにならないように、外套を着て、顔を隠しておけ。直接目にするよりは、まだ良いはずだ」


「……わ、私が、馬車のおじさまを寝かせてしまったってこと?私、そんなつもりじゃ……」


「嗚呼、お前のせいじゃない。お前を大事に想っていたこの男が私に手を出したから、私が反撃したまでだ。勘違いをするな」


「……そ、そうなの?國久さん、ケンカは良くないわ?」


「今は何とでも言うといい。だが、一つ忠告しておくと、これからお前が私と行く道は、決して今まで通り、平穏無事にはならない。だから、少しでも、争いを避けるためにお前は能力を制御する方法を見出すべきだ。それに他人の力が必要ならば、しばらくは、私が協力する」


「しばらくしたら、國久さんは協力してくれなくなるの?」


「……仲の良い友達を作るといい。おそらくお前が大人になったら、私のことを嫌いになるだろうから。嫌いにならないうちは、私が協力する」


「私、國久さんのことキライになったりしないわ?あ!"はんこーき"とかいうのが子供にはあるって聞いたことあるから、それのことかしら?きっとそれも無いから、國久さんは安心していいの!ちゃんとお行儀もよくするわ!」


「そうか。まあ、好きにしろ。と言っても、私の命令には基本的に従ってもらう。だから、さっさと、外套を、着ろ」


「ふふ、あいあいさー!社長!」



 クロエは元気よく返事をすると外套を纏い、すっぽりとフードを被った。

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