恋敵登場!⑵



「くく、あはっ、あはははっ!!」



 それから、大声で笑った。

 これには御者席に座っていた御者も驚いたようで、國久に声をかけてきた。



「おおっと……お客さん。僕がいることを忘れないでくれよ。そんなに倒れるようにして相当お疲れの様子で、なお爆笑されるとは、なんだか気味が悪い。……して、何かいいことでも?」


「え?嗚呼、はあ、いや、私に構わないでくれ。冷める」


「ええ……。ああもう、はいはい。んじゃあ、良ければお子さんの面倒を見ましょうか?」


「不要だ。……ところで、この馬はどのくらいスピードが出るものなんだ?」


「スピード?いやあ、競走馬じゃあるまいし、速さまではわからないな。パワーはあるとは思うけどって、なぜ?」


「じゃあ、軍馬が必要か。シエントなら、あるいは……」


「……お客さん、國久さんだっけ?さっきマーキュリーの御息女に名前を教えてもらったが、なに?お嬢さんのこと連れて行くつもりなのかい?」


「……」


「おい無視か。いや、何か言ってくれよ。ああそうじゃないと……、僕は……」



 タンッ──

 突然、短く銃が吠える。

 御者席に座っていた御者が、箱馬車の小窓から煙を吐く銃を國久に向けて構えていた。


 銃声は轟いた。

 しかし、その弾丸は、黒く蠢く文字に纏まりつかれて、空中に浮遊したままだった。



「……な、なんだ。あんた、何なんだよ!」



 御者は銃を持つ手を震わせながら、國久に向かって怒鳴った。

 一方國久は先ほどと同じ体勢で、箱馬車の座席の輪郭線に寝転んでいる。

 そして震えながら怒鳴る御者を鋭い目で睨みつけ、あからさまに敵意を向けた。


 この御者の狂気の原因について、國久には心当たりがあった。それは、クロエの能力による人を惹きつける力がゆえであり、國久がマーキュリーと話をする間クロエと接していた御者は、その毒気にやられてしまっていたのだ。


 人を狂わせる厄介な能力だ──と再度呆れつつも、國久は自身の能力を発動させ、御者が放った弾丸を寸前で止めたのであった。

 しかし、ほとんど反射的な能力発動によったため、御者席の近くで寝ている銀も結界に巻き込んだ。そのため國久は、銀に暴走する御者の注意が向かないように、わざと煽るような態度をとった。



「それはこちらの台詞だ。客に向かって問答無用で発砲とはどういうつもりだ。気でも違ったか、嗚呼、そうだろうな」


「……なにをわからないことを。僕にもわからないんだ!別に、お客さんを恨んじゃいない。でも……彼女のことを思うと!」


「あの子に恋をするのは無駄なことだ。未だ齢5つ6つ。お前とは釣り合わんよ」


「そんなの、ああ、そんなのって……!僕はどうしたら。どうしたらいいんだ!!」


「……貴公の苦しみは理解している。そして、仕事を依頼するとも約束した。だが、私だけの説得では少々分が悪い。悪いが、あの子が来るまでは大人しくしてもらう」


「な、なにを言っ──」


「"Repose(休め)"」



 國久が言葉を発すると、昨日誘拐犯を撃退した時と同じように、どこからともなく黒い文字が現れて、御者の身体に張り付いた。

 刹那、御者は意識を失い、手から銃を落とした。ゴツンと重いものが落ちる音と同時に、落下の衝撃によって銃が暴発し、タンッという音を響かせた。

 國久もそこまでは考えていなかったのか、思いがけず響いた銃声に対して少し身を縮ませ、座席に寝かせていた銀を急いで抱き上げた。



「……あ」



 抱き上げられた銀がキャッキャと笑う中、國久はもう一つ自分のミスに気がつき、御者席から倒れ落ちた御者の安否を確認すべく、箱馬車から飛び出した。

 御者席より頭から落ちた御者は箱馬車に寄り掛かるように、逆さまのまま気を失っていた。

 國久が御者の口元に手を当てると、ふうっと生暖かい息が触れる、それを確認した國久は肩を撫で下ろした。



「……書店前なら"使用する文字"に困らないが、網羅されているのは、時として誤りを生む。いや、元はと言えば"Reposeに死の意味がある"ことを失念していた私が悪いのだが」



 そう独り言を呟きながら、國久は御者が逆さのままでは辛いと思い、ひとまず舗装された硬い地面の上に根転がせた。成人男性を抱え上げてやる力はなかったため、箱馬車の客席に寝かせるまではできなかった。

 それから、暴発した銃を発見したが、これも銃の扱いには慣れていないことを理由に触らずに居た。



「しかし、行く先々こうも喧嘩を売られては仕方がないな。彼女に能力の制御ができれば……、いや、そもそも訓練することで制御できるものならいいが、そうでないのなら……。嗚呼、器量の良さも相俟って、悪い男に捕まるのは時間の問題かもしれない。……少しでも影響をなくすことが出来れば良いが、どうしたものか」



 國久は地面に寝ている御者を憐れみながら見つめる。……と言っても、相変わらず瞳は冷たいままであるが、仕事を任せると約束した手前、無意識とはいえ死に至らせるかもしれないという度が過ぎた反撃をしたことについては、きちんと申し訳なさを感じていた。


 だから、自分だけが箱馬車の中に戻ってクロエの支度が終わるまでくつろぐ……ということはせず、5分程は箱馬車に寄りかかりながら待っていた。


 しかし、クロエ達は戻らない。身支度と団欒に時間がかかると解した國久は、街並みの中にある一つの洋服店に目をつけ、そこへと向かっていった。

 店の中へ入ると、「いらっしゃいませ」と店員に声をかけられる。

 國久はそれを無視し、紳士服売り場で上等な外套を一つ、子供服売り場でもまた上等な外套を一つ手に取り、手短に会計を済ませた。

 会計の際、すぐに使用するという理由で店員にタグを切るよう依頼すると、「お子さんへのプレゼントでしたらラッピングも……」と提案されたが、「不要だ」ときっぱりと断り、買い物袋の利用も断って二着の外套を脇に抱えて店を出た。

 箱馬車の方へ歩いていると、丁度クロエが両親とともに荷物を抱えて古書店もとい家から出てくるところを目撃した。



「あ!國久さーんっ!」



 クロエは國久を見つけると、大きな声で名前を呼び、また大きく手を振った。

 すると、「こら、クロエ!」とそばにいたマーキュリーがクロエの手を掴んでやめさせた。またその後、何やらクロエに話している様子であったが、離れた位置にいる國久の耳には届かなかった。

 やがて國久が馬車の前に戻ると、それに合わせてマーキュリー夫妻とクロエが荷物を持って國久の元にやってきた。

 それと同時に、マーキュリーの妻が馬車の外で倒れている御者を発見し、少しの騒ぎとなったが、「嗚呼、一悶着あったんだ」という適当な説明をすると納得──というより、あまり関わらないようにと考えた様子であった。

 マーキュリーの手を借りて御者を箱馬車の中に寝かせると、ようやく場が落ち着いた。



「ねえ、パパ、馬車のおじさまは大丈夫だったの?」


「え?あ、ああ。そ、そうですよね、ササノ様?」


「寝ているだけだ。そのうち時が来たら起こす。して、用意は整ったのか?」


「は、はい。さ、クロエ。さっき話した通りに。ご挨拶しなさい」


「うん!國久さ……じゃない。えっと……」



 クロエはマーキュリーに手荷物を預け、スカートの裾を両手で摘み軽く持ち上げて、身体全体を沈めるように礼をした。



「……クロエ・マーキュリーと申します。どうぞこれからお世話になります。よろしくお願いします、"笹野社長"」


「嗚呼。ようこそ『アザレア』へ。クロエ・マーキュリー、貴女のように優秀な女性を迎えられることを嬉しく思う。歓迎しよう」

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