恋敵登場!⑴



「……それで、申し訳ないが、正直マーキュリーさんとの交渉でこのように嬉しい結果になるとは思っていなかった。そのため、契約書類一式を昨日すでにギルディアへ送ってしまった。だから、書類は後日でよろしいか」


「あ、ええ、私どもは構いません。……ただ、先程の金額については、うちで使っている様式で、簡易な方法でも良いので頂けると、助かります」


「分かった。サインのみでいいか」


「ええ、結構です。では……」



 マーキュリーは腰につけていた仕事用のポーチから手際良く領収書を用意した。

 そして念のため、國久にも紙幣の枚数を数えるよう依頼し、國久はそれに従う。


 しばらくの間は、國久が紙幣を数える音が響く。

 これほどの大金を目にし、自分で数えるのは初めてであった。ゆっくり慎重に数えたい気持ちと、嘘を吐いてまで──長としての見栄えを気にし続ける國久が、この期に及んで、"契約成立を想定していないから契約書一式をギルディアに送った"という事実は、あり得ない──用が済んだら、この場からさっさと逃げ出すために焦る気持ちが争いあっていた。



「……確かに。領収書はこちらに」


「はい、わざわざ、すみません。ありがとうございます」



 マーキュリーは小さな領収証を神への供物を扱うように両手で持ち、ポーチへとしまった。



「これから早々にこの街を発つが、用意が必要だろう。私は馬車で待っているから、準備が出来次第、出発する。……長いこと、離れて生活をすることになる。積もる話もあるだろう」


「……はい、承知しました。心遣いに感謝を。少し、お時間をいただきますね」



 國久とマーキュリーは部屋を出て、それから店の外へ出た。その途中、店番をしていたマーキュリーの妻に、クロエの一件を話すと、彼女はホッと、どこか安堵した様子であった。

 マーキュリーはそんな妻に対し、クロエの支度の手伝いを任せた。妻の態度についてはマーキュリーも思うところがあったようで、「決して、私も妻もクロエのことを疎ましいと思っているわけではないのです」と弁明する。


 その弁明について國久は「分かっている」と答えたが、実のところはよく分かっていなかった。

 理由は愛がどうのこうのではなくて、クロエに厄介な魔物が憑いていることは恐れて当然なのに、どうしてそれを取り繕うのか──國久には理解できない。


 國久達が店の外へ出てくると、真っ先にクロエが銀と共に近づいてきた。

 そして、國久の目の前で立ち止まると、何やらもじもじと恥ずかしそうにしている。



「なんだ?見たところ銀の世話はしっかりとやってくれたみたいだが」


「あ、うん。もちろんよ。あの、えっと、國久さん?パパから、お話聞いた?その、どんなお話したの?」


「企業秘密。私の口からは申し上げられない」



 國久はそっけなく言うと、クロエからベビーキャリーを外し銀を抱き上げ、馬車に向かって歩き出した。



「あ、ササノ様!こちらはどうしましょうか?」



 マーキュリーが銀色のアタッシュケースを見せながら問う。



「先に持って行っては、私がそれだけ持って逃げる可能性もあるだろう?出発の時に渡して貰えば……」


「いえ、ササノ様ならそのようなことはなさらないと確信しております。どうぞ先にお受け取りください」



 マーキュリーは國久よりも早く歩き馬車の前で止まった。それから國久が馬車に乗り込むとアタッシュケースを渡した。



「では、少々お待ちください。クロエに支度を……」



 それから馬車の扉を閉じようとすると、クロエがパタパタと駆け寄ってきて、マーキュリーの身体にしがみつきながら叫ぶように言った。



「く、國久さん!帰っちゃうの?あ、あの、私……!」


「こらこら、クロエ……」



 クロエはどうやら國久がこのまま帰ってしまうと勘違いしたらしい。それをマーキュリーが宥めると、さらに目に涙をためて、大泣きはしないものの、おもちゃをねだる子供らしくぐずり出した。

 その間、「いい子にしたし、お手伝いもしたの!」と話しているところに、マーキュリーがそっとクロエに耳打ちした。


 すると、クロエは表情を明るく変えた。



「ほ、ほんと?パパ、ほんとに、ほんと?」


「ああ。ママと支度してきなさい。昨日のうちに少しは用意しておいたから、後は本当にクロエが必要なものを持って行きなさい」


「え、えへへ!すぐに準備するわ!パパ、ありがと!」



 クロエはマーキュリーに礼を言うようにギュッと抱きついた。その間、チラと箱馬車の扉を閉じかけている國久を見つめ、ニッと笑った。

 それに対し、國久は肩をすくめ、顔だけをクイと動かして支度をしに行くよう促した。


 クロエはもう一度パタパタと駆け出し、古文書店基い家の中へと入っていった。


 國久はクロエが嬉しそうに駆けていく様子を、マーキュリーと共に見守り、そして箱馬車の扉を閉めようとした。しかし、ずず、とマーキュリーが鼻をすする音を聞いて、思わず手を止める。



「本当に構わないか。大切な一人娘だろう。……いや、正直、今更言われても、私もこの機会を手放したくはないのだが」


「……ははは、正直に仰ってくださりありがとうございます。ササノ様を裏切るようなことは致しません。しかし、いけませんね。あの子のためを思ってのことですが、少し寂しくて」


「ならば、貴公の信頼に私も応えねばならない。どうか、少しの間でも団欒を。私はここで待っている」


「……ああ、ありがとうございます」



 マーキュリーは再び深々と礼をして、店の中へと戻っていった。

 その様子をしっかりと確認すると國久は、箱馬車の扉を閉めた。それから、「はあ〜〜」と深く深く長い長いため息をついて、座席に銀を寝かせ、自分は殆ど倒れるように座席に腰掛けた。

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