奪われた子⑶



「國久さん。鍵ちょうだい!受付の人に渡してくるわ!」



 エレベーターの中でクロエが言う。

 國久は「ん」とクロエに鍵を渡した。エレベーターの戸が開くと、クロエはトコトコとエントランスの受付へと走っていく。

 その間、國久は正面玄関を出て、箱馬車の手配をした。



「ああ、お客さん!またお会いしましたね!って、今日は何やら大荷物、これからお帰りになるので?あと、その子は?お客さんの子かい?ははっ、似合わないなー!」


「……ああ、私もそう思うよ。それで、貴方の言う通り今日ここを立つのだがその前に寄らなきゃいけないところがある。半日ほど、借りられるかな?」


「ええ、代金を支払ってくれるならどこへでも!……って、お客さんね。流石に"俺は父親だ〜"って反論してくれればいいのに」


「別に、私が認める事実だ。反論する必要は無い」


「ははは、変わってんなあ。大体のお客さんが僕のこういう態度に対して腹を立てるってのに。でも、やめられなくてね。この辺じゃ僕は嫌われ者さ。そろそろ御者なんかやめて静かなところで暮らそっかなあ」



 愚痴を言う御者に対し、國久は特に言葉を返さない。

 御者が何もしないから、自分で荷物を箱馬車の中に入れようとすると、「あーやりますやります!」と國久から荷物を預かった。


 そうしていると、受付に部屋の鍵を返し終えたらしいクロエが國久の元へ駆け寄ってきた。



「あ!お馬さん!それに馬車!おとぎばなしのおひめさまね!」



 そう言いながら、クロエは馬を触ろうと近づいた。



「おっと、お嬢さん。その馬は仕事中だから触っちゃ……おや?お嬢さん、マーキュリー古文書店の御息女じゃあないか?」


「あら?馬車のおじさま、私のこと知ってるの?」


「知ってるも何も、お嬢さんはあの辺じゃ有名だからね。"可愛い"ってよく言われるだろう?」


「そうお?あ、國久さんは私のこと、ママみたいに素敵な女の人になれるって言ってくれたわ!だから、有名なのかも!」



 クロエが言うと、御者は少し訝しそうな顔をした。

 そしてふっと國久を見やり、言った。



「……もしかして、誘拐?」


「違う。むしろ助けた」


「……なるほど?すると行き先は彼女の?」


「ああ、マーキュリー古文書店まで、頼む。そのあと少し彼女の家で話をするから、その間は客を取らずに待っていてほしい」


「おお、なるほど。それは僕を選んで正解だね!客なんか来ないから何時間でも待てるさ。ただ、少しばかり駄賃は請求させてもらうよ?」


「……煙草代くらいしか出せんが?」


「ははは!そいつは良いや!見かけによらずケチなところが気に入ったよ」


「……誤解するな。今は無いだけだ。それに、"交渉"が上手く行ったら、貴公にも他の仕事を頼みたいと思っている」


「……そんな、畏まっちゃって。昨日今日会っただけの人間に何を頼むんだか?ま、今のところは冗談として受け取っておくよ」


「いや、冗談では……」



 國久が言いかけると、すでに箱馬車に乗り込んでいたクロエが「馬車のおじさま、はやくー!」と大きく手を振って、國久達を呼んだ。

 御者は「はいはい、お嬢様。ただいま参りますよ〜」と調子良く言って、御者席に乗り込んだ。

 続いて、國久も乗り込むと、間もなく、馬車が発進した。



 ……………………



 箱馬車はガタガタと揺れながらも、間もなく目的地へ到着しようとしていた。

 途中揺れに驚いた銀が泣き出したことにより、馬車の中での殆どの時間は銀を宥めていた。

 交渉のために、心を落ち着かせようと考えていた國久にとっては誤算であったが、元々は國久自身が能力をクロエに向けて使用したことが原因であるから、もう仕方がないと思っていた。


 クロエの両親に会い、ただ頭を下げるだけでいい。

 金品の請求があったら今は無いと正直に言う。


 國久は、そんなことを頭の中で反芻していると、どんどんと両手が汗で湿ってきた。

 何もせずに逃げ出したい──いっそのことこの箱馬車を出て、馬が歩く目の前で派手に転んでしまえば、と何度か願っていた。


 しかし、願いはついぞ叶えられず、箱馬車の速度がゆっくりになっていき、続けて──



「あ、パパ!ママ!ただいまー!」



 御者席に座っていたクロエの明るい声がした。

 クロエは馬車がゆっくりではあるが動いているのにもかかわらず、御者席からぴょんと飛び降りて、一足先に両親の元へと駆けていった。


 やがて馬車が停止するとともに、國久は色々な覚悟を決めて、ふうとため息をついた。

 そして御者が客車の扉を開ける頃には、國久はいつもの仏頂面になっていた。御者には降車すると同時に煙草が買える程度の駄賃を渡した。


 まさか本当にこれだけとは──

 と、御者は相変わらず國久もとい客に対して無礼を言うが駄賃を受け取りつつ、御者席に戻っていった。


 それと入れ替わるようにして、次はクロエの父親、マーキュリーが國久を迎えながら言う。



「おお、ササノ様……。おはようございます。まずは何よりも、クロエのことを預かっていただき申し訳ありませんでした。本当なら私どもが迎えにいくべきところだと思ったのですが、居場所がわからずで……頂いたお手紙の内容に甘えてしまいました」


「……ああ、別に構わない。彼女には子の世話を手伝ってもらった。ので、こちらとしては助かった」


「……それで、もう少し、いろいろとお話しをお伺いしたいので、立ち話もなんですから、中までどうぞ」



 國久が思っているほど、マーキュリーの態度は否定的ではなかった。尤も、それは國久の思い込みであって、クロエが昨日話した通り、マーキュリーは真に國久と今後について話がしたいのである。


 そんな思いをよそに、國久は、銀も居るし、迷惑になるから、などと話そうとすると、誰かが國久の羽織の裾を掴んでくいくいと引っ張った。



「國久さん、國久さん」


「ん?ク……お嬢さん、どうした?」


「あら、クロエでいいのよ?どうして急に……って、あ、パパの前だからって遠慮しているのね?ふふっ、國久さんたら、私たちもうそういう仲じゃ……」


「こら、クロエ。ササノ様に失礼なことを言うんじゃない!……も、申し訳ありません。すこし調子に乗ってしまっているようで」



 慌ててマーキュリーがクロエを叱る。

 するとクロエはさっと國久の背後に隠れた。そしてじっと國久の方を見つめて小さな声で「國久さん、國久さん」と呼んでいる。

 対応に困った國久は、マーキュリーの目を気にしつつも仕方がなく、クロエに背を合わせるように身をかがめ、小さな声でクロエに「なんだ」と問うた。



「國久さん、これからパパとお家でお話しするでしょ?だから少し銀を預けて欲しいの。私と馬車のおじさまでお世話するから。……ママは、だめなのよ。赤ちゃんが怖いから……」


「理由はわかるが……。お前、誘拐されかけておいてよくもそんなことを」


「お願いお願いよ!家の前で遊ぶし、何かあったら叫ぶし、いざと言うときは──」



 ピカ、ピカと2回ほどクロエの髪飾りのヒトデが明滅する。

 まるで「いざと言うときは、我々が子らを守る」とでも話しているような様子であった。

 ヒトデの正体を知っている國久は、このヒトデがクロエと銀を守る戦力としては十分であることは理解していた。

 そして、それでも子守をさせないと言うならお前の身体を介護が必要なくらいボロボロにしてやるというヒトデのクロエら"小さきヒトの子"に対する執着を感じた。



「……わかった。しかし、次こそ二人に危険があったら、たとえお前でも許さないからな」


「うん、わかってる!」



 國久はヒトデに向かって念を押したが、ヒトデの正体を知らないクロエが代わりに元気よく答えた。

 特に意味は違わないから訂正は行わず、ひとまずベビーキャリーをクロエに装着し、銀を預けた。


 銀を預かったクロエは「よしよし」と銀をあやしながら立ち上がり、箱馬車へ向かう。しかしその途中、何かを思い出したのかくるりと方向を変えて言った。



「パパ。……えっと、"よろしくお願いします!"」


「ああ、わかったよ」



 クロエが少し気まずそうに言う。

 また、マーキュリーも気まずそうに答えている。

 そしてもちろん、國久にはクロエが何をお願いしてマーキュリーが承諾したのかはわからなかった。



「……では、ササノ様。中までご案内します」


「……ああ」


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