奪われた子⑵



 起きた時は姿を見せなかったが、次に会った時は、クロエに"結界の中に干渉させる力"を施したことについて文句を言おうと思っていた。



「……嗚呼、よくもあんな恐ろしい真似を。クロエに私を害する力がなかったから良いものの……お前達、魔物はそうやって人間を怖がらせるのが楽しみ──」



 國久が言うと、ヒトデが光線を吐いた。

 軌道は國久から大きく外れて、足に当たるギリギリの所に着弾し、焦げつかせた。

 その焦げをよく見ると、"無礼者"という意味の言葉になっていた。


 どうやら、異形のヒトデは國久に"人を侵して楽しむ魔物と一括りにされた"ことを怒っていた。

 昨晩、そのような話をしたことは、國久も覚えているから"わかってやった挑発"である。

 ヒトデは次に侮辱したら「赦さぬ」と話したが、光線を外したのは、國久がヒトデにとって大切なもの、"小さきヒトの子"──銀を背負って居るからであった。


 そんなふうにして、しばらく睨み合っていると、國久の頭上から声が降りかかる。



「國久さーん、銀ー!おはよーう!」



 7階上のベランダから身を乗り出し、大きく手を振る少女が一人。



「く、クロエ!!あぶな──」



 そんなクロエの様子を見た時だけ、ヒトデと想いが一致した。國久は不謹慎にも、昨日あの場所から身を乗り出して飛び降りようとした自分を重ねて、クロエが落ちた瞬間を鮮明に想像して、声を荒げた。

 そして、ヒトデはというと、身を乗り出すクロエの元へ一直線に飛んでゆき、コツンとクロエにぶつかった。

 反動で後ろに倒れたらしく、國久からは一瞬見えなくなったが、やがてクロエが顔だけをひょっこりと出し、小さく手を振っていた。



「……すぐ戻るから、待ってろ!」



 ベランダから覗いているクロエにはそう言い残して、國久は足早にホテルへ急いだ。

 ホテルの玄関、エントランス、エレベーター、廊下、そして、ガチャガチャと部屋の扉の鍵をあける。

 國久がこんなにも急いだのには理由があった。確かにクロエのことが心配ではあったのだが、國久は先ほどクロエを目撃した時の格好について気がつくことがあった。


 扉を開けると、目の前で少女が仁王立ちをして待ち構えていた。



「お帰りなさい、"あなた"?ごはんにする?おふろにする?それとも──あ、國久さんやっぱり、普通のお洋服でも素敵ね!」


「……だれが、"あなた"だ?あと、どこで覚えたか知らないが、そんな変なことを言うやつは素敵な女性とは程遠い。……嗚呼、いや!そんなことはいい。クロエ?私は確かにメモを残したはずだ。"触るな"と。読めなかったか?」


「え?あ……、この上着の話?中のお洋服とズボンだけだと思ったの!ベッドの上にメモが置いてあったから!それで、とても良い香りがしたの!あ、どうお?似合うかしら?」



 國久の羽織を纏ったクロエはその場でくるりと回った。

 羽織の裾とスカートのひだがふわっとひらめいて、確かに可憐ではあったものの、クロエの悪戯に怒る國久は、のしのしとクロエに近づいて、その頭にゴンと軽いゲンコツを食らわせた。



「今までした悪戯は、ご両親に報告するからな」



 もちろん、クロエの両親との関係を気にする國久がそのようなことをするはずは無いが、怒りの意思を表明するため低い声で言った。



「えー!ごめんなさーいー!」


「許さん」


「あ、國久さんって、香水を使ってるのね!さっき荷物の中をこっそり見たのだけど……ママがね、男の人でも綺麗な人は香水使うって言ってたの!」


「……罪状追加。他人の荷物を勝手に開けるな。私は確かにお前に用事があって来たが、決して、家族や友人じゃないんだぞ」


「あ、昨日の牛肉ステーキ、國久さんのために残しといたのよ!」


「……お生憎だな、肉は好かないから要らない」


「あら、好き嫌いはよくないわ?」


「……、それはそれだ。と、とにかく、朝飯買ってきた。腹が空いているなら昨日のステーキと一緒に好きなもの食べるといい。9時にご両親と会う約束をしているから、8時30分にはここを出──」



 國久の言葉を聞かず、クロエは國久が持つ袋をひったくり、中身を確認していた。



「あ、アップルパイ!國久さんのは、この野菜いっぱいのやつでー、卵のパンは私が食べても良いのかしら?あ……でも牛乳は好きじゃないから、國久さんのね!」


「牛乳飲まないとずっと小さいままだぞ。素敵な女性になるのも遠くなったな?」


「うう……パパと同じこと言うのね。ずるいわ!大人は良くてどうして子供はダメなの?」


「大人には子供を導く義務があるからだ。義務を果たすためになんでもしなきゃいけない。好き嫌いするなら無理矢理食わせるし、罪を犯そうとするなら殴ってでも止める。……反対に、大人になったら大人の身体も行いも全て"自己責任"だ。よっぽど信頼関係がない限り、注意してくれることはないし、また仲が良すぎても、"個性"として見て見ぬ振りをする」


「──だからお前も、大人になって友達を選ぶときは、きちんと律してくれる者を選ぶといい。でないと、すぐにこれは間違いだって気がつけなくなるから」



 國久は銀をベビーベッドに寝かしてから、気持ちを落ち着かせるために椅子に座った。

 そして、クロエ──子供相手に思いがけず捲し立てるように言ってしまったことを少し後悔する。



「……えっと、國久さん。すこし、むずかしいわ?」


「嗚呼、申し訳ない言いすぎた。とにかく、飯を食え。あと羽織もアイロンをかけるから脱いでくれ」


「……はあい」



 クロエは降参したらしく肩をすくめる。

 國久のいう通り羽織を返した。


 トコトコと冷蔵庫まで移動し中の牛肉ステーキを取り出してから、机まで移動し椅子に腰掛ける。

 そして紙パックにストローを刺し、嫌そうに牛乳を飲んでいた。その間、異形のヒトデが冷えた牛肉ステーキを温めた。


 國久はその様子を確認すると、アイロン台の前に座りゆっくりと着物にアイロンをかけ始めた。

 一方、クロエはまずは温められた牛肉ステーキをペロリと平らげて、エッグサンドをもそもそと食べながら國久の様子をじっと見ている。



「……見られると、気が散るのだが?」


「國久さんって、本当は何をしている人なの?」


「……本当も何も、裏も表もないただの研究者だ。ギルディアという国で魔物の研究組織の1番偉い人……をやってる」


「1番偉い人って"社長"さんってこと?」


「まあ、この際肩書きはなんでもいい。そういうこと」


「ふうん。ねえ!銀のお誕生日はいつ?」


「……また唐突だな。11月だ、11月22日」


「そうなのね!じゃあきちんと覚えておかないと、お祝いをしてあげないといけないわね!」


「……そうだな」



 一年後の銀の誕生日、自分や『アザレア』はどうなっているだろう──

 ふと、漠然とした不安が國久を襲う。それを払拭するため、そして黙っているとクロエに國久のことを根掘り葉掘り聞かれてしまうため、会話の主導権を奪うべく國久は質問を切り出した。



「クロエ、歳は?」


「レディに歳を聞くなんて失礼ってママがよく言っていたわ!でも、もうすぐ6つになるの」


「もうすぐ6つ!?子供じゃないか!?」


「そう!子供!でも、早めに勉強もして、学校のテストもやったのよ!良い結果だって、パパもママも褒めてくれたの!」


「……"小学校受験"ってやつか」



 クロエの輝かしい経歴に驚き、國久はアイロンを動かす手を一度とめた。

 それから、『アザレア』にも"学校"の必要性を感じ始める。

 今後、『アザレア』が大きくなるにつれてはクロエのような子供も組織の一員として組み込むことになる。また、それ以外にも、ギルディアにおいては魔物や能力に関して基本的な知識を身につけることは重要であった。


 そもそも、もし仮にクロエを連れて行くことができたとして、5歳にして学校の試験を受けるような秀才に対し、教育を受けさせないというのは、どうかと思った。



「……そうか、学校か」



 組織すら成り立っていないのに、新たな問題が生まれるとは思わず、國久は額に手を当てて悩んだ。

 ……いよいよ、王家の末妹に頭を下げる必要が出てきたかもしれないと思い、まずは彼女が國久の故郷のどこに住んでいるかを探すことから始めなければならず、さらにそれを行うには、距離を置いていたギルディア王家にもコンタクトを取る必要があった。



「國久さん?どうしたの?頭いたいの?」


「……いや、大丈夫。もっと、稼がないと」



 ただでさえ旅費交通費、通信費が尋常ではないのに。

 しかし、今思い悩んでも仕方がないと、國久はアイロン掛けを、再開した。



「それで、学校には通うのか?」


「ううん?行かないわ?」


「何……?言っておくが、小学校受験には色々と金がかかるんだぞ?無駄にする気か?」


「あら?國久さんがお手紙を送ってきたんじゃないの?」


「え」


「本当はもう入学しているはずだったのだけど、國久さんからお手紙が来て、パパとママが、一回話を聞こうっていって、入学式はまだなの」


「……よし、この話はもうやめよう」



 羽織のアイロンをかけ終えてから言った。



「やめちゃうの?だから、パパが、國久さんが居なくなって困ってて、私が探しに来たの」


「う……。それは、そうだな」



 小学校の入学を保留にしてまで出会った組織の長が、実際は娘に危害を加える強盗で誘拐犯。

 國久は途端に時間が経つのが怖くなった。心なしか、アイロンを掛ける手がずっしりと重たくなった気がした。


 それからは、特別な会話は行わなかった。

 ただアイロンで着物のシワを伸ばしながら、クロエにありきたりな質問をするだけである。会話の主導権を握らせないためだけの質問類ではあったが、クロエは楽しそうに答えた。


 そうしてアイロン作業を終えた頃、時刻は8時になっていた。國久は一張羅に着替えてから手首に香水をつけた。

 クロエにも付けてみたいとせがまれたが、「娘が帰ってきたときにパパが悲しむからやめなさい」という、クロエにとっては意味のわからないことを言って断った。


 続けて、銀を抱きながら大荷物を準備している國久を見て、クロエが問う。



「國久さん、もうここから居なくなっちゃうの?」


「ああ。何せ心配事とやることが色々できてしまったからな。お前を無事に送り届けて、ご両親と少し話をしたら街を出る」


「ふうん、そうなんだ!」



 少しクロエの反応が明るいように感じられて、國久は、彼女の両親が、本当は怒っているのだと、自分を疎ましく思っているのだと確信した。

 クロエもこうして明るく振る舞っているが、内心は、國久のことを好いていないのだ、とも。



「……よし、お前の分も含めて料金は支払った。あとはエントランスに鍵を返すだけだが、忘れ物は?」


「無いわ!何も持ってきてないもの!」


「……そうだったな」


「國久さんこそ、忘れ物はなあい?鍵は持った?銀は持った?カバンと、あと"煙の棒"は?」



 5歳の子供に、30歳の男が忘れ物確認をしてもらうとは、國久は複雑な気持ちになった。

 しかし、忘れ物をしてしまってはさらに効率が悪いから、彼女のいう通りそれぞれ荷物の最終確認を行なった。

 忘れ物をしていないことを確認すると、國久と銀、そしてクロエは部屋を出た。

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