異形の海星⑵


 結界を解くと、國久のぼやけた視界の中には、星の形をした光があった。まともに見えていないはずであるのに、先の出来事を思い出したため、光から目を逸らした。


 光は國久を嘲笑っているのか、ピカピカと瞬き、一足先に部屋に入っていった。

 皮肉なことに、その星形の光が一時的に視力を失った國久の道標となっていた。そしてどうやら、光──異形のヒトデも、國久を憐れんでいるのか、時折ピカピカと発光しながら部屋を進んでおり、ベッドまでの案内をしているようだった。


 異形のヒトデの介助もあり、國久はばたりとベッドに倒れ込む。

 それから、國久は「あっ」と声をあげ、買ってきた特製牛肉ステーキの存在を思い出した。

 異形のヒトデと対峙した際、落として駄目にして、部屋の前に置いたままにしたかもしれないと考えていると、ベッドから離れた位置から、ガサガサとビニール袋が擦れる音を聞いた。


 身体を少し起こして、使えない目をどうにか凝らして見ると、異形のヒトデが、テーブルの上にビニール袋を置いている瞬間を見た。

 あのヒトデのことだろうから、ダメになったものを子供達に渡すとは思わないため、クロエ御所望の夕飯は無事であったのだろうと理解する。



「……ん?くにひさ、さん?」


 ガサガサという音によってクロエが目を覚ました。


 クロエは、國久が買い物に行ったあとしばらくは銀の世話をしていたが、その後数分で眠りに落ちてしまっていた。

 本日は國久含む多くの人間と出会い、"愛を与える"ことになったため、無意識のうちに、いつもより多く体力を消耗していた。


 クロエは未だ眠いのか、目をこすりあくびをしながらもトコトコと國久が寝転がっているベッドまでやってきて、國久の隣、向き合うようにして寝転がった。


 國久は、視力が馬鹿になっていながらもその行動にぎょっとして寝返りをうち、クロエから目を逸らした。



「國久さん、どうしたの?疲れてるの?でも、お風呂にも入っていないし、歯も磨いてないし、お洋服もそのままだわ?」


「……テーブルの上に弁当があるから勝手に食べなさい。私は3時間くらい、銀と一緒に園の中で寝る。風呂も飯も、着替えも起きたら──」


「お弁当!わあ、牛肉のステーキ!あれ?でも一つしかないわ?國久さんは、これ?だめよ、お菓子なんか!」



 クロエは國久の言葉を最後まで聞かずに、真っ先にテーブルの前に移動し、椅子に座った。

 それから、牛肉ステーキが1つと携帯食料という組み合わせを見て言う。カタカタと、携帯食料の入った箱を振って、國久の栄養不足を訴えた。



「大人になったらそれでも良いんだ、子供のお前にはまだわかるまい。今度ご両親にでも聞いてみろ」



 そうしたら、私が嘘吐きということがわかる──

 國久はそんな返答を胸に秘め、クロエの活発さに疲れて、深くため息をついた。



「ふうん、それなら早く大人になりたいわ。ママみたいな、素敵な女の人に!」


「……嗚呼、お前なら、それは間違いない」


「ほんと!?私、ママみたいになれる?」


「なれる、なれる。……それじゃあもう寝る。"訳あって"お前は結界から除外する。おそらく私と銀の姿は見えなくなるだろうが、3時間後、目を覚ました私に叱られないくらいにおとなしくしていろ。銀の世話は私がする。……部屋の中なら自由に使っていい」


「はあい」



 クロエが素直な返事をすると、國久は"赤き園"を展開した。園の中は静寂に包まれており、間もなく國久の身体の修復が始まった。

 文字の力に身を任せていると、また、キャキャと、銀の笑う声がした。



 一方、此方赤き園──結界の外側で、クロエは國久が周りの景色に溶け込んで見えなくなる様子を目撃していた。



「……本当に消えちゃった。あのお花畑の中はすごいのね」



 そうつぶやいてから、クロエは目の前の牛肉ステーキに手をつける。



「冷たくなっちゃった。温める方法は……」



 キョロキョロと辺りを見渡す。

 まだ幼いクロエにとって、"食べ物を温める"と言ったら火を使うことであったが、このホテルの一室にキッチンの類はなかった。


 仕方なく、冷えた弁当の蓋を開ける。

 すると、クロエの頭にくっついていたヒトデの髪飾りがピカピカと明滅した。それが合図であったのか、閉じられた窓の方からふわっと淡い赤色の光が現れる。



「あ、新しい子ね!こんにちは!」



 赤い光に向かって、クロエは明るく挨拶をした。

 すると赤い光はパチパチと炎にくべられた薪が燃えるような音を立てた。

 2、3回左右に揺れ、まるでクロエに近づくことを恥じらうようにしていたが、やがてそっとクロエに近づいてきて牛肉ステーキの中に溶け込んだ。たちまち、牛肉ステーキから湯気が立ち、クロエが触ってみると、適度な温かさになっていた。



「わあ、すごいわ!ありがとう!」



 クロエは、少し大きめに切られた牛肉ステーキにフォークを刺して、ぱっくりと口に運ぶ。少し噛むのに苦労したものの一切れを食べ終えて、また一切れを口に運び「ん〜!」と感嘆する。

 そうこうして、残り二切れとなったところでクロエはフォークを置き、弁当に蓋をしようとした。

 それを見たヒトデの髪飾りは「食べないのか?」とでも言うようにピカピカと光る。

 クロエにもヒトデの声は理解できていないが、普段野菜を残そうとした時と同じように光っていたから、なんとなくヒトデの言わんとすることを察した。



「嫌いだから残してるわけじゃないの。國久さんや銀が起きた時に、食べるかもしれないでしょ?私、お姉さんだもん、我慢するの!」



 好きなものを、他人に分けるために我慢する。

 そんなクロエの行動に感心したのか、ヒトデはまた発光し、ざらざらとした触りごごちの触手でクロエの頭を撫でた。



「さて、お姉さんには、もう一つやらなきゃいけないの!ねえ、國久さんのこと、"貴女"には見えるのかしら?」



 ヒトデはクロエの質問に答えるようにピカピカと光る。

 そして、"誰もいないベッドの上"──國久が寝転がっていた場所まで移動すると、一際まばゆく輝いた。

 すると、暗闇の中で光に照らされたものが何であったか判明するように、結界の内にあるはずの國久が現れた。



「わあ!すごい!」



 クロエがぴょんと跳ねる。

 一方國久は動かないまま。やはり結界の中で眠っており、クロエが声を上げても起きる様子はなかった。ヒトデは結界を解いたわけではないらしい。──この異形のヒトデは國久がどうして結界の中で眠る必要があるのかを理解しているから、たとえ結界を解くほどの強力な力を持っていても、あえて"結界の中に干渉する力"を使うに留めた。

 尤も、結界の中の術者に何の違和感も感じさせず、術者の身体に触れられる様にする力の方が、國久にとっても、数少ない結界を扱う能力者にとっても、否、もはや全ての能力者にとっても、とてつもない脅威であるのだが、この穏やかな空間においては"些事"である。


 さて、ヒトデが光を放ちながら、ペタンと國久の顔にくっつきうねうねしているのを見たクロエは、結界の中の國久に自分も干渉できると悟る。



「もー、"あなた"!疲れているからと言ってそのまま寝てはいけないわ?」



 クロエはトコトコと國久に近づいた。

 それから、念のため本当に触れるのかどうかを確認するため國久をツンと突いてみると、一瞬水の中に指を入れた時のような感覚がした後で、指先が身体に触れた。

 それを良いことに、「仕方ないわね!」と言いながら、右足に履いている草履を脱がせ、次に足袋を脱がせる。脱がせた物はヒトデが放つ光から外れると見えなくなるから、結界からすり抜けるというわけではないらしい。


 そうして、"良妻ごっこ"を始めたクロエであったが長くは続かず、袴の腰紐を解いたは良いものの、クロエが大人一人の身体を持ち上げられるはずもなく、加えて、クロエ自身も、早くもごっこ遊びに飽きたのか、國久から離れ、窓から外を見つめた。



「パパ、ママ……」



 一人部屋の中で暗くなった外を眺めながら、クロエは寂しそうに呟いた。



「……ママは、私が居ない方がきっと楽なのよ。下の子ができて、きょうだいができるって思って、いっぱいママと練習したから。私を見るたび、それを思い出してしまうの」


「私の期待に応えれなかったって、きょうだいを守れなかったって、思い出してしまうの。だから──私、決めた」



 クロエは再びテーブルの方へ戻り、椅子に腰掛け、置いてあった紙とペンを使って、何かを書き始めた。

 書き出しは、"パパへ"──父親に宛てた手紙を書いていた。



「お手紙、また届けてくれる?」



 クロエの問いかけに、ヒトデは「もちろん」と言うようにピカピカと輝いた。


 静かな空間の中。

 手紙を一生懸命に書く音だけが、よく響いていた──


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