異形の海星⑴
國久は早々に部屋を出た。
そのままエレベーターに乗り込み扉が閉まってから、また鍵を持ってくることを忘れたことに気がついたが、しっかり者のクロエが部屋に居ることに一応安心し、取りには戻らなかった。
エレベーターで一階まで降り、売店に入る。
惣菜コーナーを覗くと、"ホテルビュッフェの特製牛肉ステーキ※数量限定"が、二つだけ残っていた。
クロエの能力は好きな食べ物までも惹きつけるのではないかと、謎めいた運命的なものを感じた。
しかし、値段に至っては國久の運命に帰属するのか、決して優しくなかった。それどころか一つ買っただけで、夕食費予算の殆どを占めていた。
仕方なく、國久は特製牛肉ステーキ一つと安い携帯食料、そして水の入ったボトルを2本購入し、エレベーターに乗った。
部屋に戻るまでの一人の時間は、明日、クロエの両親に会ってから、どのような話をしようか考えていた。
クロエが話の途中で手紙を書くと言い出したから、深く聞けていないが、クロエの両親は、國久のことを特別悪く思っていない様子であった。
であるならば、まだ、話し合いの余地がある。
手ぶらでギルディアに帰ることがなくなるかも知れないと思うと、何となく、部屋に戻る足取りが軽くなる。
今のうちにクロエとの交流を深めておけば、"彼女を『アザレア』の研究対象としてギルディアに連れて行きたい"という交渉が、できるかも知れないのだ。
それは、國久が求めていた最良の成果。
『アザレア』という無名の組織の人集めをするのに、彼女の"求心力"は、好都合であった。
そうして、國久は部屋の前に戻り、扉をノックする。
しかし、しばらく経っても鍵をあけないから、「クロエ?開けてくれ」と声をかける。
沈黙の時間が長くなるにつれて、國久の心がざわついてくる。
「クロエ、私だ。扉を開けろ」
──返事はない。
嫌な思考がよぎる。
また拐われただなんて、馬鹿な。ここは人が行き交う通りではない。ホテルの7階、普通は簡単に侵入することは不可能である。そう、"普通は"──能力者であれば話は別だ。
クロエを拐おうとした大男を思い出す。
あの男も見かけによらず、精神操作系の能力者であった。あの男は國久が彼の能力を"還した"ことによって、一時的には國久の支配下にあったが、永久的ではない。どこかで気を取り戻し、國久に恨みを持ち、"仲間"を使ってこの7階までクロエを拐ったのではないか。
……ホテルマンなどもあり得る。
ルームサービスに来た従業員が、対応したクロエの"毒気"に酔わされたとか。
さまざま考えても仕方がない。
とにかく中に入るため、鍵を用意しなければ──
國久はまた、鍵を置いてきたことを後悔した。
急いでエレベーターに向かおうと踵を返すと、背後で、"カチャン"と鍵のあく音がした。
──嗚呼、彼女特有の悪戯か。
ほっと安心する前に、國久は余計な心配をさせたことに怒り、声を荒げた。
「クロエ、お前!やって良いことと悪いこ──」
刹那、國久めがけて何かが飛んできた。
避ける間もなく、何かが國久の顔に引っ付いた。
5本の足をうねうねとさせて、足の先にある触手もうねうねとさせて、國久の口を塞ぐような仕草を見せる──姿を持たない精霊と言われる割には、その"ヒトデ"の触感がリアルで、國久の背筋をゾッとさせる。
「んーッ!?」
しばらく、國久はヒトデと格闘する。
そして人差し指と親指で5本足のうち1本を掴み、引き剥がした。
「……ぶはっ、くそ!なんだ、気持ち悪い!」
ヒトデはクルクルと回りながら、宙を浮いている。
そして、國久が気持ち悪いと言うと、ペッ、とまるで唾を吐きかけるように、光線を放った。
光線は國久の足元に着弾し、カーペットを少し焦がしていた。
「……貴様、次それやったら──」
結界に入れてやると脅す前に、ヒトデは2撃目を放った。
國久はそれに対し負けじと、ヒトデを対象に取り、"赤き園"を展開した。
「……クロエのお気に入りかは知らないが、容赦はしないぞ。魔物──ッ!?」
宙に浮いているヒトデを睨んでいた國久は、突如、激しい吐き気を催し、口を押さえる。
そして堪えきれず、吐いた。空っぽの腹から出てきたのは胃液だけであったが、吐いても、えずきが止まらない。それに加えて酷い頭痛、立っていられないほどの目眩──まるで40度以上の高熱を出した時の感覚であった。
國久は自身の体調不良に関して能力の使いすぎを疑ったが、まだ感覚的に余力はあったはずだった。
少なくともギルディアで魔物の暴走を抑えた時と比べたら無理な能力の使い方をしていなかった。
原因は他にある──そう思って、重たい頭を持ち上げると目の前に"異形のモノ"が、一瞬だけ見えた。
全容を確認する前に、"赤き園"の防衛本能が働き、黒色の文字が國久の両目を潰した。
國久はその場に再び倒れ込み、痛みに悶え大声で叫んだ。園の中で待てば目は回復するが、痛み自体を抑えることはできない。
しかし──、國久の目を潰すことこそが、國久を守るための最善策であった。今、國久の前にいる異形のモノは、それほどの存在だった。
「我らを直視しテモ、気をやらないとは──ヒトの子にしては良いモノを持ってイル」
自分で自分の耳を劈くほどの大声で叫んでいるのに関わらず、声が耳元で聞こえる。
その声を聞いた瞬間──また防衛本能が働いた。
両耳にアザレアの花の木の細枝が入り込み、鼓膜を破いた。耳に痛みを伴うが、すでに両目の痛みと、その痛みによる熱さが感覚を國久のおかしくさせていた。
「オオ、オオ──我々が干渉してはお前の身が保たぬらしい。サテ、如何しよう?」
耳が機能していないはずなのに、國久の耳には声が届いていた。
このことから、國久はこの異形のモノが自らの"精神"に介入していることを察した。そんな時──赤き園の"防衛本能"が次に何をしてくるか、考えるだけで怖くなっていた。
一方異形のモノは、そんな國久をよそにざわざわと会話をしているようであった。
会話の内容はわからない。
人の言葉ではないことは確かで、そしてあのヒトデの5本腕にある無数の触手──"うねうね"くらい、大勢の声がしていた。
どうして、この大勢の声について、國久が例のヒトデの触手を連想したのかは──なんとなく察しがついた。
「……なぜ」
「オオ、ヒトの子よ!我々と言葉を交わすノカ!次は、己が力に舌を切られるか、喉を潰されるか──オオ、オオ、ヒトのカラダは複雑ニシテ難儀!」
異形のモノの言う通り、國久が言葉を発すると、"防衛本能"が働いた。黒い文字と、細枝と、景色の輪郭線が、舌を切り落とそうと、喉を潰そうと向かってきた。
それを、國久は自らの手で防いでいた。
正確には、自らの腕に噛み付くことで、文字たちの口の中への侵入を防ぎ、もう片方の手で、喉を守るように首を掴んでいた。
「オオ、健気──。良い良い、発言を赦す。いや、それでは余りにも、ダ。ならば我々直々に、お前の抱く疑問に答えてヤロウ」
「──なぜ、こんなこと、とは?オオ、オオ。理由は単純明快。部屋の中で子らが寝てイル。そこでお前が大声を出したら、目を覚ましてしまうだろう」
「──そんなことで、とは?オオ……"そんなこと"などではない。子らの成長には、眠りは必要不可欠である!」
「──クロエに従う理由、とは?オオ!我々は宝に従っているのではナイ。子守をシテいるのだ!我ら、お前のような大きなヒトの子は好かぬが、小さなヒトの子は庇護する対象である。其は、お前の子とて変わりはナイ。……"お前と違って"、等しく愛するのダ」
「──邪なる神、とは?オオ……我らのことか。我らの眷属たるモノ共に、お前やお前の仲間が何をされたのかは噂により知るトコロではある。しかし、其を理由に我らを同一として見るのは愚かナルから、改めよ。次は赦さぬ。ただ──確かに、この姿はヒトを侵すだろう。ゆえ、お前には申し訳ない」
「──ならば何者か、とは?オオ、オオ!其はお前の感ずる通り。我ら、この地の精霊。神と呼ばれることもありし。が、この通り見た目が悪く、ヒトの子からは恐られる。そんな我らを恐れず、愛を与えたのが、クロエである。まあ、愛については素質であり、其に我らが惹かれテイルことは事実である」
「──私のこと、とは?オオ、お前のことをどう思うかとは、おかしなことを聞く……否、お前を襲った理由を問うているのか。二度目は先に話した。一度目も単純明快。小さきヒトの子を傷つけてはならぬ。たとえ邪悪であろうと、"不要であろう"と、決して傷つけてはならぬ。いつかどこかで、幸福になるベキである。大きなヒトの子とは、そもそも価値が違う」
「──最初は、小さき子を大切にしなかったお前を殺そうと思ウタ。が、お前には、小さき子を害したにも関わらず、"後悔がない"。最初から、其が当然であったということしか感じぬ。……我ら、其の扱いに困っておるため、即時処断をしなかった」
「──そして、我らは等しく小さきヒトの子を愛するから、クロエが拐かされそうにナッタことを知らぬのだ。……ちょうど、お前の子を見ていた。よく笑う子であるな。良キことである」
「──サテ、我ら不在の間、お前はクロエを救った。其は称賛と、我らの信頼に値する。ゆえ、クロエの世話を赦した。……が、子の眠りを邪魔するのは、悪である。そこは反省せよ」
「──兎角、我らはクロエが望むように、お前と共にあることを望む。何やら、母に対する優しくも悲しい思いがあるらしい。……子を悩ませる親は悪である。処断を検討しているが、ドウ思う?」
──あの母親に関して、クロエが何を思っているのかは知らないが、きっと、母親が亡くなればクロエが悲しむから、やめておけ。
異形のモノと國久の──とはいえ國久は自らの能力から身を守っていたために、ほとんど一方的な会話が繰り広げられた。
そして、異形のモノの最後の問いに対して、國久が思考を返すと、「クカカ──、其は当然」と声が聞こえ、ふっと國久の身体と、防衛本能によって國久の舌と喉を狙っていた文字達の力が軽くなった。
そうして、徐々に國久の身体の修復が始まる。
1時間ほどの時間をかけて、両目のと右耳の修復が終わったが、視力が戻らず、視界がぼんやりとしたままであった。
完全な視力と聴力を取り戻すにはもっと時間を要するが、ひとまず結界を解き、クロエと銀が居る部屋に戻ることとした。
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