失敗⑴



「あら、お帰りなさい」



 騒動の後のこと──

 國久はマーキュリー古文書店を逃げるように出てきていた。それも、わざわざ結界を構築し直し、結界の中を歩き、誰の目にも留まらぬように。


 そして、早々と馬車に乗り、ホテルの一室まで戻ってきていた。國久を出迎えたのは、息子の銀のベビーシッターであった。彼女は國久からシッター代を受け取りながら、ミルクの作り置きが冷蔵庫に3本あるということと、「子育てがんばってねおとーさん!」と陽気に伝え、ホテルを後にした。


 レンタル品のベビーベッドの上に設置されたベッドメリーがカラカラと回る。それからキャッキャと笑う声がした。



「……また、一からだな。果たして、お前がでかくなる頃に、友達を作ってやれるかな」



 國久の声を聞くと、銀はまた嬉しそうに笑った。

 この先、國久とともに呪われた人生を歩くであろうに、この子は、"赤ん坊の頃から"よく、笑っていた。



「……少し、吸ってくる」



 生後数ヶ月の赤子から返事があるわけでもないが、國久はそのように伝え、煙管ケースとライターを持ってベランダに出た。


 外は夕日に染まっていた。

 地上から7階の高さで、景色もそれなりによく、風も強くない。煙を吸いながら今日の失敗を反省しつつ、明日を不安に思いながら黄昏るには、ちょうど良い気候と風景であった。

 ベランダの手すりに寄り掛かり、煙管の火皿に葉を詰め終えると、ライターで火をつけた。


 ある時から、國久は紙巻煙草をやめた。

 理由は、情けなくもコスト削減のためである。紙巻煙草にくらべて単価が安く、多少手間がかかるから、吸う回数、本数も減ると"思っていた"。

 ただ、実際は紙巻煙草よりも味が良いと感じたために、中毒性は増し、量を減らす気はどうにもならなかった。

 もう一つ煙管を選んだ理由は、"見栄え"である。

 紙巻煙草よりも、少し裕福そうに見える。高貴そうに見える。

 本当は空っぽな自分を良く見せるには、見た目や所作、言動などを"良く演じる"ことが低コストで、手っ取り早い。


 その結果──國久は、"ササノ様"などと呼ばれるくらいには、人からマトモに見られるようになっていた。彼が元々自殺志願者だったということは、もはや見た目からは誰も思わない。


 しかし──今日はその成果を無駄にした。

 何も無い國久を好意的に思い、ギルディア特殊能力研究機構『アザレア』という"ガワ"だけの組織に協力を申し出た者達に対し、危害を加えた。


 実際、あの一家の状況──クロエという娘が能力によって魔物の類を引き寄せている状況が危険だったとはいえ、國久が現れなければ、彼女達は平穏に暮らせたのだ。

 そこに恐怖感を与えてしまったのは、他でもない魔物と、クロエの"求心力"を極端に恐れてしまった國久であった。

 事もあろうに、國久は幼気な少女を、無意識ではあったが敵と見做し、攻撃した──攻撃が到達する前に急いで結界を解き未遂には終わったものの、その事実は変わらない。


 クロエの両親からは協力を断られることは間違いない。

 そうだろうと思って、國久は早々にマーキュリー古文書店を出て、煙を燻らせている。


 とにかく──

 数多送りつけた手紙のうち唯一返ってきた案件を棒に振ったのだ。一旦状況を整理するためには、一度ギルディアに戻る必要がある。数日かけてこの地まで来て、何の成果なく村に戻ったら、何を言われるか。或いは──



「あんな村、無くなっているかもしれないな」



 くっくっと、煙を吐きながら一人で笑う。

 何が面白いのかは國久にもわからない。笑いどころが変だということは、まだずっと若い頃に言われていた。誰に言われたのかは、もう、少しも覚えていない。思い出す必要もない。


 國久は、こうして一服し終えると、煙管で夕日に一線を書くように動かして、風の中に灰を流してしまった。

 いつもは人目を気にするし、"えらい人"を演じるために灰皿を使うが、この時は自棄になっていた──とは言わないけれど、ただ少し、本当なら早々に解放されるはずだった人生から、"外れてしまいたい"と思っていた。


 そして、ふと、ベランダの手すりから上半身だけを乗り出して、下階を見る。下は、舗装された道だった。夕飯時、買い物目的の人々が行き交っている。



「……高さは、十分。頭から落ちれば死ぬ」



 國久は、呟いた。

 特別に死ぬことを意識してこの階数を選んだわけではないが、只今ちょうど、死装束として選んだ一張羅も身につけているし、これなら、"飛んでも良い"──そんな気持ちになった。


 身を乗り出しながら、行き交う人々を眺めている。

 誰かに当たってしまうのは申し訳ないから、人の流れを見て、流れが途切れた時──今、今、ああ今だ。


 その"タイミング"は、何回か訪れる。

 その度にどんどんと國久の身体が前へと乗り出していった。

 道ゆく人々は、まさかこれから物──人が落ちてこようとしているなどとは思わず、笑顔と、言葉を交わしている。


 誰も、國久を見る者はいなかった。

 一人を除いては──



「あ!」



 少女が、下から國久を見ていた。

 そして、國久を見つめて嬉しそうに笑い、頭に付けていた星型──もとい"ヒトデの魔物"の髪飾りを手に取って、國久に見せるように掲げた。



「おじさまー!ほら、うねうねー!見えるかしらっ?」



 階下には雑踏に混じって、一際心を惹かれる少女──クロエがいた。

 その求心力は周囲を歩く人間も同様なのか、一人で國久を見つけてはしゃいでいるクロエに注目が集まっていた。


 ああしかし、道ゆく人は、決して夕飯の食材を買い求める主婦だけではない。そして、このホテルがある地域は、この国の中では治安が悪い方だ。

 夜が近づくにつれて段々と目を覚まし始めた獣は、少女に酔わされ、理性を失う。



「……?おじさま達、どなた?い、いやよ?私、上のおじさまに用事が──」



 ──は、離して!


 そんなクロエの叫びは、彼女を抱えて連れ去ろうとする大男に塞がれた。

 それからクロエはまるで薬でも飲まされたかのように気を失ってしまったようだった。



「……待て!!」



 國久はさらに身を乗り出して、ベランダの手すりを蹴って飛んだ。

 おおよそ地上20メートル、先ほど國久が見立てた通りこの高さから人が落ちれば普通はただでは済まない。

 ならば、國久が死にに行ったのかといえば、そうではない。純粋に、自分を訪ねてきた顔見知りの少女を助けるためであった。


 身体が地面に落ちるまでの3秒間。

 彼女を攫う男を"対象に取った"。


 瞬間──景色が"赤き園"へと変化する。



「な!?」



 突如景色が変わった世界に大男が驚いたのか足を止める。

 同時に、7階から飛び降りた國久が地面に着地する。

 着地の寸前、國久の足元には"衝撃を和らげる意味"の単語が緩衝材となっていた。



「……貴様、その子を連れてどこへ行く?」


「……はあ?って、てめえ、どこから出てきやがった。このわけわかんねえのは……てめえの仕業か!!」


「だったら、何だ?」


「……何だ、だとお?余計なことしてんじゃねえ、邪魔すんだったら、仲間呼んでてめえも道づれだ!……へへ、この状況見たところじゃ、あんたも能力者だろ。しかも、結構レアものの。このガキだってそうだ。お前達みたいなのは、高値がつくんだ」


「……」


「おいおい、少しは動揺しろよ?てめえがどんな能力者だかは知らねえが、俺だって能力者だ。しかも『精神操作』のなあ!俺の手にかかりゃどれほど屈強な相手だって手中に落ちる。そういう奴らを売り捌くのが俺の仕事よ。……って、お前、何一服しようとしてんだ!?俺の話聞いてたか!?」



 大男が苛立ち声を荒げるとおり、國久は再び煙管に葉を詰めて火をつけていた。

 一度口に煙を含んだところで、「能力者、か」と意味ありげに、煙を吐きながら呟いた。今の國久には、少しでもこの国に来た成果を持ち帰りたいという欲しかなかった。



「貴公に提案申し上げたい。私の元で働く気はないか?」


「は、はあ!?そ、そんなことするわけ……いや、報酬次第だが、あんたはいくら出せんだよ。裏の世界であんたの顔は見たことないが、その"格好"と"余裕"……それなりに"ある"と見た」


「出世払い、だな。生憎、金がある方ではない。息子一人養うので精一杯ではある。王族の金のツテはあるにはあるが、最終手段だ」


「……そんな偉そうな格好してんのに、か!?」


「人は見かけによらないものだ。私も貴公のような不器用そうな男が能力者だとは思わなかった。貴公も、"見た目で勝負している口"か?」


「何を意味のわからんことを……。ああ、もういい!大人しく、俺に、"従え"!!」



 大男は叫んだ。

 精神操作系の能力者などは、能力自体が発動されてから出ないと効果があったのかすらわからない。加えて、発動の予備動作が小さいことから、とにかく見極めるのが難しい。


 そのため、恐れられる能力の一つであり、またその正体を隠し持つべき強力な武器である。

 普通なら、精神操作能力の存在を隠したまま発動させる方が、無駄な戦闘なく不意打ちができるのであるが、この大男は、日常的に自身が精神操作系の能力者であることを周りに言いふらし、それにより権威を保っているらしい。

 おそらく、大男の周りの人間や彼の敵である者たちは、精神操作能力を恐れて付き従ったり、降参したりするであろう。


 國久も、その例外ではない。

 ああ、國久が普通の能力者であればの話だが──



「……あ、あれ?」



 大男は動揺した。

 確かに、"従え"と精神操作の能力をかけたはずだった。

 しかし、相手──國久は微動だにしていないし、大男と國久に"精神の繋がり"ができた感覚もしない。



「嗚呼、一つ忠告しておくと……彼女の能力は魔物すらも呼び寄せるから、"能力を利用した娼婦としての運用"を考えているなら、やめておいた方が良い。……あと、おそらく彼女個人の趣向が万人向けじゃない。よく見るとリアルでグロテスクなヒトデを"うねうね〜"ってやられると、結構、精神的にくる」


「しゃ、しゃべってんじゃねえ!俺は喋ることは命じてねえ!とにかく、"従え"!!くそ、従え、従え──」



 狂ったように、大男は叫んでいる。

 しかし、國久にはきいている様子が全くない。


 煙管の煙を燻らせて、冷酷な鋭い目つきで大男を見つめていた。そして──



「"従"──」


「"Return(還せ)"」



 國久が静かに唱えると、背景にあった『Return』という文字が、大男の口に飛んでいき、張り付き、口を塞いだ。


 瞬間、男は意識を取られたように静止した。

 そして、國久にも男の邪な思考──特に"クロエに対する卑猥な妄想"が脳内を犯したが、すぐに結界の治癒機能を使って排除した。



「……精神操作能力者ってのは、やはり思考の奪い合いから始まるのか。どれだけ能力を使ってきたのかは知らないが、思考の共有なんて気味の悪いことをよくも──」



 國久は思考を払拭する意味で、無意味ではあったが頭を大きく振った。

 それから煙管をしまい、棒のように立っている大男からクロエを取り返してひとまず横抱きにした。


 すると、腕の中でクロエが目を覚ました。

 國久はクロエの能力に感化されないように、クロエとは終始、目を逸らすことに努めた。



「……おじさま?」


「お嬢さんのことが大好きな精霊達は、お嬢さんが危機にあっても助けてくれないようだな」



 そんな皮肉を言う。

 國久がクロエを対象に取っていたときはあれほど反撃してきたのに、クロエが拐われそうになっている間は、ただ静観していた精霊への嫌味を込めたつもりだった。



「……悪いが、立てるなら自分で立ってくれ。少し、消耗した」



 國久はクロエを下ろして、一人、大通の端へと移動し、建物の輪郭線に寄りかかった。

 國久の"優位性"によって、"精神操作を還された"大男は、魂を抜かれたように気味悪くぎこちなく歩いて、その後をついてきた。

 いつまでも國久についてこられては困るから、クロエに対する詫びとしてジュースを買ってくること、そして買ってきたら國久の前に現れないことを命じて、"赤き園"から解放した。


 結界が解かれるにつれて、景色は色と人々の声を取り戻していく。

 その様子によってすっかり意識を取り戻したクロエは、道行く人にぶつからないように気をつけながら、國久の元へもう一度駆け寄った。



「おじさま?」


「……まだ何か、私に用事か?そもそもどうやってここまできた。お嬢さんの家からは距離があるし、ちゃんとご両親と話をつけてここにきたんだろうな?」


「ええ。パパとママには、ちゃんと言ってきたわ。私がこの子達と一緒におじさまを探してくるからって」


「ふうん……、まだ何か用事だったのか。"慰謝料"とかなら、まだ払えないって言っておいてくれるか」


「"いしゃりょう"……?」



 どこか噛み合っていないような会話をしていると、そこに大男が缶ジュースを持って帰ってきた。

 クロエが困惑しながらもジュースを受け取ると、大男はふらりふらりと歩いて行き、雑踏の中に紛れて行ってしまった。



「……おじさま、あの怖いおじさまに何したの?」


「……別に、還しただけだ。それで、お嬢さんも、もう暗くなるから帰りなさい。君のご両親は私にはもう会いたくないだろうから、送っていくようなことはしないぞ」



 國久は銀を一人でホテルに残したことを思いながら、クロエに言い残し、彼女をその場に置いて、足早にホテルに戻ろうとした。


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