耽溺の少女⑶


 國久と彼ら以外の景色が、輪郭線と文字だけの景色に変わっていき、さらに巻き込んでしまったマーキュリーには赤いアザレアの花がまとわりついた。



「……ッ」


「な、なん、なんですかこれ!?」


「……パパと、お客様?」



 マーキュリーと少女が感想を口々に述べる。

 そんな中、國久は焦る気持ちを抑えるため、ふうっと息をつき、まずは一番目に見えて影響を受けているマーキュリーに声をかけた。



「申し訳ない、防衛本能で私の能力が発動してしまった。その花に害は無いから安心してほしい。貴方にとっては」


「は、はい……え、あ、あのクロエ、私の娘は!?」


「……クロエ?まさか、あの娘、が?」



 マーキュリーは、花に纏わりつかれながらも必死に枝をかき分けた。そして、一人キョトンとして立ち尽くしている少女を発見すると、ふうっと安堵のため息をついた。



「パパ!お花に囲まれててとってもきれい!ステキなステキなお花屋さんね!私にも、お花をお一つくださいな!」



 少女は歌うように言いながら、花に囲まれた父親──マーキュリーの元へ駆け寄る。

 それから、アザレアの花を指差し、父親を花屋に見立てて、一輪だけ譲るよう要求した。



「待て!!触るな!!」



 突然、國久が声を張り上げる。


 その声に驚き、少女は伸ばした手を引っ込めて、不安そうに國久を見つめ返した。


 すっかり怯えているクロエに対し、國久は鞘に収めたままの短刀を少女に差し向け、さらに強く言った。



「君は絶対、花に触るな。それと、他の"線"や"文字"にも触れるな。そう……、両手を頭につけてじっとしていろ」


「ササノ様、一体何を!?う、うちの娘が何をしたというのですか!?」



 マーキュリーは少し取り乱した。

 それは無理もない、今の國久の様子は側から見れば家に押し入った強盗そのものであるから。

 しかしながら、國久にも、珍しく冷静さを欠いている相応の理由があった。



「……これは私の不手際で大変申し訳無いが、貴方のお嬢さんが今、私の能力の"対象"となっている」


「た、対象?」


「……その花を折ったりしてみろ。お嬢さんは枝に串刺しにされる、だけでなく、花弁に触れれば火傷する。この"園"──結界の中では、お嬢さんがする行為全てが、お嬢さんにとって不利に働く。だから、何もするな。……黙って、私のいうことを聞け」



 國久がマーキュリーを睨みつけると、彼はごくんと唾を飲み込み、優しい声で言った。



「……クロエ、あの人の言う通りにしてくれるかい?そうじゃないとクロエが怖い目にあうんだって」


「……こ、怖いのはいやよ。"頭を両手にくっつけて"、じっとしてればいいの?」


「ああ……そう、そうだ。ちょっと逆だけど、じっとしてなさい」



 少女は素直に従った。

 両手を頭につけて、不安そうに父親と國久を交互に見つめていた。


 物分かりのいい、賢い娘だと國久は直感する。

 そんな國久にマーキュリーが「これで良いですか?」と尋ねると、國久はため息をつき短刀を懐に収めた。



「……あの、ササノ様?」



 少女が指示に従っても、結界を解かない國久にマーキュリーが声をかける。



「手紙に書いてあった娘というのは、その子でよろしいか」


「え、あ、はい。うちの娘で、名前はクロエと言います。……あの、ササノ様」


「……能力の詳細は不明か」


「え、ええ。ただ、先ほどもご覧いただいた通り、ああいう光……精霊とやらを赤ん坊の頃より呼び集めていたものですから。……あの、そんなことより早くここから、解放してくださいませんか」


「では、お嬢さん。クロエと言ったか。君は、この力のことを何か……」


「ねえ、おじさま?どうしてパパのお話を聞いてくださらないの?パパ、おじさまにお話ししているわ?」



 クロエは國久の言葉を遮り、問うた。

 國久のことを高名な研究者であると信じているマーキュリーはクロエの物言いにギョッとした。

 また、國久も思わぬ言葉──しかし至極当たり前の言葉を返されて驚き、彼女に対して行うつもりだった質問を喉の奥に引っ込めた。


 この少女、クロエの能力はある程度予想できていた。

 人間はもちろん、精霊さえもを惹きつける"魅力"がある。

 クロエと初めて対面した時、"想い"を身体ごと持っていかれそうになったから、防衛本能で能力を発動させてしまった。


 しかし、今、彼女の能力は國久には通用していない。

 それが國久の能力、『節制の赤き園』の効果であった。一人を対象に取って結界が展開されると、その一人に対しては、國久は優勢になる。


 クロエの"魅力"を、國久は感じていない。

 だから、彼女に容赦なく質問できるはずだったし、そのつもりでいた。


 しかしながら、國久は質問を飲み込んだ。

 これまで、王家に対しても、偽りの恋人に対しても、真っ直ぐ、物を言ってきたというのに、この少女相手には言葉を抑え込んでしまったのである。



「パパも、ママも、人の話はさいごまで聞いてあげなきゃいけないって言っていたわ。じゃまをしても良いのは、パパやママよりも、ずっとずっとえらい人。おじさまは、えらい人なの?」


「こら、クロエ……!その人は……」


「でも、パパやママよりもえらい人なら、もっと話を聞かなきゃいけないって、わかるはずだわ!じゃあ、おじさまは、えらくない人なの?」



 頭に手をつけたまま、クロエは身体を左右に揺らす。

 幼いながらも國久をどのように評価したものかについて困っているのか、クネクネと動きながら、うーんうーん、と唸っている。


 なんだか可笑しくなって、國久はふっと笑った。

 するとすかさず、クロエが「あ、笑った!」と嬉しそうにいう。クロエが何故嬉しそうなのかは実のところよくわからなかったが、國久は、もちろん悪い気はしなかった。



「……私は別に偉い人ではない。少なくとも、お嬢さんに人としての礼儀を教えた父君よりかは、下の人間になる。無礼を働いたことは詫びよう、申し訳ない」


「ええ!いいのよ!ところで、おじさまは笑うとステキね!」


「……君は良い子だ。しかし、大人を揶揄うなよ」


「からかうって、ばかにしてるってこと?私そんなことしてないわ?本当にそうおもったから……って、おじさま?私、パパのお話しを聞いて欲しいの!」



 クロエは、強く訴えるべく両手を頭につけながらその場でぴょんぴょんと跳ねた。



「そうしたいのは、山々だが、どうしたものか──」



 國久はクロエの能力がどれだけ人に影響を与えるかを懸念していた。

 現に、あれほど強く惹かれたのだ。

 もし結界を解いた後、彼女に骨抜きにされて、まともに会話や思考ができなくなるかもしれない。

 長らくクロエと共に生活していたマーキュリーやその妻だって、"本当の性格は凶暴なのに、クロエに骨抜きにされて今の性格になっている"など、そんなことが無いとは言い切れない。


 だから、できることなら結界の中で話を進めたい──

 國久は、そんな提案をしようと、マーキュリーの方を見やったその時だった。



 ──我ラガ光、我ラノ宝。

 クロエを侵ソウとする者は、何者カ。


 突如、声が響く。



「なあに?」



 クロエがその声に反応する。

 そして、頭に付けた星形の髪飾りをそっと触れ、取り外した。



「……それは?星の飾りか?」



 國久がクロエに問う。


 國久には、少し嫌な予感がしていた。

 この予感を、5年前にも感じたことがある。

 自分だけが生き残った時のことだ──あの時と同じヒリヒリとした感覚が、全身に走る。



「……ううん、これはヒトデなの!ほら見て!かわいいのよ!うねうね~!」



 クロエは無邪気に笑い、星形の髪飾りを両手に持ち、國久に見えるように差し出した。

 差し出された両手にある星形は、クロエの言葉通りうねった。

 それは"かわいい"などとは程遠く、五本の腕を不規則に動かし、その表面にびっしりと生えた細長い触手までもが、グロテスクに蠢いていた。



「……かわいくは、な──」



 "ない"と口にしようとしたところで、國久は唐突に声を殺した。

 國久の横を何かが通り過ぎ、頬と耳と耳にかかる髪の毛がその何かによって切られたのだった。



 ──□□□□□、□□□□□、□□□□□!



「……ッ!」



 耳に届く、異様な叫び声。怒り声。

 先程のように理解できる言語ではない。そもそも、人が生み出した言語ではないことが、國久の豊富な語学の知識でわかる。


 魔物の声が、響きわたる。

 よく聞くと、それはクロエの手元にあるヒトデが発しており、さらにそれに呼応するように、クロエの周りに浮遊している精霊たちもが、声を発し始めた。



「さ、ササノ様……い、いったい何が起こって!?」



 マーキュリーがそう問いかけると同時に、再び、國久の左肩に傷ができる。これは國久がとっさに反応し、避けていなければ、心臓を射抜かれていた。


 一張羅と言った羽織に血がにじむ。

 攻撃を避けるために膝をついた國久は、左肩を抑えながら、攻撃を受けた方向──クロエの両手に包まれているヒトデを睨みつけた。

 同時に、國久の左肩の傷に黒色の小さな何かが集まり始めた。その小さな何かは、よく見ると結界内に残されていた文字であり、その文字の一つ一つが"癒し"や"停止"、"修復"を意味する単語類であった。

 その文字に触れた國久の身体は、そして衣服は、その言葉の意味通りに、傷口の癒し、止血、そして一張羅の修復までも行った。



 ──□□□□□!!



 再び、咆哮が響き、ヒトデから光線が放たれた。



「ああ、ダメよ!おじさま、危ないわ!」



 クロエが言葉で制するも止まらず、光線はまっすぐ國久のもとへ向かってきた。

 すると、國久はそれを特に避ける素振りを見せず、まっすぐ見据えた。


 ──おじさまッ!


 ──ササノ様ッ!


 二人の声が同時に響く。



「……これ以上は、展開させられないな」



 國久が呟くと同時に、光線が國久の目の前で停止する。

 光線は、傷を癒していた文字によって進行を阻まれていた。



「……な、なんなんだ」


「お、おじさま、大丈……きゃっ!?」



 二人が心配している最中も、クロエの手のひらの中のヒトデは國久に光線を放ち続ける。

 しかし、その光線はもう國久に届くことはなかった。


 そうしていると、次は、マーキュリーを囲っているアザレアの花の木がざわざわと動き始めた。



「……"園"は、そのヒトデとやらの攻撃から私を守った。つまり、"お嬢さんからの攻撃と判断した"ようだ。それがどういう意味か……私の能力の対象となった者が、私に攻撃をしたら──わかるだろう」


「……まさかッ!クロエ、逃げなさ……!」



 マーキュリーが声を張り上げる。

 その声がクロエの耳に届くのと同じ速度で、クロエに向かってアザレアの花の枝が鋭く伸びた。


 刹那──

 マーキュリーの体がふっと軽くなる。

 見れば、自分の体を覆っていたアザレアの花は姿をなくし、クロエに向かって伸びていた枝も消えていた。



「……え」



 マーキュリーの目の前の景色には色があった。

 血のような赤ではなく、いつも通り家庭の暖かな風景。

 ただし、掃除が行き届いておらず、少し散らかっている。

 そして、あれほどまでに國久に敵対していたヒトデも大人しくなっており、また、周りの精霊も、その声を荒げることなく、彼女の周りをキラキラと瞬きながらいつも通りの美しさを見せていた。


 その様子を確認すると、マーキュリーはハッとして、クロエのもとに駆け寄り、彼女を抱きしめた。


「……ああ、クロエ、だいじょうぶか!?」


「パパ!私は大丈夫、少し怖かったけど……あれ?おじさまは?」



 クロエのいう通り、そこには先まであった國久の姿がなくなっていた。



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