領主家⑶



 國久はようやく起き上がり、床に座った。

 それから、長弟に踏みつけられた煙草の箱を拾い、箱から煙草を一本取り出して、部屋の人間に構いもせずに火をつけた。

 もちろん、國久以外は断りもなく煙草を吸う者に対して嫌な感情を持つのだが、これまでの経緯から、言っても無駄だろうという思考が合致し、誰一人國久を止めなかった。


 すると、扉がガチャンと開き、先ほど部屋を出た従者と長弟が戻ってきた。

 従者はそれほど分厚くない本を2冊抱え、長弟は1冊を持ちペラペラとページをめくっていた。間もなく、長弟は本を流し見終えたのか、視線をあげると、そこには床に座って煙草を吸っている國久と、國久を避けるようにして集まっている次弟達の姿があった。

 その光景はまさに、ただの礼儀知らずな男に対し、一族が怯えている光景──もちろん長弟にとって気持ちの良い光景ではなかった。

 しかしながら、長弟は國久のことも、情けない弟達のことも叱らなかった。怒りは感じたものの、弱いと診断された心臓が悲鳴をあげているのがわかったからである。

 そうして、部屋に入ってきた長弟に見向きもしない國久の足元に本を3冊、乱雑に置いたのだった。



「本を、持ってきた。……その本は、この村に興味がない俺たちにとっては不要な情報だ。返しに来なくていいからさっさと出ていけ」


「ありがとうございます」



 國久は素直に礼を言った。

 そして本を持ち、そそくさと部屋を出ようとした。



「……ちょ、ちょっと待ちなさいよ。本があれば説明できるんでしょ?」


「ん?説明?何の話だ。散々痛めつけたのに貝のように口を閉じるのだから、この男に説明する能力は──」


「分かりました。少し本に目を通す時間をください。一冊につき、5分。それで大体読めますので」



 そう言って、國久は本を一冊片手に取り、パラパラと常人より速く本の内容を読み進めた。

 速読術──國久が国とジャンル不問ので1日2冊を読むという習慣のもう一つの産物である。


 15分間、國久がページを捲る音だけが響く。

 4兄弟はそれを静かに見守った。


 間もなく15分が経過しようとするところ、國久は3冊目の本を閉じて、ふうっとため息をついた。



「……読み終わった、のですか?」



 末妹が、小さな声で問う。



「ええ。本を読んだら、何があったか説明できると私は言いました。その結果ですが、"わからなかった"──ということが判明した」



 國久は断言する。

 しかし、感嘆の声は上がらない。優しい末妹以外は、國久に冷ややかな視線を送った。



「……ああ。ここまでしてやって、出した答えがそれだけとは。いよいよお前の頭の出来を疑わざるを得なくなるぞ。いい加減真面目にしろ」


「最初から今まで大真面目です。それに、話はまだ終わっていない。黙って聞け」


「……な。兄さんになんて口の利き方なの!?平民の分際で!!」


「ああ、失礼。平民の身なので相応しい言葉遣いとやらがわからないものでして」



 コロコロと態度を変える國久に対し、領主兄弟たちは若干、緊張感を覚えた。


 ──本当に頭がイカれているのかもしれない。

 自分以外が全員死ぬというほどの過激な戦闘を経験したのなら、そのプレッシャーで頭がおかしくなっても不思議ではない。


 そんな哀れみも含んだ考えにまで至った。

 領主兄弟たちは、國久に状況の説明を指示したことを後悔しつつ、これ以上、話を膨れ上がらせないように発言を控えるようになった。


 國久は彼らにキチガイだと思われているとはゆめ知らず、求められた説明を再開する。

 そして、最後には國久以外の全員が想像し得ないことを言った。



「……この本には、これまでの魔物達の動きが書かれている。しかし、今回のような魔物の暴走については何も書かれていない。つまり、前例がない。だから何もわからない。"わからないことがわかった"と、申し上げた」


「我々が生きるためには、少なくとも、此度と同じことが起こらないよう原因を突きとめ対策或いは根を断つことが重要であると考える」


「ついては、皆さん方、領主家に協力、支援を頂きたい。金銭面、情報、人脈、何でも構わない。何もない私にとっては、何もかもが貴重な財産だ」



 如何だろう──

 咥えていた煙草を指で掴んで離し、息と煙を吐きながら兄弟達に問いかけた。


 しかし、彼らは誰も何も答えない。

 その理由は誰の目から見ても明白で、國久の提案はあまりに突拍子もなく、そして遠慮を欠いていた。



「それで、世継ぎの話は?亡き領主殿の跡を継ぐ者に話をすべきと思ったがそれは──」


「……ああ、もう付き合いきれん」



 椅子に座っていた長弟が、ダンと足を踏み鳴らして立ち上がった。

 その音に國久は反応し、視線だけを送った。



「"ミシェル"、そして"リタ"、お前達はこの先自由に過ごすといい。兄上様の後は、俺と"パトリシア"が継ぐことにする」



 長弟は、次弟、末妹、そして長妹に向かって言った。



「……ちょ、ちょっと、兄さん。それはどういうこと!?どうして私も……」


「パトリシア。俺も世継ぎなんてまっぴらごめんだ。継ぐ気は今もない。だから、"俺とお前で子を作り"、その子供に跡を継がせる」


「……は、はあ!?」


「……どうせ、俺もお前もこの先は自由じゃないだろ。俺はいつ死ぬかわからねえ。領主家の次男坊という肩書きに女は寄ってはくるがこの心臓のことを知ると逃げるように去っていく。そして、お前もエイズだから人に嫌われ、男ができない」


「兄さん!そ、それは……ッ」



 長妹は先ほどまでの威勢を失っていた。

 恥じるように一度俯き、そのあと、彼女の病気のことを全く知らなかったであろう國久がどんな反応をしているかを確認するため、チラと視線を送った。


 國久は、刺すように、長妹を見ていた。

 長妹はその視線を自分の病気に対する軽蔑だと感じた。


 しかし、國久自身にはそんな気はなく、威勢の良かった長妹の秘密を知り少し驚いていたに過ぎない。



「"エルフレム兄さん"。赤の他人の前でちょっと言い過ぎなんじゃないか?それに、兄妹で子供を作るなんて倫理的におかしいだろ。冗談、だよな?リタも何とか言ってくれ」



 見兼ねた次弟が言い、末妹にも肯定を求める。

 突然話を振られて驚いた末妹であったが、少し躊躇いながら俯いている姉を想った発言をした。



「お姉さまは、きっと"幸せ"だろうから。リタは何も言いません」


「……はあ?お前まで、正気か?……信じられない、まともなのは俺だけなのか?……気分が悪い。気味が悪いよ、お前達!」



 そう言うと、次弟は立ち上がり、スタスタと部屋の出入り口の扉の前まで移動した。

 扉の前には國久が立っており、近づいてきた次弟に対し「どちらへ?」と、悪気なく言葉をかけた。



「……あんたのせいで、家族も、村も、みんなおかしくなったんだ。付き合ってられないから、兄さんの言うとおり、俺は自由に過ごさせてもらう。家族とはもう……これきりだ」



 國久を強く押し退けて、次弟は部屋を出ていった。

 しばらく沈黙が続き、どんよりとした気まずい空気が流れる。



「つまり、世継ぎの問題は決したということでよろしいか。二人の子が継ぐと言うのなら、当分の間はどちらかが領主としての務めを──」


「勝手に話に割り込んでおきながら都合よく解釈をするな。我らゼムノートは──少なくとも俺は、貴様にこの指一本たりとも手を貸す気はない!」



 先に沈黙を破った國久の口を閉じさせるように、長弟は言った。



「世継ぎを貴様の前で決めた理由は、貴様のためでも、貴様が作ろうとする組織とやらのためでも、ギルディアの民のためですらない!」


「……これは、"呪い"だ。俺は無礼な貴様に呪いをかけた。この先貴様が、俺と妹の子を王として崇めるようになった時のために。王の顔を仰ぐ度に。貴様は、貴様がゼムノートにしたこの無礼を思い出すのだ。貴様のわけのわからん欲のために、王が、数多の不幸を背負って生まれたのだと……ッ!」



 長弟は言葉を終えると、ゴホゴホと咳き込み、その場に蹲った。すぐさま二人の妹と、部屋の外に控えていた従者がやってきた。長妹と従者は、長弟の身体を支え、部屋を出ていった。

 途中國久とすれ違う時に、長妹は鋭く、國久を睨んでいた。


 部屋に取り残されたのは、長弟の呪いの迫力に僅かに押されて怯んでいる國久と、大人しい末妹だった。末妹は、しばらく長弟が出て行った扉を心配そうに見つめていた。


 そんな末妹に、國久は声をかける。



「様子を見にいかなくて良い……のですか?」


「そういう貴方様こそ、お兄さまにあれだけ怒られてしまったのに、お顔の色が全く変わらないなんて、人の心がありませんのね?」


「……お優しいリタ様に、そのように言われてしまうとは」


「意外、でしょうか?まあ、お兄さま達と比べたら、私は暗くて、大人しいように見えますものね」


「……ああいえ、そんなことは」


「否定しないで、それが正しいのですから。こうも内気だと、言葉選びが下手になってしまって、先程のことも嫌味を言ったつもりはないのです。んん、ええと……そうですね。人は感情の動きが見えないと、不安になってしまうものです。だから、お兄さま達も、民も、必要以上に貴方を"恐れているのです"」


「……ああ、皆、怒っているものだと思っていた。怖がっていたのか」


「まあ、一概には言えませんけれど……。人とお話しするときは、気を付けてみてください」



 末妹はにこりと微笑んだ。

 國久もそれに応えようとしたが、未だに呪いの言葉の影響が続いているのか、顔が引き攣った。精一杯の微笑みであったが、誰から見ても無表情であった。

 そんな國久に末妹が「こわい人」と揶揄うように言った。

 そうして、激しく咳き込んでいた兄の様子を見に行くかと思えば、末妹はくるりと踵を返し、ぽんと、近くの一人がけソファーに腰掛けた。



「……あの、様子を見に行かれないのですか?この私が言うのは、少し可笑しいかもしれないが」


「"お姉さまの邪魔をしてはいけません"から。私はこれからきっと家も出ることになるでしょうし……あ、のんびり暮らせるような移住先に良い国──なんてご存知ありませんか?」


「国、ですか。あいにく私も暮らしはギルディアが長くて……しかし、一つ。東にある私の故郷ならば、"能力者であることに拘らなければ"、比較的穏やかに生活できると思います」


「そんなところがあるのですね。でしたら、これも何かの縁でありますから、貴方様の故郷で、のんびりと暮らしたいと思います。……しかし、気になったのですが」


「なんですか?私のことか?」



 貴方様は、どうして──

 痛い目にも怖い目にもあったはずなのに、未だ懲りずにこんなことをしているの?


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