領主家⑵



「……おや、どちら様で?領主様の御葬儀ならば正面玄関を出てすぐの場所で行われておりますが、お気づきになりませんでしたか。……と、ここではお煙草はお控えください」



 領主の邸宅に入ると、すぐに従者が國久へ声をかけた。

 この従者は、どうやら國久のことを知らず領主の葬儀の参列者であると思ったらしい。声をかけたすぐ後に國久の元へ近寄り、携帯灰皿を國久に手渡しながら、背後の玄関扉を少しだけ開いた。



「いや、私は……」



 献花の他に用事があって──

 そう言う前に、扉の向こうでの騒ぎが、國久と従者の耳に割り込んできた。


 なんだ、この赤い花は!

 誰の悪戯だ!領主様に対し無礼且つ、不謹慎だ!


 どうやら、國久が供えた赤いアザレアの花によって騒ぎが起こっているらしい。



「わ、わわ……。まぁた燃え上がってる。やはりしばらくは安定しませんね。早くお世継ぎを決めていただかないと。……それにしても、赤い花を供えるなんて、変わってるなあ」



 騒ぎの様子を見て不可侵と決めたのか、従者はそっと扉を閉じた。



「赤は良くないのか」


「え?」


「花だ。先ほど領主殿の棺に花を手向けた。赤い花しか、手持ちがなくて」


「……はあ、貴方があの騒ぎを起こした犯人ですか。ようやく暴動も収まって静かになってきたところだったのに、勘弁してくださいよ。……赤は良くないんです。ほら、血を連想させるでしょう?白とか、淡い色が一般的ですよ。……って、さっきから貴方は誰なのですか」


「"笹野"だ。魔物に関する本をお借りしたくて、こちらに伺ったのだが……先ほど、奥様と坊ちゃんが家を大きな荷物を持って出て行くのを見たが、誰に許可を取れば良いのか?」


「……え、ええ!?奥様と、坊ちゃんが!?ああ、どうして止めてくれなかったんですか!?領主様が亡くなられてから様子がおかしいと思ってはいましたが、ま、まさか……亡命とは……」


「私はここへの用事を優先したから、特に引き止めなかった。今から追いかければ間に合うとは思う。……それで、本はどう借りれば良いのか。君にわからないのなら、他をあたるが?」



 ひどく落ち込む従者をよそに、國久は領主邸宅に来た目的──"魔物に関する文献の貸し出し許可を得る"ため、勝手に邸宅の一階部分をウロウロと歩き出した。



「ああ、ちょっと!書庫までご案内しますから、勝手に行かないで……。今少し、家全体がピリピリしているので!」


「ああ、案内してくれ」



 従者に案内されながら、廊下を歩く。

 彼の言葉の通り、領主なき今忙しいようで何度か人とすれ違った。すれ違った人々の殆どは従者であったが中には外国の旗を模したピンをつけた裕福そうな人間もいた。

 外国の要人たちは國久とすれ違うと、そのみすぼらしい格好を見て、母国語で蔑み、笑っていた。



「……ああ、着替えをお持ちすればよかった。ご主人様方に叱られたらどうしよう」


「国によって罵倒文句と程度が違う。お国柄というやつか」


「……え?ひょっとして、語学に通じていらっしゃる?」


「多少は。死にぞこなった後、"他にすることが無かった"から、飽きるまで一日2冊、ジャンルと言語を問わずに読んでいた。その産物だ」


「……り、理解できるなら先に言ってくださいよ。彼らはわからないと思っているから、ああいう風に陰湿なんですよ?」


「別に、この格好を見たら私だって同じ反応を……いや、罵倒する気はないから、そう心に留めるだけだが、彼らの判断は当然だ」


「……格好がダメだとわかっていらっしゃるなら着替えてきてくださいよ」


「先ほど、煙草屋にも嫌われたばかりだ。今ごろ私の家は燃やされて無くなってるだろう。領主殿にいただいたあの建物になら一応着替えがあるが、一張羅だから。ここに来るまでにダメにしたら、死ぬときに困る」


「は、はあ……。って、いやまてよ?」



 従者は何を思ったか、唐突に足を止めた。

 それから何やら考え込んでいる。


 國久はその様子を、呆然と見ていた。

 しかし、ちょうどすぐそばにある大きな扉から、人の話し声が聞こえてきた。女と男の声がそれぞれ二つ、三つずつあるようであった。

 そして、その話の内容は全く穏やかではない。


 こんな村の守護など、俺はしないぞ!

 誰がやるものか!


 本来は息子が継ぐべきだろう?

 だのに、あの女──


 私、こんな田舎は、もうたくさんよ!


 村の男の人が殆ど死んでしまったなんて。



 扉越しに聞いた会話は断片的であったが、内容はなんとなく理解ができた。

 どうやら、扉の先にいるのは亡き領主の親族──ゼムノート家の世継ぎ候補者達で、会話の内容は世継ぎ争い。といっても、誰が遺産を得るとかいう話ではなく、誰がこのギルディアの領主を勤めるかの押し付け合いだった。


 後継者争い、兄弟が多いと難儀だな──


 そんなことを考えながら、おもむろに煙草を取り出し口に咥える。

 國久は従者から「ここは禁煙だと」と言われたことをすっかり忘れていた。火をつけるため、ライターを取り出そうとズボンのポケットに手を伸ばした、その時──



「ああーーーーッ!!」



 目の前で考え込んでいた従者が、突然大声を上げた。それからすぐに國久の方へ振り返る。

 そうして、従者もまさか國久が一番最初に注意したことを忘れて煙草を吸っているとは思わなかったのだろう。

 一瞬固まって、目の前の情景を頭で整理してから、まずは國久が咥えていた煙草を取り上げた。



「貴方、"笹野"って言いました……ッ!?」



 従者が國久のことに気がついたのか、煙草を取り上げつつも國久の名前を再確認した。


 そうだと言っただろう──

 そう答えようとすると、間もなく國久の右隣にある扉がガチャンと音を立てて開いた。



「おい、五月蝿いぞ。うん、お客人?いや、お前は……兄上様が認めた討伐隊とやらの長ではないか。村の連中を死に追いやっておいて、良くもゼムノートの邸宅に足を踏み込めたものだな」



 中から出てきたのは、亡き領主の長弟であった。

 國久の姿を見るや否や、すかさず國久を罵倒した。

 その声は少し大きめであり、どうやら扉の先にいる兄弟達にも聞こえるように言ったものらしい。



「……」


「おいおい、無視かよ。あんたの失態のせいで俺たちはとんでもない迷惑を押し付けられてんのに、謝罪の一つはないのか?」


「私は、謝罪に来たのではありませんので」


「……さ、笹野さん!?口を慎んでください!旦那様に対してなんてこと……」


「……ああ、お前がこの男を連れてきたのか。じゃあ教えてくれないか、この無礼者はどういった了見でここに来たんだ。馬鹿な答えをしたら、お前の首はないと思え」


「ひ……す、すみま……申し訳ございません。こ、この方は──」


「ここにある魔物に関する書物を借りにきただけです。彼にはその案内を頼んだ」


「魔物の書物?……おい、うちにそんなものがあるのか?」


「は、はい。旦那様。数は少ないのですが、代々ゼムノート家では魔物の記録を取っているとか」


「へえ?そんなものをお前が見てどうするんだ。それも今更。……ちょっとこっちに来い!!」



 長弟は、國久の胸ぐらを掴んで強く引っ張った。

 そのまま扉の中──つまり亡き領主の兄弟が言い争いをしていた部屋に放り込まれた。

 ゴロゴロと床を転がると、その反動で胸ポケットに入っていた煙草の箱が転がり落ちた。



「ちょ、ちょっと!兄さん、何事!?」



 扉の一番近くにいた女──領主の長妹が叫びながら立ち上がる。それから椅子に座る二人の男と女──それぞれ次弟と次妹の元へ逃げた。



「ああ、悪い悪い。渦中の人に偶然出くわしたものだから、ご入場いただいたってわけだ。おい、笹野だったっけ?討伐隊のリーダーさんよ。せっかく直近の親族が集まってんだ。ならやることは一つ、今、ここで、俺たちに、謝罪しろッ!!」



 國久を放り投げた長弟が言う。

 それから、威圧するように國久が落とした煙草の箱をわざと踏みつけた。



「先にも言ったが、俺たちはお前や、お前に乗せられた馬鹿な兄上様が死んだせいでこんな村を受け継ぐことになったんだ。兄上様が居るから俺たちはここで暮らしてるってんのに……何をしたんだ。何が理由で、あんなことになった。お前はなぜ、リーダーでありながら、仲間を誰一人守らずに生き残ってきたんだ!!」


「……」


「おい、なんとか言ったらどうなんだよ」



 長弟は徐々に興奮し、床に転がったまま動かない國久の頭を軽く足で小突いた。

 それでも國久は動こうとしないから、とうとう頭に血が上り、國久の頭を思い切り踏みつけた。



「……嗚呼。本は借りられるのか、借りられないのかどちらなのですか」



 頭を踏みつけられたまま、國久は言う。

 問いを問いで返された長弟はさらに燃え上がり、頭を踏みつける足に、さらに力を込める。



「なに?何だと?この期に及んで、謝罪一つせず、本、だと?」


「先ほどから、そう申し上げています。私は謝罪に来たのではない。本を借りに来ただけです」


「……」



 國久の一貫した態度に、長弟は冷静さを取り戻したように見えた。

 國久の顔から足を退け、それから従者に向かって自身を本のある場所へ案内するよう命じた。間もなく、長弟は一室に國久と弟達を残して、従者とともに退室した。



「……なあ、笹野さん?流石に礼儀ってもんは必要だろうよ。それと兄貴をあんまり怒らせないで欲しい。ああ見えて心臓に病がある。一番身体が弱いんだ」



 長弟から解放されてもなお、しばらく寝転がったままの國久に向かって、次弟が冷静にいった。



「そうでしたか」


「お前、感情なしか?」


「……」


「ちょっと、兄さんの話を聞いてるの?って、もういいわ。ねえ笹野さん?兄さんにあれだけされて、怒りも泣きもしないなんて不思議じゃない?頑なに魔物の本が読みたいって、本当どう言うつもりなの?」


「……」


「わ、私のことも無視するわけ!?全く、失礼しちゃう!これだから礼儀を知らない平民は嫌なのよ。もう無視して、世継ぎの話の続きをしま……」


「本がないと、説明ができない」



 國久は、ふいに答える。

 相変わらず寝転がったままで、領主一族に対する敬意は見られない。



「せ、説明できないって……、どういうことですか?」



 気弱そうな末妹が問う。

 それを聞いた長妹は「今私が話してんだけど!あんたは黙ってなさい!」と末妹を叱ったが、当の長妹も次弟も、國久が答えるのを待つかのように黙った。

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