領主家⑴
あれから、少し時が経った。
國久は村や人々の様子を確認しながら、とある場所へ向かっていた。その道半ば、小さな商店へ寄り浪費した煙草を4箱買った。
ギルディアは小さな村であるから、噂は──取り分け悪評などはすぐに広まる。たとえ人の足が届かない不人気な商店であっても、國久の噂は届いていた。
「そこにある煙草を2つ……いや、3つ」
「ああ、貴方か。1つ余分に渡すから、もう店には来ないでくれ」
不本意にも店への出入り禁止を命じられた國久であったが、反論はせず、煙草の代金もきっちり4箱分だけ置いて店を出た。
購入した煙草に火をつけ、煙をふかしながら國久が向かった先は、これまた不本意にも繁忙期となったギルディア領主ゼムノート家の邸宅であった。
邸宅前には人だかりができており、どうやら、領主の葬儀の最中らしい。
皆、領主が眠っている白い棺に花を手向け、手を組み祈りを捧げている。國久はそんな様子を少し離れたところで眺めていた。誰も、國久の登場には気がついていないらしい。
國久は、どのように邸宅へ足を踏み入れるか考えていると、邸宅の裏口から二人の人間が出てきた。
どちらの人間も顔を隠すようマントのフードを被っていたが、背丈等から察するに一人は女で、もう一人は少年であった。
女は大きな荷物を抱えながら、少年の手を引き、葬儀に集まる人々から身を潜めながら國久の方へと向かってきた。
途中で女は國久の存在に気がついた。
そして國久も、その女と少年が自分でもよく知っている人物だと気がついた。
國久は、彼女らに対し声をかけるべきか暫し悩んだ。また、彼女らが國久のもとへ近づいて来ることも懸念し、咥えていた煙草をさっと後ろ手に隠した。
すると、懸念のとおり、女は少年の手を引きながらズンズンと國久の元へやってきた。
女はキッと國久を睨み、少年はそんな女を心配そうに見つめていた。
「"奥様"、そして"坊ちゃん"。……このような時間に、どちらへお出かけですか」
普段は無作法な國久であるが、この女と少年を目の前しては、礼儀正しく、礼をした。
彼女、そしてこの少年は、ギルディアの領主──現在は棺で眠りし領主の妻と子供であった。
つまり、少年は亡き領主の座を継ぐ者である。
「……貴方、どうしてまだここに残っておられるのですか。あれほどの騒ぎがあっては、この村に身を置き難いのではありませんか」
人によっては、呪われた生還者である國久に対する嫌味のように聞こえるが、彼女の表情からは、國久の身を案ずる色が見えた。
「……いえ。御邸宅に用事がありまして」
「うち……領主家にですか?どのような御用事かは存じませんが、正面はあの通り……。とても貴方が無事に通り抜けられるとは思いません。ああ、いや、そんなことよりも──」
領主夫人は、持っていた大荷物を一度地面に置き、國久の、煙草を隠していない方の手を掴んだ。
「え、あの、奥様……」
「私はこれから、この子とともに村を出ます。……こんなこと、ギルディアの民には悪いとは思いますし、無責任だと軽蔑されたって何も反論するつもりはありません。……が、村は出ます。魔物も恐ろしくて仕方がありませんもの。それに今、うちでは、主人のご兄弟方が何やら画策していて、正直──この子が、魔物たちの生贄にされてしまいそうで恐ろしいのです、だから──」
領主夫人は、國久の手を強く握り、涙を流して訴えている。
その様子を、國久は少し戸惑いながらも、表情は変えずに聞いていた。
「……お、奥様、少し落ち着いて。坊ちゃんも怖がってしまう」
「もう十分です!恐ろしい思いをするのにはうんざりなのです。だから──貴方!かの戦いから唯一生還した貴方なら、腕が立つのでしょう?ギルディアを出て、森を抜けるまで、私たちを魔物から守ってほしいのです!」
「……いや、それはできない。できません」
國久は即答した。
そして、領主夫人もまさか申出を拒否されるとは思っていなかったのか、驚いた表情のまましばらく静止した。
領主夫人は、決して領主の妻、子供の命令ならば國久が従わないはずない、という考えで提案をしたわけではない。
魔物の脅威、その他の危険から、大切な息子を守ろうという一心で提案したというのは大前提であるが、他にも、あくまで、彼女は國久の身を案じていたのである。
彼女が領主の息子を連れて出ていけば、今後しばらくは領主が不在となることは間違いない。魔物の脅威に晒された村人たちの混乱の末、再び暴動が起きようものなら、少なくとも國久に批判の矛先が向けられることは間違いないのである。
「……そ、そんな、どうして?こんな村に居たって、仕方がないわ」
「私には、お二人を守る力はない。"自分のことしか守れない"のです」
「謙遜しているのですか?皆は生き残った貴方を呪いますが、そんなことありません。貴方は、本当なら英雄として称えられるべきで……」
「謙遜ではない。ただ、事実を申し上げている。私の能力は、"そういう性質"なのです。守る力があれば、そもそもこのような事態にはならないはず。違いますか?」
「……そ、それは」
「奥様、坊ちゃんを連れてお戻りください。魔物の進行は食い止めましたが、またいつ同じようなことが起きるかわかりません。魔物の森……いや森に行くまでの道のりさえも、女子供のみでは死にに行くようなものですよ」
國久は、無口で且つ人を想う心を欠いた男はであるが、領主夫人が自分の身を案じていることは理解をし、そんな彼女とその子のことを案じ、饒舌になった。
「ああ、そう──それじゃあ、貴方も、この子に押し付けるのですね」
「……押し付ける?」
「この子に……、貴方が犯したことを、貴方が連れてきた災厄の全てを、押し付けるというのね!!あのひとたちと、同じように。この村と同じように!!……ああ、そんなこと、させない」
先ほどとは打って変わり、領主夫人は猛り狂った。
彼女と手を繋いでいた少年は、彼女の突然の変貌に驚き、その手を離す。
その後も、領主夫人は数分間にわたり國久を罵倒をし続けた。先まで見えていた彼女の優しさは、もはや影も無い。子を思う母親の強さと、"魔物のような恐ろしさ"を実感する。
とうとう、その様子を見かねた少年が「やめて、かわいそうだよ」と、領主夫人を宥めた。
領主夫人からの罵倒について、國久は特に顔色を変えずに聞いていたから、少年が「かわいそう」と言うことができたのは、彼自身の優しさによるものだ。
そんな優しさに触れ、領主夫人は落ち着きを取り戻し、「どんな人にも優しくするのは良い事だわ」と、少年をきつく抱きしめながら褒めていた。
"どんな人にも優しく"──國久がたとえ村に呪いを持ち込んだとされる人だとしても。領主夫人が少年へかけた言葉には、少年に対する深い深い愛情と、國久に対する恨みとが混在していた。
さあ、もう行きましょう──
何事もなかったように、領主夫人は大荷物を持ち、再び少年の手を引いて、國久の元を──ギルディアを立ち去った。
「どうか、お元気で──」
そんな短い言葉で、領主夫人と少年を見送る。
彼女らがどうなったか、この先の國久の人生において知ることはなかった。
國久は、少し短くなってしまった煙草をまた咥えて、邸宅前にある人の集団を見やった。
葬儀は未だ続いていており、先に領主夫人が言った通り、とても國久が割って入れるような状況ではない。
また、領主夫人たちが裏口から出てきたことは目撃したものの、正確な場所はわからないし、そもそも、村の防衛に密かに貢献したとはいえ、部外者であることには違いない。
裏口をウロウロと探して、且つ部外者であれば、それはもはや不審者である。従者に見つかり、捕まり、様々咎められるのがオチであった。
「……ついでに、花も手向けようか」
そう呟き、國久はタバコの煙をふうっと長めに吹いた。
白い煙が國久の周囲に広がり、それとともに周囲の村の色が、建物などの輪郭線と看板等に書かれた文字のみを残して白色に染まっていく。また、先まで大勢あった人だかりもなくなり、代わりに真っ赤なヤマツツジ──アザレアの花が血飛沫のように咲き乱れていた。
「……ああ、人は死んでしまうと"対象に取れない"のか」
國久はタバコの煙をふかしながら、また歩き出した。間もなく、先まで人だかりだったアザレアの花の群生地に到着し、花をかき分けて、奥へ進む。
すると、輪郭線のみの景色でわかりずらいことこの上ないが、『…… Zemnort』という領主の名前の文字は鮮明に映っており、この四角い輪郭が、亡き領主が眠る棺であることがわかった。
すでに棺の上には無数の供花の輪郭線があった。
國久はそばにあったアザレアの花の木から一つ花をとった。
赤い花と棺を交互に見つめていると、不意に先の領主夫人と少年の顔が思い浮かんだ。もう2つ、赤い花を手に取り、合計3つの花を、そっと棺の上にある供花の輪郭線の上に置いた。
目を瞑り、10秒間だけ黙祷してから、邸宅の正面玄関へと歩みを進めた。
玄関扉の前で足を止めると、ドアノブの輪郭線に触れる直前で、また息を吐く。
玄関扉に色がつき、ドアノブに触れると金属特有の冷たさを感じる。
國久は、色のない世界が徐々に色と、空気の流れ、背後の人々の気配を背中に感じながらも、速やかに扉を開き、邸宅の中へと入った。
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