番外編【『アザレア』の呪い】

京野 参

第1話

はじまり


 ああ、どうしてこんなことに──


 ボロボロの服を着た男が一人、白い建物の前に座っていた。ふうっと、ため息と誰も聞いてくれない愚痴と、紙巻煙草の煙を吐き出し、男は虚な鳶色の目で目前に広がる惨状を眺めた。


 男の周囲は荒れ果てていた。

 非常に激しい争いがあったことを思わせるように、瓦礫が散乱している他、瓦礫以外にも、一般に生活で排出される生ゴミやら、壊れた時計やらも散乱していた。静かに煙草を吸っている男の身体にも、ジャガイモの皮やら割れた卵やらがくっついていた。

 男はそれを取り払う素振りも見せず、ただこの荒廃地を眺めている。


 この男──"笹野 國久"はこのギルディアという名の小さな村で、魔物退治の仕事を"始めようとしていた"。


 ギルディアは、その周囲を魔物が住まう広大な森に囲まれた辺鄙な場所に位置しており、腹をすかせた魔物が人や家畜を襲う、作物を荒らすなどの被害が多発していた。

 特に、魔物が人を襲うときは、腕を噛みちぎられたり、腹を裂かれ内臓を引きずり出されたりと、悲惨な状況であり、この村の領主であるゼムノート家もそれを危惧し、悩み、苦しんでいた。

 そこで、村人たちは魔物に立ち向かおうと、村の男達を中心に魔物退治を専門とした組織を結成しようと決めた。


 そうして、その組織の構成員に國久も含まれた。

 ただし、國久自身が主体的に動いたという訳ではなく、"単に村に住まう男であるから"というのが主な理由であった。

 正義感とか魔物に対する恨みだとかは人並み以下である。そもそも、この村に住まうことになった理由が魔物の森での自殺に失敗して、村の人間に引き止められただけなのだから──正義感の有り無し以前の問題で、國久にはもう生きる理由すら無かった。


 そのまま村に住み始めたが、結局、國久の自殺を引き止めた救った村人とさえも特に関わることがないから、そろそろ、また人知れず自殺をしようと考えていた。そんな時、魔物退治の話が舞い込んできたのである。


 これは好機──とも、別に思わなかった。

 國久は、積極的に死にたいと思っているわけではない。死に向かう積極性すらも失っていた。

 かつては、あまりの無気力に「植物のようだ」とも嘲笑われたこともあったが、花のように美しくも、野草のように逞しくもない、というのが國久の自己評価である。


 ともあれ、何の目的も志もないまま、流れるまま──魔物退治専門の組織は領主ゼムノート家の支援もあってか難なく成立し、今日、初仕事を行った。


 結果は、この惨状から言うまでもない。


 魔物を退治しようと勇み立っていた男達は、國久を除いて全員死亡。

 そして、組織を支援した領主までもが、言葉通り魔物の毒牙にかかり死亡──領主の従者達は、次の領主を決めようと奔走しているが、当の後継者達が、揃って後継を拒絶し、醜く冷ややかに争っている。


 このような結果を招いた原因は不明である──國久はもちろん魔物に詳しいわけではない。しかし、自殺のために魔物の森を歩いた時や、普段村で生活していた時に耳にした魔物の様子などから、今回が異常であると言うことは、感覚的に理解していた。

 組織構成員の死亡原因の殆どが、普段は比較的温厚とされる魔物達からの強襲であった。


 國久は、そんな戦場からたった一人生還した。

 唯一の生還者である國久に対して、残された村の人々は状況の説明を求めた。


 が、流れるように参加しただけの國久に、事細かに説明する能力はない。

 ……ただ、國久自身もただ運が良く生還した、というわけではなく構成員達が次々と死んでいくのを見て、ようやく魔物に対抗する強い意志を得て戦った。

 死人を生き返らせる力は無いから、せめて、村の一員として、勇敢だった構成員たちに代わって村を守ろうという一心で本気で戦い、一人生き残った。


 それは、英雄と称えられても良いくらいの行いであったが、残された村人たちは、國久の生還を呪った。

 どうして自分の夫が、子供が、家族が、友達が死に、漠然と死を望み、何も得ようとしなかったこの男が、生き残ったのだと──人々は口にこそしないものの、心内では、國久よりも価値のある者達の生還を望んでいた。


 そうこうして、いつの間にか──國久は、組織のリーダーという扱いを受け、暴動に巻き込まれ、イモの皮と割れた卵と、組織が起こした"責任"の全てを負うことになった。


 ああ、どうしてこんなことに──


 組織のために領主が用意した、今では用済みの白い建物の前で、再び、國久は愚痴をこぼした。


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