第2話
さっきのは、いったい何だったのだろう?駅が催した、何かのアトラクションだったのだろうか。それにしても、悪質だ。
恐怖が消え去ると同時に、言い知れぬ怒りがこみ上げてくる。
冗談じゃないわ!
怒りが収まるまで休んだ後、私は家に帰る為に歩き出した。
悔しい事に、まだ膝ががくがくしている。その上、どうしても怖くて、後ろが振り返れないのだ。
それでも落ちついて来たので、辺りの様子を窺う余裕も出来た。
・・・・・なーんだ。何にもないじゃない。
きっと、からかわれたんだわ。次に会ったら、絶対文句言ってやる。
悔しいから、帰りにお菓子でも買って帰ろう。甘い物を食べれば、少しは気も収まるだろう。
そう思いながら、何時も立ち寄るコンビニで足を止めた。
———————————。
何だろう?
・・・・奇怪しい。
店は、明かりもなくひっそりとしているのだ。開かないドアに顔を擦り付け、じっと中の様子を窺う。
店の棚には、一応商品が並んでいた。しかしそれは、全てが色あせ、灰色の埃を一杯被っている状態だった。まるで、何年も前に潰れたような古さだ。それに、どこからともなく嫌な匂いが漂ってくる。
そこで初めて、私は街の様子に気付いた。
そう言えば、ここに来るまでに人を見ただろうか?人でなくても、動物や車とか。子供はどうだろう?ここら辺には住宅が多いから、子供がよく外で遊んでいる。
なのに、今日に限って一人もいない。生活の音や、日常的な雑音さえ、まったく聞こえて来ないのだ。
ゴーストタウンのように、静まり返っている。聞こえて来るのは、風が何かを叩く音だけ。
とっ、とにかく、アパートに行こう。
人間は、あまりに非現実的な事には、何も感じなくなってしまうようだ。私は、この信じられない出来事を前にして、自分が思ったより冷静でいられる事に驚いた。
良く考えてみるがいい。
もしかしたら、これも私の勘違いかもしれないではないか。
コンビニは、いきなり潰れてしまったのかもしれない。埃が溜まっていたのも、普段から掃除を手抜きしていたからで、それに今まで気付かなかっただけかもしれない。
車が通らないのも、人が見当たらないのも、まれにある珍しい出来事かも。
・・・・しかし、やはりそうではなかった。
店と言う店は、全て同じような状態だったし、家々の庭も荒れ放題だった。何時もならうるさいくらいに吠えたてる犬の声も、何故か全く聞こえては来なかった。
どう見ても、ただ事ではない様子。
試しに私は、近くの家を覗いて見る事にした。
家にはしっかりと鍵がかけてあったので、入る事は出来なかった。仕方なく、庭の方に回って窓から中を窺う。
客間のようだ。品のある部屋に、上等そうな応接セットが置かれている。そのテーブルに、今さっきまで人が居たような感じで、ティーカップが三つ並べてあった。
ソファーのクッションも、自然な形で崩れている。しかし、誰もいない。それが、余計に怖かった。
やはり・・・、何かが起こったのだ。多分、信じられないような出来事が。
じゃ、一体人間は何処に消えてしまったの?街だけ残したまま。
もしこれが現実ならば、姉も消えてしまったのだろうか?
言い知れぬ不安に襲われて、私は慌ててその庭から飛び出した。
無人の家、無人の街。百メートル競走でも、これほど必死に走れないだろう。それくらい全力で、私は姉のアパートを目指した。
姉がもし消えてしまったのだとしたら、私はどうすればいいの?田舎のお父さんやお母さんも、きっと悲しむ。
アパートの前まで来て、私はその場にしゃがみこんだ。苦しくて、息が出来ない。頭もボーっとなり、気持ちが悪くなって来た。
運動不足が祟ってるな。
どうにか立ち上がれるようになるまで、何分も時間がかかった。
そうしているうちに、ふとある疑問が過る。
こんな奇妙な事が起こっているのは、この街だけなんだろうか?
まさか、他の街も—————。
考えただけで、気が奇怪しくなりそうだった。もしそうだとしたら恐ろし過ぎる。街だけではなく国中、いや世界の人までも消えてしまったのだとしたら・・・・。
————残されたのは、私一人。
「姉さん!!姉さん!!」
私は、狂ったように叫んだ。
「誰か居ませんか?誰か!!」
手当たり次第に、そこらの戸を叩きまくった。
「お願いします、返事して下さい!ねえ、返事してよ!!」
静まり返ったアパートには、何の反応も起こらない。無駄だと分かりながら、尚も私は戸を叩き続けた。
どれくらい経っただろう、ふと手の痛みを感じて、初めて自分の手が血だらけになっているのに気付いた。戸という戸には、一つ残らず赤い染みが付いている。
傷口を見て、突然痛み出した。生暖かい、ぬるっとした感触。しかし、それで私は我に返る事が出来た。
鞄からハンカチを出して、傷口を縛る。そうしながら、冷静になろうと努めた。
まだ、何も私には分かっていない。本当の事を知るまで、パニックになっては駄目だ。
痛みを感じると言う事は、これは現実。夢なんかじゃない。
一度深呼吸をしてから、私は真っ直ぐ姉の部屋へと向かった。部屋に行けば、何か手掛かりがあるかもしれない。
部屋の前まで来て、少し躊躇う。怖い反面、もしかしたら姉が居るかもしれないと言う、淡い期待も捨てきれなかったのだ。
戸は、何故か酷く汚れていた。おまけに、変形している。
鍵は、かかったままだ。私は、合鍵を取り出して、震える手で戸を開く。これで、ここが本当に、私達が住んでいたアパートだと証明された。
恐る恐る戸を引き、中を覗く。
「姉さん、居る?」
・・・・・半分予想していた通り、返事は無かった。私は思い切って中に入り、辺りを見回した。
むせ返るような匂いと、玄関口に溜まった埃に驚く。
凄い、こんな状態では、一日も住めないだろう。
それほど、部屋の様子は酷かった。姉の自慢の観葉植物も、枯れてしわしわになっている。至るところに黴が繁殖し、何かが腐ったような匂いが、何処からともなく漂って来るのだ。
服の袖で鼻と口を押さえながら、私は靴のまま玄関を上がった。
まず、自分の部屋を覗く。六畳の洋室は、異様なほどに片付いていた。ベッドも裸だし、本も教科書も無く、まるで誰も使ってないような状態。
私は、その事にひどく驚いた。
何故、私の部屋には何も無いんだろう?姉が、片付ける筈もないし。そんな事をすれば、私が怒るのを知っているのだから。
結局、私の部屋から何かを探すのは諦めた。次に、姉の部屋へと向かう。
姉の部屋は、彼女の性格通り、実に几帳面に片付けられていた。私の部屋とは違って、ベッドも机もオーディオも、ちゃんと揃っている。人気画家の絵だって、今朝と同じ場所に飾られていた。
壁際のスライド式の本棚に、本が全て大きさや項目通りに並べられている。それは、朝姉の部屋を覗いた時のままのような気がする。
机の上に、ノートが数冊開いたまま置いてあった。椅子も、少し引いてある。丁度何かする為に立ち上がって、ちょっと離れたような感じで。
ベッドの布団も、半分ほど捲れていた。姉の性格からして、そのまま出掛けるなんてちょっと考えられない。きっと、何かが起こるまで、姉はこの部屋に居たのだろう。
机の隅には、見覚えのあるノートサイズの薄い小型機が。
———————パスワード付きの、電子日記帳。
私は、突然目が覚めたようにそれに飛びついた。
姉は、これで毎日日記をつけていたのだ。何を書いていたのかは、私には分からない。けれど、これだけが唯一、姉に関する手掛かりを残す物だった。
メモリーカードは、何処にしまっているのだろう?
私は、机の中を引っかき回して探した。でも、考えつくあらゆる場所を探しても、それが何処にも見当たらない。疲れた私は、諦めてベッドに腰を下ろした。
ぼんやりとした気分で、部屋の中をもう一度見回す。
タンスの上に、熊のぬいぐるみがあった。
あれは、私が中学の時、姉の誕生日にプレゼントした物だ。少ないおこづかいをはたいて買ったのだけど、今見るとなんだか恥ずかしいくらいにみっともない。あれを、今でも持っていたなんて・・・・。
なんとなく立ち上がって、私は熊のぬいぐるみを手に取った。所々がほつれていて、それを丁寧に直している。
なんだか、哀れだ。こんなの、捨ててしまっても良かったのに・・・・・。
嬉しいながらも、そう思った。
————あれ?何だろう。
不意に、指先に尖ったものがあたった。どうやら、中に何か入っているらしい。鞄からソーイングセットを出して、ぬいぐるみの背中を開いてみた。
そこから、メモリーカード一枚と、手紙が出て来る。私は、不思議に思って手紙を読んだ。
美佐子へ
あなたがここに辿り着く頃には、もう姉さんはこの世にはいないでしょう。
だから、私の形見として、あなたにこれを贈ります。
どうか、あなたが無事にここまで辿り着き、こうしてこの手紙を読む事が出来るよう、姉さんは心から祈っています。
このメモリーカードには、私の日記が記されています。これを読む事によって、私の愚かさがあなたにも分かるでしょう。
何故そうなったのか、何故そうしなくてはならなかったのか、全て記されています。
きっとあなたには、全て分かっている事かもしれませんが、私の形見として取っておいて下さい。そして、これからあなたを待っている運命に、決して挫けないで。
この世界の為に、最後まで頑張り抜いて下さい。
あなたを心から愛しています。
京子
・・・・これは、いったい何を意味しているのだろう?
姉は、もうこの世にはいない?そんな馬鹿な。だって、今朝は元気に笑っていた。
何故そうなってしまったのか、このカードの中に全てが記されていると言う。
訳が分からずに混乱していた。けれど、私は無意識に日記帳へと動く。この中身が、今私の体験している謎を、全て解明してくれるかもしれないのだ。
パスワードは、手紙の隅に書いてあった。それが姉の誕生日だと気付いて、こんな時ながら苦笑してしまう。
昔から姉は、キャッシュカードから何から、ほとんど自分の誕生日を暗証番号に使っていたからだ。それを何時も身分証明書と一緒に持ち歩くので、何度も危険だと注意したのに、忘れるからと言って聞かなかった。
私は、取り敢えず電子手帳の電源をオンにした。太陽光による充電式という話だが、もしかしたらもう動かないかもしれない。
が、思いと反して、機械は静かに動き出した。
逸る気持ちを押さえ、メモリーカードをセットし、メニューを開く。
この程度なら、私でも大丈夫だった。
ダイアリーの所にカーソルを合わせ、実行。これで、機械が勝手に読み出しをしてくれる。
しばらく間を開けて、画面に文字が現れた。
その日付を見て、愕然とする。
驚いた事に、それは今から十年後の日記だったのだ。
十年後?
・・・・そんな。では、ここは私達の世界より、未来と言う事なの?小説でもあるまいし、こんな事が本当にあり得るのだろうか?
信じられない。
六月六日。日記は、そこから始まっていた。
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