架空の街
しょうりん
第1話
パスワード付きの電子日記帳。姉が何万も出して買ったのが、それだった。
「それが、いったい何になるの?」
初めてそれを目にした時、私は思わずそう言った。
だって、そんなものにお金をかけるなんて、馬鹿らしいと思ったのだ。おまけに、それを使う為には、専用のメモリーカードを使わなければならない。
それも、大きな電気屋じゃないと手に入らないような代物だ。
どうせなら、パソコンでも買った方がいいだろうに。
大体、誰が家に忍び込んでまで、姉の日記帳を覗くと言うのだろう?それとも、私に見られるのを嫌ってるの?
少なくとも私は、人の日記を覗く趣味なんかない。
改札口へと向かう階段の上で、私は昨日の出来事を思い出してした。
何故、今その事を思い出したのか分からない。さっきまで、全く違う事を考えていたのだから・・・・・。
でも、そこまでされると、要らない興味をかきたてられるのが、人間と言うものだ。
姉はそれに、どんな事を記しているのだろうか?
—————それにしても、都会はなんと階段が多いんだろう。田舎から出て来たばかりの私は、この街の目まぐるしい速さと、階段の多さに心底驚かされた。
大阪という街は、思ったよりもハードな場所だ。
こうして毎日階段を行き来してる人達は、きっと田舎の人より足腰が丈夫に違いない。
私と言えば、たった少しの階段を登るだけで、何時も息を切らしている。何だか侘しいおじさん達でさえ、あんなにすたすたと歩いているのに。
あっちも階段、こっちも階段。まだこの街に慣れていない私は、階段を見ただけでうんざりしてしまう。
やっと改札口に辿り着いた時には、救われた気持ちになった。
あーあ、田舎で就職した方が、やっぱり私には合ってたのかも。女子大生なんてものは、テレビで言う程楽じゃない。中には好き勝手してる人もいるけど、私の生活はそんな気楽なものとはかけ離れていた。
学費だけはどうにか出して貰っているものの、反対を押し切って出て来た手前、仕送りは一切無し。もし姉さんがいなかったら、今頃路頭に迷っていた筈。
歩きながら定期を出して、切れてないか確かめる。———後三日か。
学割がきくとは言え、この出費は痛い。
私は、人込みに押されながら、自動改札機の中に定期を放り込んだ。
この機械も、いまいち馴染めないのよね。
後ろの人がいる時なんか、妙に焦るし。よく間違えて、違うカードなんか入れてしまう。そんな事をしようもんなら、ひんしゅくものだ。
・・・・・えっと、さっき、何を考えてたっけ?
そうそう、所詮世の中金次第って事。週末に友達と遊ぶには、お金がなくてはならない。楽しいけれど恐怖の週末。その為に、毎日遅くまでバイトする。
水商売でもすれば、きっとお金になるんだろうけど、そんな度胸なんてないし、せいぜい喫茶店のウエートレス止まり。物価が高いから、時給が多少良くても、思った程の稼ぎにはならないのが現実。
出るのはため息ばかりで、口からお金は出て来ない。
十九よ、私は。まだこの若さで、なんって年寄り染みた生活なのかしら。
出口の通路を歩いているうちに、段々人がまばらになって来た。賑やかな方とは逆なので、こっちの出口に向かう人は少ない。朝のラッシュ時はともかく、今日みたいな真っ昼間だと、少ないのが当たり前だった。
夜遅い時なんか、この通路は酷く不気味だ。たまに新聞紙の上で寝てるおじさんを見て、ぎょっとする。別に、何かされるって訳じゃないから、おじさんには申し訳ないんだけど・・・・。
ふーっ、やっと出口が見えて来た。
駅から十分歩いたとこに、姉のアパートがある。アパートって言っても、2LDKのお洒落なとこだ。
部屋は広いし、床は全てフローリング、ベランダだってある。玄関やキッチンに観葉植物なんか並べて、姉の部屋には高価な家具や流行の絵なんかも置いてあった。
よっぽどいい給料貰ってなきゃ、あんな暮らしは出来ないと思う。
気がつくと、早足になっていた。
やっぱ、昼間でも誰もいないのは気持ち悪い。
何時もは誰か一人くらいは居るのに、今日は全然だ。ここは怖い話も幾つかあって、妙に薄気味悪い。
出口にやっと着いた時には、取り敢えずほっとした。
はあ、今日は早いから、帰りにどっか寄ってこうかな。
最後の階段を登り終えて、何気なく視線を前へと戻す。
「えっ!?」
予想もしていなかった光景に、思わず目を疑った。
——————何よ、これ!
確かに、出口を出た筈なのに・・・・・。
そこは、何故かまだ駅の中だったのだ。それも、改札口。おまけに自動ではなく、田舎の駅のように駅員が立っている。そのまたはるか先に、出口のような明かりが見えた。
・・・・・これは、いったいどういう事だろう?
もしかしたら、間違えてしまったのだろうか?いや、まさか、何時も通い慣れてる駅の出口を、どうやったら間違えると言うのか。
「お客さん、通らはるんやないですか?」
駅員が、にやにや笑いながら言った。
「あっ、あの、ここは何処に出るんですか」
少し躊躇いながら、駅員に尋ねる。
「何処って言わはったんですか?そんなん言われても、道は一本出る場所も一つですわ」
駅員のにやにや笑いは、顔にへばりついたように消えない。私は気味が悪くなって、戻ろうかと後ろを振り返った。
「あきません!振り返ったらあきませんよ。ここから来たからには、ここを出なあきません。来た道を戻ったりしたら、大変な事になりますよ」
「どっ、どうなるんですか?」
震える声で問いかけると、駅員はにたっと笑った。
「そんなん、よう言いませんわ」
私は、更に恐ろしくなった。
言われるまま、仕方なく改札口を出て、恐る恐る駅員の顔を見る。と、彼は今度、歯を剥き出して笑った。
「お客さん、日が沈むまでにここに戻って来なあきませんよ。そうせぇへんかったら、二度と戻られへんようになりますから」
いったい何が起こったのか、私には理解出来なかった。
確かにある筈の出口が無く、今まで無かった出口が現れた。ある筈のない出口から、私は何処へ行くのだろう?
震えは、益々激しくなって来た。
「はよ行ったほうがいいですよ。ここに居ても、なんもありません」
駅員に急かされ、私は取り敢えず歩き出した。そうしなければならないような、異様な雰囲気を感じたからだ。
まるで夢遊病者のような足取りで、私は出口に向かった。すると後ろから、駅員の声が覆い被さって来る。
「戻る時も、決して振り返ってはあきませんよ。ええですか、絶対です。それから、日が沈むまでですよ」
突然激しい恐怖にかられて、私は走り出した。出口の明るさに引かれ、そこに早く辿り着きたいと欲した。
鼓動が激しく波うっている。恐怖と苦しさで、息が出来ないかと思うほどだ。
何なのよ、何なのよ、これは一体何なの?
混乱しながら、ひたすら出口を目指す。
ようやく出口から外に飛び出すと、眩しい光が私の目を塞いだ。一度目をきつくつぶり、そっと薄目を開けてみる。
見ると、何時もの風景だった。
毎日目にする町並みが、ずっと先まで続いている。角のパン屋も、クリーニング屋も、コンビニもあった。何もかも、朝と同じ。
私はほっとして、思わずその場にへたりこんだ。
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