第4話 こんな感じで王位につき
「サーシャ様のドレスがないとはどういうことですか!?」
ここは城の地下にある事務室。そこで事務仕事をしていたメイド長は年上の部下に詰め寄られて露骨に嫌そうな顔をした。
でも、年上の部下――メアリもその程度で遠慮したり怖気づいたりはしない。異国の踊り子だったユージンの母に仕えて以来、他のメイドたちからは腫れ物扱いされ、当時を知らない若いメイドたちからも厄介者扱いされている。メイド長の面倒くさそうな顔など見飽きているのだ。
「今日、突然やってきたのにドレスの用意が出来ているわけがないでしょう?」
「ですから、保管庫のカギを貸してくださいとお願いしているのです! 歴代のお妃様や王女様が着なくなったドレスが山ほど置いてあるじゃないですか!」
「御客人にあうサイズのドレスがあるかどうか」
「私が直します! 明日の朝までに……王位継承と女神様との契約の儀が始まるまでに間に合わせますよ。私の云十年になるメイド人生に懸けて!」
拳を握りしめて鼻息荒く宣言するメアリを見上げ、メイド長はため息混じりに額を押さえた。メアリの裁縫の腕前は知っている。確かにメアリの腕前なら明日の朝までに十分、直せるだろう。
でも――。
「必要ありません。御客人のドレスはグレンヴィル大臣のご息女が用意してくださるそうです」
ということになっているのだ。メイド長の答えにメアリはきょとんとした。でも、すぐにパァーッと目を輝かせた。
「あらあら、まあまあ、そうだったんですね! 詰め寄ったりしてごめんなさいね、メイド長。それならそうと仰ってくださればよかったのに。それでグレンヴィル大臣のご息女は明日、何時頃いらっしゃるのですか?」
「ご息女が――ヴィネット嬢が城に到着するのは儀式が始まる一時間ほど前だそうです。そのあと侍女たちがドレスを御客人の部屋まで運び入れるそうですよ」
「そのあと……?」
メイド長の気まずそうな顔を見つめてメアリはみるみるうちに目をつりあげた。ドレスを身に纏い、アクセサリーを選び、髪を結って化粧をするのに一時間では到底間に合わない。午前中に行われる王位継承と女神との契約の儀式には到底間に合わない。
「儀式は内々に、ウェスティア国の者のみで行うことになっています。御客人には午前中、長旅の疲れを癒していただき、その後、ゆっくりとドレスを選んでいただいて夜の祝賀パーティから参加してもらえばよいだろうとのことです」
「御客人、御客人って……!」
ユージンの妻として認めればいずれはウェスティア国国王の妃として扱わなければならなくなる。そうしたくないがゆえにあくまでもサーシャを客人として扱おうとするメイド長や、メイド長に指示したであろう大臣たちにメアリは腹を立てていた。
でも、今はもっと重要な、確認しておくべきことがある。
「王位継承の儀で王冠を手に王に付き従い、王と共に神殿に入るのは王族の方、もしくは伴侶となられた方、伴侶となられる予定の方の役目だったと記憶しています。王族の方はユージン様以外、一人もいない。伴侶であるサーシャ様もドレスがなくて儀式に参加できない。なら、どなたが王冠を手にユージン様と共に神殿に入るのですか!?」
責めるように睨むメアリを露骨に面倒くさそうな顔で見上げ、メイド長はため息混じりに言った。
「ヴィネット嬢ですよ。予定通り、ね」
***
「どうしましょう、サーシャ様!」
「どうした、メアリ」」
「……ど、どうしたの?」
真っ青な顔で部屋に飛び込んできたメアリを見てサーシャとユージンは呑気に首を傾げた。
「かくかくしかじかでドレスがご用意できず、王位継承と女神様との契約の儀にサーシャ様が参加できないんです!」
「ふむ、そうか」
「サ……サササササーシャが儀式に、さ、参加できない!?」
参加できない当のサーシャよりもベッドの上で愛用の布団を肩に羽織ってくつろいでいたユージンの方が慌てふためいた。
「こ、困ります! すっごい困ります! サーシャにそばにいてもらわないと僕の胃がこ、ここここ困ります! 厳かな儀式、大勢の人たちの目、面倒くさそうな人間関係……む、むむむむ無理! 僕の胃が無理!」
「ふむ、確かにユージンの胃の危機だな」
「しかも、伴侶になる方がやるべき王冠を運ぶ役をグレンヴィル大臣のご息女であるヴィネット様がやるんだそうです!」
「ほぉ、そうなのか」
「こ、ここここ困ります! それってその令嬢を正妃にする気満々じゃないですか! ぼ、僕……サーシャ以外となんてむ、無理です!」
「あらやだ、そんなに堂々と惚気て。若いっていいですわねぇ」
「落ち着け、ユージン。メアリもだ」
慌てふためくユージンと呑気にニコニコ顔になっているメアリにサーシャは〝どうどう〟と手で示した。
「今、最も重要なのはつつがなく儀式を終えることだ。正妃云々について考えるのは後まわし」
「あらぁ、正妻の余裕ですね」
「せ、せいひゃい!」
「それより何より心配なのはユージンの胃の方だ」
サーシャにじっと見つめられ、サーシャの言葉に明日の朝一から始まる王位継承と女神との契約の儀に思いをはせ、ユージンは真顔に戻ると静かに愛用のボロボロ布団を頭から被り、布団の小山と化した。
「サ、サーシャなしで王位継承と女神様との契約の儀に臨むなんて……む、むむむむ無理。僕の胃的に絶対無理!」
「だろうな。お前の雪ウサギのように繊細な性格と胃では無理だ。任せろ。必ずお前の胃を守ってみせるぞ!」
「サーシャ様と一緒じゃないと嫌だなんて……本当にユージン様はサーシャ様のことが大好きなんですね。これならグレンヴィル大臣のご息女も他のご令嬢も割って入る隙なんて全然ありませんね。本当に若いっていいですわねぇ!」
「サーシャと……サーシャと一緒じゃないと……」
「わかっている、わかっている例え、ドレスがなかろうと余は決して儀式のあいだも、何時たりともお前のそばを離れぬぞ。……というわけで儀式についてよく知っているメアリに知恵を借りたい」
「はい、なんでございましょう!」
若い二人のやりとりににんまりにまにましていたメアリは慌てて背筋を伸ばした。
「ドレスなしでユージンに付き従うことができ、交代してもらえそうな役目はないか」
「そ、そんな都合がいい役、簡単に見つかるわけ……」
「ありますよ。えぇ、あります!」
「そうか、あるか。さすがだ、メアリ!」
「え……、あるの? そ、そんなにあっさり、み、見つかるの……!?」
胸を張ってきっぱりと言うメアリにサーシャは手を叩き、ユージンは素っ頓狂な声をあげたのだった。
***
ウェスティア国大臣の一人でありグレンヴィル公爵家現当主の娘、ヴィネット・スコット・グレンヴィルは隣に立つユージンの手元を見てにこりと微笑んだ。
「ユージン様、
「ひぇっ!? お、おうひゃく……!?」
「王笏……その杖です」
繊細な装飾が施された金の杖を一瞥。ユージンはヴィネットの視線から逃れるように背中を丸めた。
「す、すすす……すみません……! で、でも……この杖、金製で重くて……右腕だと……も、持てな……」
金髪碧眼に白い肌と歴代のウェスティア国国王から受け継いだ容姿をしてはいる。しかし、人の視線を避けるようにうつむき、背中を丸め、おどおどと目を揺らし、まともに喋ることもできない。
これが次期ウェスティア国国王――自分の夫となる人。
〝完全無比の淑女〟として感情を表に出すようなことはしない。凛と背筋を伸ばし、砂糖菓子のように愛らしい微笑みを常に口元に
王になるべく育てられたわけでも、教育を受けていたわけでもない。仕方がないとはわかっているけれどあまりの威厳のなさにガッカリしていた。
「重くて片手で持てないようでしたら両手でお持ちになってください。左手はウェスティアでは不浄の手とされておりますので」
「ひゃ、ひゃい……!」
こくこくとうなずいたユージンは王笏を両手で仰々しく抱えて背中を丸めた。その様子にヴィネットはさらに失望する。
でも――。
「……!」
肩に羽織ったガウンを引っ張られて振り返ったユージンはローブのフードを目深に被った介添え人の姿に表情をやわらげると深呼吸を一つ。先ほどよりもほんの少しだけ背筋を伸ばし、顔をあげて前を向いて、まだ閉じられている神殿の扉を見つめた。
本当にわずかだけれど威厳の宿った横顔を見つめ、ユージンが見つめていたローブの人物を見つめ、ヴィネットは優雅な足取りで年配のメイドと話しているローブの人物の元に歩み寄った。
「御機嫌よう。あなた、儀式に参列なさるの?」
にこりと微笑みかけるとメイドは慌てて頭を下げた。ローブの人物はヴィネットの身分など気にした様子もなく〝うむ!〟と元気いっぱいに答えた。メイドが慌てた様子でローブの人物を肘で突くと意図を察したらしい。
「介添え人の一人だ……です。ガウンの裾を持つ……ちます」
ぎこちない仕草で頭を下げ、たどたどしい口調でそう言った。
ヴィネットの視線はローブの袖から見えている腕に、そして、そこから見える傷痕に向けられた。
「わたくしの予備の手袋を持ってきて。この方に貸して差し上げて」
ヴィネットが侍女に声をかけるのを聞いてローブの人物が首を傾げる。
「差し出がましいようですが……」
「この傷か? それなら不要だ。この傷は余の誇り。隠す必要は感じていない」
「その傷があなたにとっての誇りなのだとしたら、同時にあなたの身分を明かすものにもなります。この場では隠しておいた方がよろしいかと思いまして」
侍女が持ってきたのはローブの色に合わせた紺色の、肘までの丈の長さの手袋だ。袖の長いローブなら腕にある傷もすっかり隠せるだろう。
「なるほど」
ローブの人物は納得したのか、深々とうなずくと手袋を受け取った。
「すまんな、ありがとう。どうもこういうことに疎くていかん」
フードを深く被っているから表情は見えない。それでも晴れやかな笑顔を浮かべているのだろうとわかる声にヴィネットは動揺を顔には出さずに微笑むとそれではと会釈してその場を離れた。
「……お嬢様?」
ローブの人物に背を向けるなりヴィネットは口元を扇子で隠して目を伏せた。侍女の心配そうな声になんでもないと言うように小さく首を横に振る。
「いえ、ただ……兵士たちが身構え、体の傷を隠そうともしないような方だからどんなに苛烈で高慢なお姫様かと思っていたのですが……まるであどけない子供のようで。少し、驚いてしまったのです」
「しかし、それは一国の姫、一国の王の妃としてはいかがなものでしょう。やはり国母となられる方には相応の品格が備わっていなくては。例えば、ヴィネット様のような……!」
「でも、ああいう方に癒されて心救われる方もいるのでしょう」
扇子で口元を隠したままヴィネットはユージンの横顔を見つめた。相変わらずおどおどおろおろと怯えた目で周囲の様子をうかがっている。しかし、ローブの人物を――サーシャを見つめるときだけは表情をやわらげ、眩しいものでも見るかのように目を細めている。
オーリア国による政略結婚であればと思っていた。
「でも、もし望んで結婚をしたのだとしたら……」
フードを目深に被っていても透けて見えるような邪気のない笑顔と含みなんてなさそうな言葉を思い出してヴィネットは扇子の影に曇り顔を隠した。
「少々、心苦しいですね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます