第3話 こんな感じで歓迎(?)され

「改めまして、ユージン様、サーシャ様。お二人のお世話をさせていただきます、メアリです。どうぞよろしくお願いいたします」


 王城の最上階にある広くて豪華な部屋に案内し、大臣たちが出て行くのを見送ったあと、メアリは改めて深々とお辞儀した。


「うむ、よろしく頼む!」


 大臣たちと接するときと変わらずに明るくはつらつとした笑顔であいさつしたのはサーシャだ。

 そして――。


「……よろしく、お願いします」


 ユージンはといえばボロボロの布団から顔をのぞかせてあいさつした。

 もちろんウェスティア国が用意した布団ではない。オーリア国から持ってきた、ユージンが子供の頃から十年以上、愛用している布団だ。部屋に入るなりベッドに飛び乗り、愛用の布団をすっぽり被って布団の小山と化していたのだ。大臣たちから明日以降の予定を聞いているあいだ中、ずっと。

 ところが大臣たちが部屋を出るとぎゅっと縮こまっていた布団の小山がちょっとだけ大きくなってリラックスした様子を見せ、メアリのあいさつに対しては布団から顔を出して答えたのだ。


「ふむ!」


 ユージンの極度の人見知りと警戒心の強さを知るサーシャはその様子を見てニコニコニコニコと上機嫌な顔になった。そしてニコニコ顔のまま、メアリに向き直った。


「ユージン様お一人とうかがっておりましたので身のまわりのお世話をする者が私一人しかいないのです。後程、メイド長に人を増やすように伝えておきますので……」


「いや、必要ない。余もユージンも身のまわりことは自分でできる。ウェスティア国の習わしや城内の案内、事情を尋ねられる者がいれば良い。であるなら、そなた一人で十分ではないか?」


「ええ、まあ、確かに。お二人がお生まれになるよりもずっと前からこの城にメイドとして仕えておりますからねえ」


「ならば、やはりそなた一人で十分だ。多くの者たちにせわしなく世話を焼かれるよりも身のまわりのことは自分たちでやり、足りないところはそなたの手と知恵と知識を頼って過ごす方が良い。特にユージンの胃のためにはな」


 〝ユージンの胃のため〟――。

 それを聞いたメアリは頬に手を当てて目を丸くした。


「あらあら、まあまあ。そういうことでしたらそのように。お飲み物はリラックス効果のあるものにしましょうか。ハーブティはお好きかしら?」


「うむ、余もユージンも大好きだ。なぁ、ユージン」


「う、うん……!」


「なら早速、お淹れしましょうね。胃にこたえる出迎えだったでしょう? 全く! まわりくどい言い方ばっかりして!」


 プンプンと怒りながらテキパキとお茶を淹れるメアリの背中をサーシャはニコニコ顔で見つめた。

 と――。


「……あ、あの……あなたは、大丈夫なのですか……?」


 布団を頭から被って顔だけをのぞかせた状態でユージンが尋ねた。振り返ったメアリは道に迷った子供のように頼りなげな目をしているユージンをじっと見つめた。

 王族の――それも次期国王になるために招かれたはずのユージンの世話をするメイドが一人というのはおかしい。十人、二十人といてもいいくらいだ。大臣かメイド長が一人で十分と判断したのか。あるいはメイドたちがユージンの世話を拒否したのか。どちらにしろ異国の踊り子を母に持つ卑しい身分の王子がいまだに城内で軽んじられているということだ。

 そして、そういう扱いの軽い者の世話を押し付けられるのは大抵、扱いの軽い者か人が良いゆえにハズレを引かされる者なのだ。ユージンの母である異国の踊り子レヴァ・アバイネの世話を言い付けられたメイドがそうであったように。


「お母様のときのことを覚えていらっしゃるのですね」


「……覚えて、は。ただ、ウェスティアを出たあと、母がいつも……気にしていたので。ただ一人、友人のように優しくしてくれたあのメイドの立場が悪くなっていないか……他のメイドたちに意地悪されていないかって……」


「あら、〝ように〟ではなく本当の友人のつもりですよ」


 布団の端を引っ張って隠れてしまったユージンの顔をのぞきこんでメアリは目を細めて微笑んだ。

 一拍。ユージンは布団を跳ね上げてパッと顔をあげた。


「え……あ、じゃあ……」


「ええ、そのメイドが私です。そうですか。レヴァは城を出たあとも私のことを気にかけてくれていたのですね」


「あ、あの……ごめん、なさい。顔も名前も……覚えてなくて……」


「仕方がありませんよ。物心がつくかつかないかの頃でしたし、あなたもあなたのお母様も城にいるあいだ、ずっとうつむいてらっしゃいましたから」


「で、でも……あなたと話すときの母は笑顔でした!」


 だから、ユージンはメアリの顔を覚えていないのだ。滅多に見られない笑顔を見ていたくて、メアリと話す母の顔だけを見上げていたから。

 ユージンの頬を愛おし気に撫でてメアリは皺の多い顔をさらにくしゃくしゃにした。馬車を降りて来たユージンを見たときに思ったのだ。確かに金髪碧眼に白い肌とパッと見はウェスティア国の王族らしい姿、父である前国王に似た姿をしている。

 でも――。


「本当にレヴァそっくりに育ったこと」


 すらりと細い体や長い手足、愛らしく垂れた目、つぐんでいても微笑んでいるように見える薄い唇。まとう儚げな雰囲気までもが異国の踊り子であった母親に――メアリの記憶の中にあるレヴァにそっくりだった。


「レヴァは我がオーリア国の王城に保護されてすぐに病に倒れ、一か月もしないうちに死んでしまったのだ。だから、この城にいた頃の話やユージンが物心つく前の話は聞けずじまいだった」


 母親のように優しい目でユージンを見つめるメアリの背を撫で、サーシャはにこりと微笑んだ。


「メアリ。ユージンも覚えていないユージンの幼い頃の話やレヴァの話をユージンや余に聞かせてくれ。ゆっくりと時間をかけて」


「ええ、もちろんですよ、サーシャ様。……でも、まずは明日の相談をしなくてはなりませんね」


 メアリの言葉にサーシャもユージンも背筋を伸ばした。


「まさか着いた翌日に王位継承、女神との契約の儀を行うとはな」


「ぼ、僕を殺すための兄の罠かもって疑ってたけど……その可能性はなさそう、かな……?」


「ございませんよ。正真正銘、ユージン様が我が国の民にとって最後の頼みの綱です」


 可能性は低いとわかってもまだ首をすくめてきょろきょろとあたりを警戒するユージンに、しかし、メアリはきっぱりと言った。


「いい迷惑ですよ。兵士だけじゃなく多くの民も……私の家族もみんな、内乱に巻き込んで殺しておいて。今度は女神の加護を失って、また命の危険にさらすなんて」


 低く押し殺した声で言ってメアリが窓を開け放つ。そこからひんやりとした空気が流れ込んできた。一年のうち半分が吹雪で閉ざされるオーリア国出身のサーシャからすれば暖かいと感じる風だ。でも、ウェスティア国の温暖な気候を肌で知っているユージンは顔を強張らせた。

 ずっと馬車に乗っていたし、城に入るときも緊張で気が付かなかった。でも、女神の加護はとっくに消えているのだ。


 ***


「お帰りなさいませ、お父様」


 ウェスティア国大臣の一人であるグレンヴィル公爵は玄関を開けるなり出迎えてくれた娘の微笑みに目を細めた。


 ヴィネット・スコット・グレンヴィル。


 ウェスティア国の要職を歴任してきた名門貴族グレンヴィル公爵家現当主の娘であり、彼女自身もまた〝完全無比の淑女〟と称されるウェスティア国の令嬢すべての憧れであり鑑である存在。ウェスティア国で美人とされる白い肌と金色の髪、青い目を持ち、砂糖菓子のように愛らしい容姿をしている。

 しかし、可愛いだけで淑女などと――まして〝完全無比の淑女〟などと呼ばれるはずもない。

 幼い頃より次期王妃になるべく厳しい淑女教育を受け、教養、礼儀作法、国際儀礼プロトコール、社交術、化粧に家事一切はもちろんのこと、気品に貴族としての矜持ノブレス・オブリージュの精神も完璧に身につけて実践している。

 親の欲目があったとしても素晴らしく優秀な自慢の娘だ。


「ただいま、ヴィネット」


「……いかがでしたか」


 ヴィネットの額にキスを落としていたグレンヴィル公爵はその問いに表情を曇らせた。

 ヴィネットは王座に座った者の隣に立つことが生まれたときから決められていた。父よりも年上の国王や性格に難のある国王――考え得るケースの中でも悪い方に分類される国王の隣に立つことが決まってしまったことに父として胸が痛んだ。

 異国の踊り子を母に持つ卑しい王子。ウェスティア国の王族としての誇りも矜持もなく、恥も外聞もなく関係が良好とは言えない隣国オーリアに保護された王子。そして、どういう理由でだかオーリア国の第十三王女と結婚していた王子。

 淑女教育が始まったときから覚悟はしていたが大臣、公爵家の当主と言っても人の親だ。目をそらして俯く父の様子を見てヴィネットは眉を八の字に下げた。でも、すぐににこりと微笑むと父の頬を白く細い両の手で包み込んだ。


「お父様、お覚悟を」


 愛らしい微笑みに反して娘の口から出た鋭い言葉にグレンヴィル公爵はハッと顔をあげた。


「わたくしたちには先の内乱を止めることができなかった大罪がございます。娘の命、ご自身の命を駒にしても民のために為すべきことを為してください」


 愛らしい微笑みの奥に見える娘の苛烈さにグレンヴィル公爵は苦笑いして小さくうなずいた。


「明日の予定が少々、狂った。説明するから書斎に来てくれ」


「かしこまりました、お父様。お茶の用意をしてまいりますのどうぞ、そのあいだに着替えをすませてください。一日中、堅苦しい格好をしていてお疲れでしょう?」


 茶目っ気たっぷりに片目をつむって見せたあと、ヴィネットは美しい仕草で一礼してキッチンへと向かった。背筋を伸ばして廊下を歩いて行く娘の背中を見送りながらグレンヴィル公爵は娘に気付かれないようにこっそりとため息をついた。

 大臣、公爵家の当主といっても――娘にああ言われても、やっぱり人の親なのだ。

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