第2話 厚意?

 グッズショップから徒歩八分ほど、中央街の喧騒から少し逃げた先にある坂の上の一角に女の住処はあった。白を基調とした家が建ち並ぶ中、女は茶色いウッドタイルの外壁のやけに悪目立ちする二階建ての前で蓮斗のほうに振り返り手招きをする。まるでカフェのようだ。外壁と同化している玄関扉には"CLOSE"とドアプレートがかかっている。扉の両側には大きな窓があり、中の様子が丸見えだ。座り心地の良さそうな一人がけのアンティーク調の椅子が机とセットで四席奥に向かって並んでいる。もう一方の大窓とキッチンの間のスペースには、よくある応接間のようにローテーブルを挟んでソファーが二つ置いてある。


「目立ちますね」

「おかげでそれなりに繁盛しているよ」「なんの店ですか」

「カフェシドウ」


聞き慣れない苗字に首を傾げると、女は鍵を挿しながらハハハと笑う。どうやら呆れられたらしい。心外だ、珍しい苗字をしているそっちが悪いだろう。


「紫の藤の花で紫藤。カフェの表記はローマ字にしてあるんだ」


カフェSIDOUということか。気になって検索にかけようとスマホを取り出した左手を女に掴まれカフェ内に引きずりこまれる。女が発する柔らかな匂いに混じって優しい木の匂いがする。


「あ、鍵閉めてくれ。上だけでいい」


女の手が離れていき、玄関に取り残されそうになる。


「木の香りが良いだろう?」


こくこくと首だけ縦に動かし女に続く。香水の匂いがしないことで、余計に実家のような安心感を感じる。母と姉がいるが、誰も香水なんてつけていないからか香水の匂いに敏感で困っていた。


「キッチンは自由に使ってくれて構わないよ。まだ家電は揃っていないが」

「こ、これどこから入るんすか」


キッチンスペースは焦茶色のカウンター席に囲まれており、キッチンと完全に一体となったカウンターテーブルには一切の隙がない。


「いや、ここがこうやって上がるんだよ、ほら」


女はカウンター席の一番端の板を持ち上げて見せた。どうやら俺は照明の光を照り返す金の蝶番に気づけないほど緊張しているらしい。


「コンビニとかによくありますね」

「そうそうそれだ」


女に続きキッチンに侵入する。さすが新築、水回りもコンロもピカピカだ。

ん?ピカピカ...?


「ん?どうしたんだい、神妙な顔をして」

「冷蔵庫見てもいいですか」「ああ、構わんが中は」


女の声を無視して焦茶の冷蔵庫の上段を開ける。


「紫藤さん、あんたミニマリストですか」

「中は何も入っていない、と言いたかったんだがな」

「アンタさぁ…!」


 まさか自分が出会って二十分そこらの女性にこんなにイラつくとは思わなかった。

オムライスを作らせたいのに材料がなにもないって何...?

蓮斗は内心ため息をつきながらキッチンから出る。


「えっ、ど、どこに行くんだい?」


蓮斗の歯がカリカリと音を立てている。


「材料買いに、行きますよっ!!!」




 昼どきの業務スーパーは、コスパを求める主婦で賑わいを見せる。便利な冷凍食品なんかは入店直後に無くなっていると思っていた方がいい。

 いや、さすがにちょっと話を盛りすぎた。でもそれくらい便利という事だ。

卵の棚を探しながらまずは自動ドアのすぐ横に積まれた玉ねぎの袋を物色する。


「オムライスって卵とケチャップさえあればいいんじゃないのかい?」

「ケチャップライスがただのすっぱい米になりますよ、それ」


女が押す買い物カートに玉ねぎを一袋入れる。三つ入りで二三〇円、一つ七六円。物価高に呑まれた日本の中で唯一のオアシスと言っても過言じゃない。あ、いや、やっぱり過言かもしれない。


「嫌いな野菜とかありますか?」

「野菜なんて全部嫌いだ!視認できる状態で出されたら絶対に食べないよ」

「意外と好き嫌いするんですね」


ここまでナイスバディに育ったのは何が原因だったのだろう、と蓮斗は無意識に女の胸へ着地した視線を再度泳がせる。女性経験が無いせいか、はたまた生まれた時からの特性:陰キャのせいか。目のやり場に困る。というか顔も見れない。


「意外と、とはなんだ…そういう君は苦手なものはあるのかい?」

「僕ですか?昔から何でも食べますけど…しいたけはちょっと苦手ですね、自分からは食べようと思えないです」


お吸い物に入っているあの微妙な味と食感を思い出しげんなりする。あれだけは子供時代にとんでもなく抵抗した記憶がある。


「ほう、意外だな」

「意外ってなんですか。人参取ってきてください、あっちの奥の卵取りに行ってますから」

「承知した」


 女が生鮮食品のコーナーに小走りで行くのを確認し、歩きながら買い物リストを取り出す。基本調味料も不足していたことが判明してしまい、メモにはびっしりと材料が書かれている。今日でもう何度目か分からない溜め息が出る。




 「あの、手伝ってくれないんですか」

 結局、特大商品ばかり扱う業務スーパーだけでは丁度良い量が揃わず他の店もハシゴする羽目になり、気づけば時刻は午後一時。運動不足な蓮斗の腕は既に悲鳴を上げていた。蓮斗が袋を漁る横で、女はフラフラと革張りの茶色いソファーに深く座った。


「私は依頼人、君は請負人。私が君を手伝う義務はないどころか、全てを任せる権利を持っている」

「要は手伝う気は無いってことですよね」


そもそも、と女は蓮斗の黒い手提げバッグを指さす。女の指から守るように、赤星のアクキーが入っている所を上から押さえる。


「これはその赤星の対価としての労働だろう」

「いやまぁそうですけど、でも」「じゃぁ君は責任感を持って仕事を全うするべきだ、そうだろう?」


女はソファーの横で尻尾を揺らす黒猫を拾い上げ、靴も脱がず長い足をソファーの肘掛けに乗せて寝転がった。猫は女の腹の上に収まっている。


「早くしてくれ、お腹と背中がくっついてしまう」

「それ、腹の上に猫乗せてるからじゃないっすかね」


黒いショルダーバッグからスマホを取り出し眺め始めた。YouTubeを見始めたようで、親の声よりも聞いた赤星うららの挨拶が部屋中に響く。


「音でかくないっすか」

『やっほーみんな!今日も元気なレッドスターが通るよ!どうも、赤星うららです!三月七日二十三時ちょうど、今日は巷で話題の、あ・の、ホラゲーをやっていきたいと思います!』

「音量上げすぎた」「ですよね」


どうやら先週のホラゲ実況配信のアーカイブのようだ。赤星はゲームスキルや実況力が高く、驚いたり叫んだりすることは少ないので、赤星が叫ぶ貴重なシーンのたびにスーパーチャット、通称「スパチャ」が飛び交いコメント欄が虹色に染まっていたのを蓮斗は思いだす。

丁度いい大きさのフライパンをキッチン下の引き出しで発見。焦げ付かない、が売りのフライパンのようだ。

…フライパンが一個しか見当たらない。これでは同時調理ができない。

 いや、まあいい。ニート生活3年目、こんなの何回作ったと思ってんだ。なめんなよ!


「赤星、好きなんですか?」

「あぁ…え〜っとね、以前見た殺人鬼になるゲームの動画が面白くてね、なんとなく追いかけている」

「あ、海外のドット調のやつですよね?あれ結構バイオレンスな内容なのにめちゃくちゃ面白かったっすよね!赤星やっぱすげぇなって」


赤星のことになると急に饒舌になる蓮斗は、本当に使っていないことがよく分かる異様に綺麗なシンクの横、乾燥棚の中に包丁と木製まな板を発見する。自分では料理なんてしないと言っていたわりに、道具はやけに良いものばかりだ。


「まったくだ。人は誰でも殺人鬼になれる素質を持っているってのは本当なんだなと感心したよ」「…え、そっち?」

「何か問題でもあったかい?」

「いや、実況者じゃなくてゲームを見に来てるタイプなのかぁと…」

「もちろん赤星は可愛いと思って見ているよ」

「ですよね〜」


 フライパンは棚に入っていたのでまだ良いものの、乾燥棚で見つけた包丁とまな板はいつから放置されているのか怖いので軽く水で濯ぐ。ふと、玄関前の看板がくCLOSEになっていたことを思い出し、蓮斗は水を止めた。


「あの…料理しないって言ってましたけど、ここ、カフェなんですよね?」

「料理?出来ないわけでは無いよ。メニュー表なら席にあるから自分で見てくれ」


横着してキッチンからカウンター席の、ラミネート加工されたメニュー表に手を伸ばし眺める。様々な種類のコーヒー、紅茶、ジュースがおしゃれなフォントで印字されている。軽食の欄は一番右下に申し訳程度に用意されていた。


「たまごサンド、BLTサンド、ホットケーキ…だけですか」

「だけとは心外だな、そもそも君、カフェに軽食を求めて来るもんじゃないよ。ドリンクにこだわりを求め、そのおいしさを追求するから真のカフェなのだよ」


女が黒猫の首元を撫で、猫が緩みきった顔で喉を鳴らす。


「あんた、スタバ行ってコーヒーを何もカスタマイズせず頼む意識高い系ですか」

「いや、チョコのフラペチーノしか飲まない。あと、絶対一緒にケーキも頼む。あぁでもこの前新作を飲んできた所だよ」

「言ってることとやってること違いすぎませんか」

「何か問題でもあったかい?」

「いや別に…」


 こんな店に来て客は満足して帰れるのだろうか。メニュー表を席に戻し、レジ袋から材料を取り出す。


「おや、ようやく作るのかい」

「あんたが手伝わないからフライパン探すところから始めてたんですよ」

「ははは、そうかい。まぁ、アクキーのぶんまでしっかり働いてくれ」


女は乾いた笑いをこぼし、猫を撫で続ける。猫は喉を鳴らし続ける。

 まったく、黒猫様は良いご身分ですね!

ムカつく気持ちを抑え、まな板の横に抱えていた材料を重ね置く。玉ねぎの外袋を生ゴミ専用に整えて、まずは玉ねぎを切るところからだ。


「あぁ言い忘れていた、食感は大事にしてくれ」「え、あ、はい」

「あとケチャップライスは酸っぱくなりすぎないようにしてほしい」

「分かりました」

「それから仕上げのケチャップで絵を描かないでくれ、崩しづらいから」

「描きませんよ、ガキじゃないんだから」

「あ、卵を開くのは私にやらせてくれ!それがやりたくてリクエストしたようなものだから」

「ちょっと黙っててくれません?」


皮を剥がした玉ねぎを半分に切る。リクエスト通り、みじん切りのサイズは少し大きめ。


「注文多すぎるんですよ、ちょっとほんとに、もうわかったんで」

「ミスがあったら赤星のアクキーは返してもらうからね」

「は?ちょっと、さすがにその量の要望は覚えられないんで!もう横で見ててくださいよ、なんでそのクソ遠い所から指示通ると思ってるんですか!」

「遠くない。十分聞こえているだろう?私はアーカイブを見るのに必死なんだ、良い感じに頼むよ」


そう言って、女はどこから取り出したのか黒いイヤホンをつけた。もう蓮斗のお小言を聞く気は無いという意味だろう。


「そっちがその気なら、こっちも本気出してやるよ」


 赤星のためにもな!!!!


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