5. コミュ障ぼっちは孤立無援だし、もし助けを求めて人と関わったとしても否応無く相手に不快な思いをさせる為拒絶されます。

 梅雨に入って数日経ったぐらい。僕の様なコミュ障ぼっちにとっては、ぬるぬるぴたぴたしたトイレのタイルがうざったい事で有名な時候。

 ふた月間クラスの中で過ごしてみても、やはり、コミュ障ぼっちとしてクラスから孤立しているという、僕のまことにゆゆしき情勢は何も変わっていない。僕は、今までの小学校、中学校、高校と、一〇年間の学校生活で経験してきたのと同じ様に、無事クラスの中で孤立しているのであった。

 僕のぼっち具合は以前よりもさらにさらに進行し、このふた月間、必要不可欠な会話を除いては、クラスの人間とは全く意思の疎通コミュニケーションを取っていない。


 そんな僕の生活を簡単に示してみよう。

 朝から事務的な会話を除き誰とも口をきかない。授業の合間の休み時間は机に突っ伏して寝る。昼休みには、がわいわい机を並べて昼食を摂っている疎ましい教室なんかでは無く、晴れれば誰も来ない静かな外のベンチで、雨が降れば人の来ないトイレの個室で、弁当の主菜副菜白米すべてをポロポロこぼしながら口に突っ込む。その後は妄想しながら学内徘徊。そして体育になれば、授業の始まりから終わりまでトイレで妄想をしている——そんな一日の繰り返し。客観的に見れば、本当にひどい有様である。が、僕の主観ではこれらの習慣は「極力人と関わらない事で相手と自分の不快な思いを最小限度にする」という目的を達成する為に必要な事である、と強力に正当化されているから、この習慣は変わらない。事態は少しも改善に向かう気配が無い。


 抑々そもそも、相手の意図を適切に理解する事が出来ない、口を開けば挙動不審に見当違いの事ばかりをまくしたてる、そうしたコミュ障の性質を生まれながらにして持っている人間が、普通の能力を持つ人間と同様に他人たにんと永い間仲良くしようたって、それはどだい無理な話では無いか。黙るしか無いのでは無いか。だから、そんな僕は人と意思の疎通をするのは最小限度にして、そうして他人ひとを不快にさせないという選択肢を取る。僕だって人と関わって青春を過ごしたいのだけれども、「出来るだけ他人に不快な思いをさせたく無い」という己の良心が為に、バケツからあふれんばかりの涙をのんで、そんな事をやっているのである。当然これも尊重されるべき自己決定のひとつだ。許して欲しい。許して欲しい……


 僕は今、トイレの中でそんな妄想をしている。勿論もちろん、体育の授業中である。

 僕は、あの忌々しくそして甚だ危険である、体育の授業から退避して、絶対安全カプセル、僕の小学生の時からの心の避難所、つまりトイレの個室で、英単語帳を読んで勉強しているのであった。

 僕がそうしているのは、体育館の入り口付近にある、青タイルに囲まれた、掃除の行き届かない、汚い男子トイレの和式個室の中。個室の壁に寄りかかる事もせず、直立不動の体勢にて、厚めの単語帳をめくっては読み、めくっては読みしている。聞こえるには、ざあざあと、壁のタイルとアルマイトのサッシに囲まれた窓から外の音。湿った空気が漏れ入って来ているのも感じる。一応窓は閉まっているが、窓枠と窓との密着性を上げる為の所謂いわゆるゴムパッキンにガタが来ているのだろう。この梅雨つゆの時期。雨が降っているので、かなりジメジメしている。匂いもよろしくない。これほどの不快な要素がある中で、僕は体育の授業から解放されたという、何とも言えない神秘的な安心感や苦から解脱し切った様な感情を抱いている。妄想もひと段落したので、授業前にあらかじめトイレに置いておいた、やや分厚めの単語帳を持って、そのページをめくり、和式個室トイレの隅の壁際に寄りかかって、英単語の勉強を始めた。


 Vital, Vivid, Revive ……と英単語を記憶していく……先月、体育の授業で、とてつもないヘマをやらかしたのにり、少しでもサボれる様な状況が授業中に形成つくられた時には、このようにして、今までの学校生活と同じ様に積極的に体育の授業をトイレの中でやり過ごす様になっていた。

 男女混合のサッカーの授業期間も終わり、今は、選択制のバレーとバドミントンの授業期間中にある。

 僕は、授業の初めの挨拶には出て、出席のカウントの中に入り、バレーとバドミントンで人が丁度二手に分かれる時、そこを狙って、こっそりとトイレに入り、この様にサボっているのであった。出席は既に取られているから単位を落とす心配はない。他の利点も言うなら、こうした選択制の授業形態であるから、片方の授業で僕が居なかったとしても、おそらくはもう片方の授業に僕が出ているのであろう、と周囲の人には思われる。僕の選択授業なんか、クラスメイトは誰も知らない。いなくても、不審に思われない。だから、サボるのにはうってつけの、物凄く都合の良い状況である。


 僕は、腕時計を見て、時間を把握した。今は、授業が始まってから、大体二〇分ぐらいである。授業の終わる丁度一五分くらい前、つまり、これから約一五分後にトイレから脱出し、運動場の隅にでもいれば、終わりの挨拶にも潜り込める。そうすれば、完全サボり授業が達成される訳だ。体育の授業は、皆なずっとこうした形態であれば良いのに。


 僕はこうして今日も無事に体育の授業をやり過ごすのであった。



 日を同じくして数時間後、雨を避けてトイレでぼっち弁当を食べ終わった後の昼休み。今日提出の課題を終わらせる為に夜更かしをしてしまい眠気が強かったから、珍しく教室に戻り、僕は机に突っ伏して寝ていた。

 外はざざ降り。雨粒と灰色の雲が空を掻き暗している。昼間なのに、常に日暮れ時の様な暗さ。教室の電燈の明るさの方が環境光よりも明るい。床は木にベージュの塗装。壁も窓枠の下に接する所まで黄色く、そこから上は白で、天気とは対照的に教室の雰囲気は明るめ。いくつかの席は掃除の為に椅子を机の上にあげている。人はまばらで、何人か真面目な女子生徒が勉強をしているぐらい。そんな物静かな教室空間の中で突っ伏し寝出すコミュ障ぼっちの僕。

 突っ伏してから五分くらい経って、眠りに入りかけた。少し微睡まどろんだか、していないかの境界ぐらいである。そんな時に僕の周りで人が歩いて来る物音がした。僕はそれに朧げな意識の中で気づきはしたが、眠気が勝ち、やはり寝たままであった。起き上がらない。人が歩く物音は、僕の机の丁度右横で止まり、そうして、コトン、と、隣の席になにか固い物を置く様な音がした。


 そして数十秒後。タイマーの大音量アラームが鳴り響いた。

 ピピピピピッ!!ピピピピピッ!!ピピピピピッ!!

 僕は驚いて飛び上がる様に起き、僕の右隣の机に置かれた、けたたましく鳴り響くタイマーのボタンを押して電源を切った。中途覚醒の頭がイガイガする様な不快感に襲われて苛立つ。


 誰だ、こんな不愉快極まり無い事をしたのは。瞬時に周囲を見渡す。

 教室の中にいるのは、五人の女子生徒。いづれも本を読んだり、勉強などをしていて、僕なんかにはとてもちょっかいを出す様な人種で無いという事が、直感的に分かった。

 そうならば、僕を不快なアラームで起こすとかいう厄介なちょっかいを出した人間は、教室から逃げたのか?男子生徒か、あるいは女子生徒なのか?追おうか、追うまいか。いろいろな考えが頭を巡った。今はほとんど無意味だから犯人捜しはやめよう。僕がするべき行動を考える。恐らく、廊下で人と話している振りをしつつ僕の反応を遠目に見ている者がいるだろう。だから、面白い反応をしたらダメだ。教室から駆けていく様に出て行って犯人を探す様な真似をしたら、こうしたちょっかいをもっと出される様な状況になるかもしれない。かと言って、このまま放置してしまうのは、僕の腹の虫がおさまらない。


 僕はひとつの答えを出した。

 ベージュ色のタイマーを教室の床に叩きつけ、そこそこ大きな音を出す。その後、タイマーが正常に動作する事を確認し、あるべき教卓の引き出しに戻した。憤慨ふんがいしている事だけは示そうと思ったのだ。そうして教壇から自分の席に戻る途中、犯人についての情報を五人の女子生徒に訊こうとも思ったが、よくよく考えてやめた。女性恐怖症の僕が女子生徒とまともに会話出来る訳が無い。たといどんなに心優しいヤツであっても関係無く、彼等カレラは永久に僕にとっての強大な精神的脅威なのだ。さらに言えば、性別関係無い事として、最早この教室の誰も、僕は信頼する事が出来ない。な僕にとっての潜在敵だ。こうして孤立している以上、このクラスの誰もが僕に負の印象を抱いている。クラスの感情的好悪順位の中で僕はぶっち切りの最下位である事は考えるに難く無い。だから、彼等は僕に対して何をどう馬鹿にしても許されていると思っているのである。周りの者はすべてな敵だ。彼女たちが僕の発話に義理として応えたとしても、犯人の情報に関して本当の事を言う筈が無い。僕と話した後、後で仲良いヤツ等とつるんで臨時会議を開き、挙動不審な僕の悪口で盛り上がるのは予定調和の事だ。決まりきっている。そうに違いない。絶対にそうだ。


 眠りから覚めたばかりの不愉快な時であっても、数秒の間に妄想を繰り広げてしまうという、会話の代わりに妄想が発達したコミュ障ぼっちの悪い癖。不快感が考えに被害妄想のフレーバーを添加させながら妄想はどこまでも加速して行く——


 教室の者はすべて皆な敵——ならば、僕はどうすべきか。兎にも角にももうこれ以上のちょっかいを出されない様、可及的速やかに地獄の様なこの教室から出ないといけない。

 その考えに至ってすぐ、自分の席から最短距離で廊下に出て、僕をジロジロ見る何人かのクラスメイトとすれ違いながら、どこにも行きようも無い気持ちを抱えて教室を去ったのであった。結局、いつもの様に宛ての無い学校徘徊を今日もする事になった……。



 五時限目、総合の時間。個人で調査・探究してきた何かしらの物を、プレゼンテーション方式で、五人のグループの中で発表するとかいう、おかみのひとつ覚えでカリキュラムに採用されたであろう授業。コミュ障ぼっちの僕には、心底しんそこ辛い授業である。しかも、発表した後、そのプレゼンテーションに対してひとりづつ意見を述べていくという、下手なプレゼンをした日には、精神が擦り切れる事間違い無しの、エラい授業である。

 僕のグループは、何と運の悪い事に、あのプライドの高い?例のイケメン男子生徒がいて、まあ、それはまだマシな方ではあるのだが、もっと悪い事に、ひと月前に僕に告白してきてた、あの女子生徒もいたのであった。いやあ、これから何が起こるのか、ワクワクする授業だなあ。そして後の残りのふたりは、特に印象の抱かれない女子生徒。名前も憶えていない。女性忌避の強いぼっちにとっては、クラスメイトであってもそんなモンだ。授業や休み時間。そんな学校生活の中では、生の神経を針でつっつかれるが如きの「」への恐怖感に耐えるのに精一杯で、そんな対象の名前なんか、覚える心理的余裕は無い。

 

 この授業は、発表の時間をかなり余裕を持たせ、二時間分もとってある。ひとり当たりのプレゼンテーションの時間は最低五分は必要であるが、上限については個人の自由裁量に任されているので、その気になれば、個々人が最大限に時間を占領したとして、二四分間発表する事も可能である。まあ、そんな人は殆どいないであろうから、大体がこの授業の求める調査量からして八、九分ぐらいに皆な納まるだろう。

 僕は、老年人口が多く、かつ不便な地域における地域交通のあり方について、まあ不十分ながら、今の自分で出来る、精一杯の資料調査と考察をして、何とか昨日の夜に夜更かししつつプレゼンをまとめてきたのであった。最初に、本題に行き着くまでに少子高齢化の解説を長々と入れるなどし、要らないがさほど邪魔でも無い説明を何個か入れて、最低時分の六分を満たせる様に様々な時間稼ぎをやっている。別に高い評価を狙っている訳で無いので、時間さえ満たせば良かろうなのだ。

 発表の時間に入った。僕は五人のグループの中で、三番目に発表する事になっている。

 最初の発表者は、あのイケメン。順番は各グループで決めて良いとのことだったので、彼は、わざわざ一番目に発表する事を選んだのであった。最初に発表するというのは、求められているハードルがまだ決まっていないから、心理的には楽だし、後の四人の発表も心を軽くして見る事が出来る。こういう機会があれば、一番目になりたがる人は多い。ちなみに、一番目を希望した人は、このグループで三人。イケメンと、あの告白の女子生徒と、地味なよくわからない女子生徒がじゃんけんで相争い、見事イケメンが勝ったのである。このイケメン、意外と小心者なのかも知れない。ちなみに、僕は最初から三番目を希望していた。

 イケメンの発表は、ネット上の諸問題に関わる事であった。まあ、よくある現代的なテーマで、特に言う事も無い。ちゃんと質問や感想を述べられる要素をプレゼンの中に入れ込んである、聴衆に十分に配慮された、親切設計な発表で、流石にイケメンである。発表時間は、一二分であった。

 

 告白の女子生徒の発表が終わった。順番が進み、僕の番が回ってきた。こんな人前で発表する機会なんて、コミュ障ぼっちの僕には滅多に無い。普段、常に学校生活で与えられる、女子生徒の群れへの恐怖とは違う感じのドキドキを感じながら、イケメンの進行に従ってプレゼンを始める。

 プレゼンを初めて六分が過ぎた。最低時分を過ぎた為、ほっとしつつ、残りの後半ふた段落の発表に入ろうとした時、進行役を務めている例のイケメンが「発表ありがとうございました、では質問のコーナーに入ろうと思います」と、突然僕に、発表終了を通告したのである。

 僕は面食らって、ちょっと黙ってしまった。

 例の告白の女子生徒はニヤついている。ちょっと気味が悪い。あとの地味なよくわからない女子生徒ふたりの方は、まだ自分の資料を気にしている様子で、僕の発表を全く気にしている素振そぶりはなかった。

 時間稼ぎのあまりにもひどいプレゼンだったから、発表を切り上げさせたのだろうか?いい答えが思いつかない。かくは、発表が早く終わった事に安心して、僕は、終わらせた理由を気にする事はしなかった。取り敢えず僕は、進行役のイケメンが終わらせたのに乗っかって、質問を受ける心的準備を整えていた。

 だが「質問や意見がありましたら、手をげて下さい」などといった、質問を促す言葉を果たしてイケメンはせず、それどころか「次の発表の方に移りたいと思います」と、僕の質問コーナーを全部すっ飛ばしたのである。


 質問が無いのは、かなり気が楽である。しかし、やはり体裁ていさい上無いのはどうかと思うが、といった視線をイケメンに向けたが、イケメンはらぬ振り。まあ心理的に圧迫と緊張がもたらされる質問の時間がすっ飛ばされても、僕に全く損は無いので、そのまま座った。告白の女子生徒は、相も変わらず薄気味悪くニヤついたまま。他のふたりの女子を見たが、他人の感情を見出せない僕には、当然特に感情を表している様には見えない。こちらも気味が悪いと言えば悪いかもしれないが、僕にとっては、いつもの事と言えばいつもの事。次の番のよくわからぬ女子生徒は、イケメンの言葉で順番が来たことに気づいたのかもしれない、露骨に焦った雰囲気を出して資料を持って席から立ち、さっきの事にはまったく不自然さを感じさせる様子も無く発表を始めたのであった。



 最後の生徒の発表が終わった。

 最後に発表した女子生徒は、強者つわものだった。プレゼンを長引かせ、結果的に二〇分近く発表した。調査をかなりみつにやっていて、論の検討もちゃんとしていた。彼女はまったく尊敬すべき人間である。そうした事もあり、僕の発表が切り上げられたのにも関わらず、結局他のグループと同じぐらいの時間に終わったのであった。

 総評として担任の教師がまとめた後、この授業は終わりとなった。後に授業は無い。帰りのホームルームをやった後、うれしい早目はやめの帰宅となったのであった。


 僕は、一日の授業、特に最後の授業で、思ったより心理負担が少なかったという思わぬ幸福さいわいを得た事により、上機嫌で学校から帰り、一日の学校生活を終えることになった。

 今日のイケメンの進行に、まったく疑念を感じる事も無しに。

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