4. コミュ障ぼっちは体育が出来無い。そうして他人に嫌な思いをさせるぐらいなら僕は孤立する。

 五限目の現代文の授業が今、この高校独特の、校歌をアレンジしたチャイムが鳴ると共に、終わりを迎えた。

 たくさんの椅子いすが引き摺られる音が教室中に響く。

 こうして儀礼化された授業終了の挨拶を終えると、教室にいる女子生徒は、荷物をちょっとばかり急いで整理して、ここから移動するのであった。

 次の六限目の授業は、体育である。

 たった一〇分とかいう、服を着替えて外やら体育館やらに移動するのには大層不十分な時間で、全ての準備を済まさねばならない。やや無理がある時間設計である。しかしながら、評価が下がってしまうので、遅れは厳禁だ。

 その為、何としても早く着替えなければならないから、女子生徒がこの教室からいなくなると、僕はたちまちここですぐに着替え始めた。何故か、この時代においても男子用の更衣室が用意されていないという、不合理な環境。まあ、今更この校舎に新たな更衣室を建てる予算も場所なんかは無いだろうから、仕方は無い。女子向けのものは用意されているのに、男子向けのものが用意されていないのは、現代社会のつねとなっている。


 この教室に残って着替えているのは、僕を含めた数人の男子生徒。

 僕以外の男子たちは、次の体育でする男女混合のサッカーについて、どうするか、どう立ち回るか、などについて楽しげに話していた。

 一方、教室の隅にて一人で着替えている、僕みたいな極度のコミュ障かつ運動音痴な人間にとっては、こんなサッカーの様な激しい運動は、汗をかくし、まともに連携できないし、そもそもぼっちで球技なんかまともにやった事も無く、ルールの理解さえも怪しいので、こんなにも不愉快な授業が最低週二回はある事に、心底から憂鬱に満たされていた。

 もう、こんな時間があるなら睡眠を取りたいぐらい。

 だから、僕はひとり、ただただどうやって少しでもマシな立ち回りができるかについて、着替えている時間中一生懸命考えているのであった。


 まだ着替えが終わらないぐらい。

 教室の、僕よりもちょっと離れた所で着替えている男子たちを見る。

 このクラスは、男子生徒が稀少な存在であるのだが、なぜか皆な「カッコイイ」の範ちゅうはいる様な容姿をした人間ばかりである。

 クラスの僕以外の全ての男子生徒は、あのイケメンは勿論、その他の数人の男子生徒もな、顔、たけ、体型、コミュ力、他人に評価されうる物の全てが、高校生活で「アオハル」を満喫するのに十分な基準に達しているのだ。なんとも男子の平均点が高くなっている愉快なクラスである。

 こうして制服から体育服に着替えていると、皆な必ずその途中で一旦下着姿になるわけだが、皆な筋骨隆々なのがその姿からは見て取れる。

 特に腹の筋肉なんかは、僕以外の全ての男子生徒において割れている。おそらくは、毎日筋トレなんかをして鍛えているのだろう。僕の様な、日常的に運動不足の、極度の運動音痴には意味不明な世界だ。みんなよくそんなに筋トレや運動ができるものだなあ。

 ゆゆしくも着替え終わってしまった。今日も体育の授業をやらねばならない。大きなため息を吐いて、サッカーの授業を行う、校庭グラウンドに向かって移動するのであった。


 男女混合の試合。文系の三クラスで行われる授業。クラス毎に三等分されたチームでサッカーが行われている。

 そんな中で、極度の運動音痴である僕が、この体育の授業をやり過ごす定位置はというと、人の塊から離れすぎず、かといってボールも来ない、最も丁度いい位置と思われるこの位置。そこで僕がする行動といえば、時偶ときたまボールの方向に動いたり、ボールの方面に早歩きしたりするだけで、ボールを狙っていると見せかけて一切ボールを取らない、という全くチームに寄与しない事ばかりをしている。

 まあ、よっぽど僕に集中して観ているのであれば、この様に、僕が滑稽で役立たずな事をしていることが判るであろうが、どうせ僕の姿なんか気にしないから、誰も観ないだろう。人は皆な、もっとボールの近くで白熱している人たちをずっと観ている筈だ。だから、別に今の様なカモフラージュ行動さえしていれば、指を指される様な状況にはならないわけである。僕は、こうやって小学生の時から体育の授業をやり過ごしてきた。今更これ以上の何が出来るという訳でもあるまい。


 いつもの様に、僕は白熱している人の集団から離れた場所で、ボールを狙う振りをしていると、なぜか、あのイケメン男子生徒が、僕にボールをよこしてきた。

 どうすればいい?

 僕は焦った。そりゃあ、安全策としては、元の人の塊の近くに返す以外にやる事は無い筈ではあるが、僕にはボールを意図した方向に蹴られるか、ほとんど自信が無いから、困った。どうしよう。

 こうして数秒間悩んでいると、チームの一員の、やや離れた所にいる男子生徒が僕に向かって手を振ってきた。

 よし、そこに蹴れば良いんだな!

 僕は、そっちの方向に向かって、思いっ切りに蹴った。

 果たして、ボールは……勢い良く敵陣の方へ飛んで行ったのであった。


 何をしているんだ僕は……


 こうして、そのまま敵がゴールを決め、自クラスのチームの負けが決まったのであった。

 僕は、自分のミスで負けたことが、本当に恥ずかしかった。だから、チーム識別用のビブス(薄いメッシュ状の生地で出来たベスト)を脱ぎながら、ああどうしよう、ああどうしようと思いつつ、サッカー場からけていった。

 サッカー場の外で、チームメイトに「本当に申し訳ない」といって謝ったら、何と優しい事に何人かのチームメイトは「大丈夫」「次があるよ」といった温かい事を言ってくれて、本当に心助かる思いがした。ちなみに、ボールのパスをくれた、あのイケメンとは話は出来なかった。

「次があるよ」と言われたが、実のところ、僕は絶対に次の試合があったとしても出たくなかった。

 しかしそんな己の本心に反して、僕は次の試合も出る事になっていた。

 文系のクラスは、男手が足りない。

 だから、チームの男子の人数差を限りなく無くす事によって、パワー差に文句を言いがちな女子生徒からの不満を抑えるといった、試合に少しでも出たくない男子の僕から見れば、非常にロクでも無い事が行われていたのだ。

 

 僕は、やっぱり試合に出たくなかった。得意じゃないからどうせ迷惑をかけるし、運動音痴だから何もチームに寄与なんて出来ない事は、自分では分かり切っている為、もしひとつのチームとして出たとしても、控えとして出場した方が、チームにとっても、自分にとっても最も良い選択になるだろう。そこの所をチームの人間と相談したのだが、やはり男手の話をされて、無理だという結論に至った。いや……全くなんなんだよ……僕みたいな運動音痴が、まともな男子一人分の力になるか……?と疑問を差し挟みたかったが、そんな時間的余裕も無く、強制的にサッカー場に繰り出させられたのであった。


 僕は、さっきまでいた定位置に戻った。そこでボールを見つつ、暇つぶしに、自分の回想でもして気を紛らわせる。

 僕は、物心付いた時から、運動が呆れる程出来なかった。力が無くて、ボールをまともに蹴る事が出来ないし、投げられない。方向も明後日の方向に行ってしまう。更に僕には、周りの状況を見る眼が欠如していた。平凡な人間ならばそなえている筈の『人をる器官』が無いのである。言葉や行動を額面通りにしか理解出来ない。人の心が解らない。全く他人の意図が分からない。そんな僕みたいな奴が、球技とかいうチームプレイをやったらどうなるか。火を見るよりも明らかであろう。球技をする事は、僕にとっては目の見えないまま、杖も誘導ブロックも当然介助者も無しに道を歩く様なものである。これでは適切な動きが出来るはずがない。

 小学生の時から、体育の時間、特に球技なんかでは、大抵どこにいるべきかわからず、結果的に邪魔な場所に居座ってしまっていた。仲間の意図が全く分からないまま、ボールが回ってくる。ボールを取ると、目の見えないまま、適当な場所にボールを返す。明後日の方向に行く。まあ、自分でも思うが、こんなプレイをする人間、まさに、害悪以外の何者でもない。

 そして、学習指導要領で体育の授業自体は何百回もやることが決められているので、何度も、数え切れないくらい、私の周りの奴らは、こんな目に遭った。

 僕の体育授業における害悪さには、小学生の初めの時にはあんなに親しくしてくれた、あの人のい、聖人みたいな奴さえも、いや、それゆえにか、意図しないまま他人に甚しく迷惑を掛ける僕を、いつしか責める様になった。僕は、何度も何度も、責めに責められた。やがてそれはいじめじみたものに変わっていったのであった……うしようもない、変えようもない事。

 運動音痴でコミュ障なのは、完全に先天的な性質によるものが大きい事については、僕はもう、知っていた。もっともなことだとして、受け入れざるを得なかった。かなりの時間、体育の授業は抜け出して、トイレで過ごす事になった。唯一、それが迷惑を掛けずに済ませる方法であった。それで体育の成績が悪くなっても、出席さえしていれば留年はしないだろう。こうして僕は、小学校、中学校、高校と学校生活を過ごしてきた……

 学校で行われる体育の授業は、点呼に出席した上でサボる事が可能な体育なら絶対にサボる。それが不可能であったとしても、授業に殆ど関与しない。僕は、他人に嫌な思いをさせるぐらいならみづから孤立して、そうして周りの人からの評判を悪くするのを避けなければならない。そうでなければ即ちいじめに遭う……これが、今までの人間関係のフィードバックいじめから得られた行動の最適解である。

 

 こうして悲しい回想をしている時に、またあのイケメンが、ボールを僕に向かってパスしてきたのであった。

 何だ?最早もはや嫌がらせか何かか?と思いつつボールを受け取ると、一応、どこにボールを送るか、自分の不十分な運動知能でも精一杯に考える。よし、自チームの人がボールを取れるであろう、あそこにボールをやろう。そうして、僕はボールを蹴った。

 果たして……またボールは意図せぬ方向に行き、敵チームにとって都合が良い所に行き着いた。

 

 自チームは、また負けたのであった。


 僕からすれば、自分からは迷惑を掛けない様に最善を尽くしたのだが、僕にボールが渡された時点で、こうなってしまう事は初めから分かり切っていたのであった。

 さっきの様に恥ずかしく申し訳なさ一杯でビブスを脱いで、必要とする次のチームの人に渡す。それから僕は、定位置へと向かうクラスの人々とは別の方向に向かって歩き出した。もう今度はクラスの主要な人たちがいる所には向かわず、校庭グラウンドの隅、誰も目を向けぬ緑色りょくしょくの野球ネットの向こう側にて、ひとりで次の試合を観るのであった。

 それにしてもなぜ、僕にあのイケメンはボールを二度も送ったのだろうか。反応を見て面白がる為の悪意か?それとも「可哀想だからボールを触らせてあげよう」という良心からだろうか?

 もしも彼が純粋であれば、僕の様に、この世には「本当に何も出来ない人間」がいる事を知らないのかもしれない。

 きっと、僕がまともにボールを操れなかったり、他人の意図を読めずに適切な動きが出来なかったりするのを、単純な努力不足だとでも思っているのだろうなあ。今頃、心の中で僕の事を小馬鹿にしているかもしれない。大多数の人が普通に出来る事が、ある人には出来ない、というだけで、蔑んできて馬鹿にする様な人間は、もう既にたくさん経験済みである。

 馬鹿にされたり蔑まれたりする正当性が、最初から備わっている人間などはいないのになあ。やはり、人間の事は見下すべきでは無い……散々他人ひとから悪口を言われて来た人間だからこそ、切実に、そう思う。

 僕は、こんな思春期らしい非生産的な妄想をして時間を潰し、溜め息をきながら、他チームの試合を眺めているのであった。


 ようやくこの試合も終わり、そうしてチャイムが鳴る一〇分前になった。大体の体育の授業では、生徒の着替えの時間を確保する為に、このくらいの時間になると授業を終わらせる慣習になっている。

 列に並んで、男性体育教師の前で挨拶をやる。

 こうして、まことによろしからざる、今日の体育の授業が終わったのであった。

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