2. コミュ障ぼっちに春が来ると思うか?

 高校二年生になってからひと月が経った頃。僕は、教室でぼっち弁当を食べ終わった後の昼休み、去年同じクラスだった男子生徒からなぜか呼び出されたので、クラス教室が無く、代わりに家庭科室とか物理教室とかがある校舎の一階、つまりはほとんど休み時間に人が来ない教室に向かって、こうした「卑劣な弱者」を追い詰める「感情規範」についての意味不明な妄想をしながら歩いていた。

 抑々そもそもただの思春期男子の僕が何故そんな深刻なアホらしい事を考えねばならなかったのかというと、僕は、意思疎通の能力、容姿、運動能力、客観の能力、等々などなどが常人の持つべき範囲に達していない。

 これらが殆ど欠している、といえば言い過ぎだが、人間関係の中でマトモに社会生活を営む能力に関しては間違いなく欠している、と言ってよい。よって、生まれてこの方友達のひとりも作る事が出来ていない。恋人も言うまでも無い。


 こうして分かる通り、つまり僕自身が最初に自分で思いついてしまった「卑劣な弱者」の定義に役満状態。自分のこれからの運命の事を思えば、それからどこまでも敷衍ふえんして考えずにはいられなかったのである。

 このわれの能力の無さにいくら悲しんだとしても、生まれつきのものである由意味が無いから、一周して寧ろこのぐらいは屁でも無いと思っている。僕は自分を面の皮が厚く、そうして図太い人間であると思い込み、実際その様に行動する事で、苦の多い人生を何とかやり過ごしてきた(でもどこかでちょっと哀しい)。


 そういえば、妄想に専念していた所為ですっかり忘れていたが、さっき知り合いの男子生徒から呼ばれたのは何だろう。こんな奴を昼休みに呼び出すとは一体なんだ。カツアゲの類だろうか。生憎あいにく、僕のお小遣いは月二〇〇〇円。ただでさえ高校生の平均より少ないお小遣いな上、もう今月は書籍ラノベ代に一五〇〇円以上は使った筈だから、楽観的に見積もっても缶ジュース四本分ぐらいしかお金は持っていないぞ……そんな事を思っていたらまた哀しくなってきた。

 僕みたいな友達のいない偏屈者が、殆ど関わりの無い「知り合い」から呼び出されるという不自然。当然昼休みに何も予定なんてある筈が無いので断れず。歩き続けてついに目的地に着くと、僕はこうして指定された教室——普段英語の少人数授業で使われている一階の空き教室——の、その木製の茶色い引き戸を開けた。


 眩しくが差しているので、電気が点いていないものの、かなり明るい教室。明るく塗られた木を基調としているからかも知れない。おまけにこの校舎は戦前に建てられた為、レトロモダンなデザインをしており、非常にオシャレな空間だ。ともかく映えている。お嬢様系青春学園ドラマで告白をするなら、絶対こういう場所でする筈だ。そうした照り映える美しい空き教室の中をよく見ると、比較的数の少ない机と椅子と共に、しばしば他校の生徒から「喪服」と半ば憐れみを込めて揶揄される当校の黒一色のセーラー服に身を包んだ、一人の女子生徒が立っていた。


 ギョッとした。女子生徒がいる事に。


 僕は、世間によろしくない「とされる」性質を有した人間だから、当然、今まで小学校や中学校などで女子生徒に非道い仕打ちをされてきた経験がある。

 制汗剤を顔面に吹きかけられた事も、露骨に悪口を言われた事も、机を離された事も、私物を壊された事だってある。

 そういった負の経験を有しているから、女子生徒が居る事がわかると、そういう事をやった当の女子生徒で無いにしても、誰でもかんでも制服を着た一〇代の女性がいれば、その記憶が一瞬間にぶり返して、また何かされるのでは無いか、と神経が昂り、恐ろしい程に緊張する。場合によれば過呼吸になったり吐いたりもする。共学は地獄だ……


 僕の身体は毛を逆立てて警戒した。違和感と不安とが僕の頭の中を一杯にした。あの繋がり薄い男子生徒が呼び出したのだから、本来そいつがいる筈だよな?もしかしたら、少し早かったのかも知れない。ぼっち特有の早目に行動する悪い癖が出てしまった。数分置いてからまた来よう……

 と、立ち去ろうとして静かに、音を立てぬ様に教室の引き戸を閉めかけた所、不運にも中にいた黒装束の女子は僕に気付き、

「○○君だよね。中に入ってくれる?」

 となぜか僕に入れと言ってきた。

 流石にそう言われたら、誰でも入らざるを得ない。僕は、本当は女子生徒とはふたりきりになんて、そんな恐ろしい事にはなりたく無かったので、入りたく無い気持ちは山々だったのだけれど、入る事になってしまった。なんて事だろう……

 入り口の方から、校内スリッパの音をスパスパ立てて歩き、ビクビクしつつも僕はその女子生徒の前に対面したのであった。


 やっとの思いで対面したのは良いが、ありとあらゆる女子生徒に強烈な不安/恐怖というストレスを感じてしまう僕は、少しでもそれを小さくしようと反射的に目はぐ様下を向いた。相手の生徒も、そのまま向き合っているだけで何の行動も取ろうとしない。陽がすしんとした教室の中で、時間だけが一秒々々過ぎて行く‥‥

 僕は現実逃避の為に向かい合いながら目だけを横に逸らして窓の方を見た。太陽、青い空、し、白くまぶしい校舎、木とそれが作る木陰。それとそよ風の吹く校庭のはじっこで御機嫌そうに揺れる草木たち。ああ、午後の暖かい空気って心地良いなぁ……

 一〇秒程経っても相手が話し始めないので、僕は重い腰を上げてようやく話し掛ける決心をした。そしてしんそこ嫌な気分を自分なりに必死に隠し通しながら、僕はコミュ症特有の目を合わせない相手の肩の辺りを見る話し方でその黒づくめの少女に訊ねた。

「あのぅ、なんか用がありますか‥‥」

 やっと話し掛けられたのは良いものの尻すぼみ。

 目の前の女子生徒は、黒い長めの髪型と言っていいのか、髪型の名前は分からないがとにかくそういう髪型で、背は僕よりは多少低いものの女子生徒としてはまあまあ高めであった。声色や話し方から感じ取れる分には、雰囲気としてはやや明るめの女子生徒。多分声色や、背丈や体型などの身体的特徴からして同じクラスの子であったはずだ(生憎あいにくトラウマが尾をり女性忌避がある為まだクラスの女子の顔は憶え切れていない——というより女子という存在への過大な不安感からか、或いは先天的な物なのか、正直な所僕は遅くとも中学の半ばぐらいまでには女性の顔を不気味な、よくわからない正視しがたい不自然ななにかとしてしか殆ど認識出来無くなっていた)。


 女子生徒は、息をすうはあさせて僕の方をぢっと見つめている、と思われる。僕の顔色でもうかがっているのだろうか。若しくは、この人も何か男子にトラウマでもあって緊張しているのか。

 どちらにせよ僕は相変わらず不安なままだった。よくわからない女子生徒。最悪何か良くない目に遭うかも知れない。様々な中学時代の思い出したくも無いトラウマの数々が頭の中に鮮明にぎる。僕はもう不安で一杯で、今からでもここから逃げ出したい気持ちだった。

 でも、こうして女子生徒と正対している今、それを突然抛棄ほうきして、ここから突然逃げ出すなんて頓狂とんきょうな真似は出来ないので、何があっても良い様にある程度は身構えておいて、いざとなっては安全に事を流せる様に、嫌な過去の経験からあらゆる事態を思い付く限り想定し善後策を考える。


 しかし、この女子生徒は僕の強過ぎる不安と危機感とは裏腹に、なぜだか少し顔を紅くさせながら僕にこう言った。

「あなたの事が好きです。私と付き合って下さい」

 なんて事だ!思い付いていた中でも、最も恐ろしい事態が起きた。

 その言葉を聞き終わるや否や、僕はひとりの人間に好かれるという嬉しさを感じる前に、さっきよりかなり強力な危機感を感じた。告白という行為の成否は、人の心理に深く関わる行為である。もし断ってしまえば、相手の感情を大きく害してしまう事請け合いだ。もしもそうなってしまったなら……こういう面倒臭い事は、絶対に避けなければいけなかったのだ!教室に入ってしまった自分の行動を悔やむ。


 いや?もしかしたら、コレは罰ゲームの悪戯告白かも知れない。だとすれば、相手の女子生徒は、非常に気の毒だな。しかしながら、あらたしいクラスになってまだひと月しか経っていないのに、こういったイジメっぽい事がやられたのだとしたらかなり珍しい……。烏滸がましいが僕に惚れていてそれで告白した線を考えよう。


 彼女の思いが真正な物だったとして、僕の思いはどうか。僕は第一、こういう人間だから、全くと言って良いぐらい、恋愛には興味が無い。寧ろ人付き合いが恐ろしく苦手な為忌んでいる。おまけに女性恐怖症気味だ。ならば、自己の意思を尊重する場合、答えは「拒否」の一択になる筈だが、その意思を表明する事には、看過ごせない問題がある。

 それは、相手が告白を断られても拒否を受け入れられるかという問題だ。相手が善人で、自分の自尊心プライドが傷つけられても、それを自分の中だけで処理できる、大人な人間ならばまずその意思を表明する事に問題は無いが、もし相手が厄介な人だった場合、感情を害された事を恨んで、僕にとんでもない事をしでかすかもしれない。これは大きな問題となり得る。

 経験上、女子生徒は僕に対してかなり傲慢な傾向があるから、そうなる公算が大だ。しかし、僕にとって、相手の女子生徒が厄介人物で、その思いを拒んだ事によりいじめや嫌がらせをされたとしても、そういうのはもう慣れっこな為、それにより受けるダメージは、最早付き合う事による心理的ダメージの方が大きいと希望的観測として予想される。だから断った方が合理的だ。

 こうして相手が厄介人物である可能性も考えてしまったが、今更よく考えると、高校二年生にもなってそれほど心の幼い人など、果たしてこの学校にいるのだろうか?全くいないだろう。一応この学校は地域では名の知れた進学校である。となれば在籍している生徒たちの精神年齢も、自づと高くなる筈だ!だから、あくまでも紳士的に断れば、僕は一切ダメージを受けない!

 さっきから、最早体全身に刺す様な痛みと錯覚する程迄に女子生徒へのストレスが昂じて来た事で脳内物質が出てきたからか、或いはひたすら切迫、切迫、切迫、切迫としか言いようのない息の詰まる焦燥感や危機感にどうにかして早くこの場を早く収めたいからか、段々と思考が楽観的に、無思慮に、安易になって来た。

 よし、告白なんか断ってもオーケー!万事問題無し!よし。断ろう!


 こうして断る心理的準備が整った所で、僕は目の前の女子生徒の感情をいささかも害さない様に深呼吸して、声と表情を柔らかくし、かなり気をつけて先程の告白に返事をする。ぼっち特有の物凄い早口で思考を巡らせていた為、実はこの間は告白されてからわづか二秒にも満たなかった。

「僕に気持ちを伝えてくれるのは嬉しぃ‥‥けぇどっ、ちょっと今ぁまだ好きっていう気持ちぃ‥‥じゃないからっ、無理かなぁ。友達から、始めよう」

 一日中学校で誰とも話さない、いやこの僕が、久し振りに意味の通じるそこそこの文章を発する事が出来た。恐らくボソボソ言う聴こえづらい喋り方である上大いに挙動不審だったろう。それでも僕は、やっと話す事の出来た自分に感動を覚えた。僕も中々やっていけるじゃ無いか。出来るじゃ無いか。それにしても生まれてこの方いちにんの友達すら作れていないコミュ症ぼっちの僕が、異性に対して「友達から始めよう」とか言うシラジラシサといったら……

 ともあれ僕は、告白を断った。女子生徒はどんな反の——

「無理です。嫌です。絶対に無理です」

 彼女は、まさかまさかの幼稚な人間だった。

 断れた事に耐え切れずそのまま走り去って、この教室から出て行ってしまった。

「あ〜あぁ‥‥」

 陽のす空き教室にひとり取り残された僕は、さっきまで女子生徒が居た空虛の方をりながらそう力無く呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る