神様の言うとおり

 リノ・ライノは自殺未遂を起こす前から、天を睨んで生きていた。

 例えばあれは一年前、俺が十五歳の頃。脳細胞補完モジュールのために全スキャンをするとあいつが決めた時のことだ。



『……かくして研究都市トニトルスは空中都市となり、雷様の雷雲により供給される電気エネルギーを活用して比類なき科学技術大国となったのです……』


 その日、俺は動画授業という拷問を受けていた。教科書インストール式と違ってこの時間を拘束されないといけないし、俺が退屈してる顔を見て雑談を挟んでくれたりもしない。だいたいこの国の歴史なんて、今更授業でやらなくたってトニトルス中の小学生が知っていると思う。なんで高等教育に進んだ俺がそんなものを見せられていたかというと、実はこれ、技術科の導入授業なのだ。

 つまり、技術に興味を持ってもらうために、皆様ご存じの〜が実に四十分もご用意されているというわけである。

 視界モジュールのど真ん中を断りもなく占拠され不便に感じながら、テーブルの向かいに声を掛けた。

「リノ〜! 技術科の第一講ヤバい暇なんだけど」

 まあ返事など期待していない。俺の天使は十三歳にして、もう高等教育まで終えて、その頃には卒論の名目で色覚補正モジュールの研究をしていた。黙って作業しているということは、忙しいんだろう。

「技術科……? ああ、あの動画見ないといけないやつか」

「え、俺の話聞いてたの?」

「は? お前が僕を呼んだんだろうが」

「そうだけど、なんつーか、邪魔してごめん」

「今はヒトモデルシミュレーションの結果待ち。暇だから遊んでたところ」

「え、そうなの!? じゃあお話ししよー!」

「馬鹿は授業真面目に受けろ」

「さすがにリノとずっと一緒にいる俺が技術科落とすようなことはないよー! 大丈夫!」

 俺がそう反論すると、リノは黙ってしまった。顔は見えないけど、多分照れてるんだと思う。ものすごく口も人当たりも悪いが、リノは何だかんだ、俺のことが大好きなのだ。


「……クリス。雷の剣ってあるだろ」

 ややあって、リノが雑談を振ってきた。

「え、あの国宝の?」

「そう、世界を救うっていう伝説の。武闘会でたまに賞品になるやつ。あれ、なんで贈られるか分かる?」

「いや、そういえばなんでだろうな? 国代表の戦士の栄誉を讃えて?」

「そう見えるよな。……あれ、実は雷様の権能がそっくりそのまま移されているらしい」

「……どういうこと? 雷様になれるってこと?」

「僕、電気電子の一級技術士の資格をこないだ取ったんだけどさ。ああ、いちいち驚くなそんなことで。それより、その時の開示データで雷の剣についての解説がされてて。

 アレがあれば、雷雲とトニトルス特有の電場が無くても、それらを再現できるらしい。つまり、戦地に赴く戦士が、僕らの技術の粋、ナノマシンによるモジュール群を十全に動かせるようにするためのはなむけだった、というわけ」

「……なるほどー! 思ったより実用的な贈り物だったんだなー」

 物量戦争は、人の少なくなった今の時代では起きなくなった。国同士が不穏になった時に戦争の代わりとするのが、代表となる戦士同士の一騎打ちだ。だからこの国でも十年に一度武闘会が行われるし、その優勝者は戦士として実際に死地を経験することもある。最近は近隣諸国との緊張もないから、雷の剣が贈られるような本気の戦いはなく、国際交流試合がときどき開催されるくらいだけれど。

 だがいざとなったら、雷様は戦士をむざむざ殺させるような真似はしないらしい。医療モジュールさえ動けば、どんな怪我だってすぐに治る。武闘会では「医療モジュールが無ければ死んでいた」と判定されると負けになるが、実戦ではそこで終わりではないということか。

「それだけじゃない。雷雲も操れるから、雷を落とせるし、雷雲が無くても雷の剣から雷撃が出せる」

「かっ……けぇー! え、それ過去の動画とかないの? 見てみたいなー!」

「……僕は、見た。なあクリス、この贈り物、嬉しいか?」

「え、だって最強じゃない?」

「そうだな……」

 沈黙が訪れる。動画授業も終わり、正面からリノの顔を見ることができた。金色の長い睫毛が、揺れていた。

「……それでもトニトルスの戦士が負ける動画があった。複数人と立て続けに戦いになった時のやつだ。雷の剣は、最後には戦士の体力を奪うだけの魔剣になっていた。雷の力は魔法じゃない、蓄積されるエネルギーには限界がある。そこから先は、酷かった。戦士の体力が代わりにリソースとして使われているようだった。見るからに消耗していって、でも医療モジュールを切るわけにもいかないから、戦士は雷の剣を手ばなせなくて……名誉の死、になった」

「リノ……」

 俺は思わずその小さい顔に手を伸ばしていた。戦士に雷の剣を与えるのはこの国の守り神、雷様……つまり、俺の祖父であり、リノの父親でもある不老不死の半人半神、カミナの所業だった。

「あんなの、ただの人に持たせるモンじゃない。カミナはやっぱり、僕らのことを……」

「聞かれてるぞ、雷様に」

「分かってるよ……ただ僕は、やっぱりカミナのことは」

「リノ、言わなくていい」

「いい。カミナなんか、嫌いだ。いつも僕らを監視して。僕の記憶を消すつもりなら消せばいい! 僕は……いつかあいつを倒す」

 不敬極まりない神の子の言葉。しかし、何も起こらない。聞いていないはずはないのだ、トニトルスじゅうの大気に雷様のナノマシンが遍在して、この国の治安を守っているのだから。

 雷様は神として、国民である俺達を愛している。そして多分、俺やリノのことは、大切な子や孫としても愛そうとしてくれている。俺達がどれほどそれを信じられなくても。

 窓の外を見る。蒼天の向こうに雷雲の壁。ピシャンと大きな稲妻が走った。あの規模はきっと雷様が、他国の偵察機か何かを撃墜したのだろう。不穏さはあるが、俺達はこの雲の内側で、俺達だけに与えられた幸福を享受している。

 世界で一番幸福な国。雷様に愛された者達は、リノやモルガンのように、雷様に反抗したとしても排除されない。雷様が人を死に追いやる時は、他に手段が無い時だけだ。雷の剣だって、戦士を救うために与えているのは間違いないはずだ。

 俺は、そう信じたい。

 だってこの国は、良い国だから。

 俺の大切なものは全てここで守られているから。

 リノの才能もこうやって十分に伸ばせる理想郷なのだから。


「……俺は、リノの記憶が消されるなんて、嫌だよ」

 雷様が何もアクションしてこないので、俺は仕方なく俺自身の言葉で説得を試みた。

「僕も、……怖いよ。でもあいつに負けたくない……」

 雷様の権能を抜きにしても、カミナは稀代の天才技術者だ。リノは人としても技師としても、父親に負けられないのだろう。

「……脳のバックアップ取ってもらおうかな、叔父貴んとこで」

 天使の顔を持つ十三歳が、悪ぶった笑みを見せる。

「そんなことできんの?」

「事故った時のための脳細胞補完モジュールってのが出てきててね。僕がカミナに反抗しなくなったら……クリス。お前が気づいて、僕を救ってくれ」

 リノの丸い大きな目が真剣に俺だけを見つめてきた。

 いろいろと、反論したいことはあるけれど。

「……分かった」

 俺は理屈や保身よりもまず、リノのことが大切で、リノの望むことなら何でも叶えてやりたくて。


 雷のようにうつくしく、儚く、危うく、激しい金色の獣。

 俺にとっての神様は、きっと、リノのことだった。

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