獣の飼い主
それからしばらく、僕はクリスのことを忘れていた。いいわけをすると、無視したわけではなく本当に忘れていたのだ。端末に溜まるメッセージなんか気が向いた時にしか確認しないし、日に一、二件溜まればいい方だった。それがある日突然、九十九件以上の未読通知になっていた。
え!? なんだこれは、こんな表記見たことない。慌ててメッセージを確認すると、そのほとんどがクリスからのチャットだった。最初は数日に一件のペースだったのが、昨日なんらかの限界に達したのか、八十件以上も構ってアピールが続いている。ヤバい。どうしたらいいのか分からないがとにかく何かがヤバい。
『ごめん、見てなかった。今から暇だけど来る?』
僕は慌てて返信した。ドキドキして既読が付くのを待つ。
付かない。
待てど暮らせど付かない。
なんなんだよ、昨日の頻度はなんだったんだよ!
僕はじりじりと端末を睨んで返信を待った。
扉がノックされる。無視したかったけれど、このまま端末を睨んでいるのも腹立たしいのでしかたなしに扉を開ける。
クリスが立っていた。
「あ……その……」
「なんだよ。お前の返信待ってるとこだったんだけど」
「えぇ!!? 返事くれてたの!?」
おおかた我慢できなくて直接交渉に来たのだろう。タイミングが悪かっただけなのだが、僕はとりあえず文句を言ってやった。
「さっきした。全然既読つかないからイライラした。ちゃんと端末見とけ」
「それ俺のセリフなんですけど〜……なんて返信くれたの?」
「……ごめん、見てなかった。今から暇だけど来る? って」
「……へへ、ありがとう。それ見て飛んできたってことにならない?」
「ならない。返事はしろ」
「気をつけるよー、リノちゃんも返事してね?」
「僕ならちゃんと謝っただろ。お前も謝れ」
「この数週間とそんな数分のことをおあいこみたいに言うじゃんか……」
クリスは不服そうだけれど、僕のわがままがどこまで通用するのか試してみたい気もする。
「嫌ならもう帰っていい」
「えっ! それは困る、ごめん! リノちゃんごめんなさい! もうしません!」
すぐに全面降伏してきて、また僕は嫌な奴ムーブをしてしまったな、と思う。本当はもっとちゃんと謝りたかった。でも、クリスに大事にされるのは大人達に大事にされるよりも嬉しくて、そんな無理強いをさせられない対等な友達だなんて思いたくなかった。
その頃にはもう、クリスは僕の中で自分と対等以上の存在になっていたのだと、気付いたのはもっとずっと後だった。
【未読メッセージ:三件】
視界モジュールの端にずっと表示されていた未読件数が一つ増えたので、僕は仕方なく拡張現実内の端末を開いた。本当は視界に通知を引き出しておくのも鬱陶しくて嫌だ。でも、こうしないと面倒くさがりの僕は端末なんか見ないし、放置するとうるさい奴がいるから。
案の定、三件ともクリスからだ。一件目は『おはよっ』のスタンプだけ。これで開かなくて良かった、内容の無さにイライラするとこだった。
その後、『今日どっかの時間で遊べない?』
そこから五時間経った今さっき、『リノちゃんもお昼食べた? 俺の母様からおやつ貰ったんだけど一緒に食べない?』と来ていた。
うん、やっぱり三件溜まるまで放置しておいて正解。僕はにまっと笑って返信を入力した。
『甘いやつなら。今から来る?』
『今行く!』
画面越しにもクリスが跳びあがって喜ぶ姿が見えた気がして、思わず吹きだしてしまう。
二つ歳上の、茶色い大型犬みたいな奴。まだ子供なのに、多分僕の母様と同じくらいの背があって、なぜかは知らないけど、僕と友達になりたいらしい。王位争いの相手だというのにのんきなことだ。ま、文字通り神童である僕が勝つのは自明の理だし、あいつに付きあうと宮殿内での人気もとれるし、悪くはない。おやつも貰えるし……それなりに楽しいし。
クリスの第一声を予想する。
来たよ!かな、お待たせ!かな……。
お待たせ、リノちゃん会いたかったよ!かもしれないな。
ここのところ忙しいって断りつづけてたもんな。義務教育の進度制限解除の申請論文が通ったから、次の制限が掛かるところまでさっさと終わらせてしまいたかったんだよね。これで多分、クリスに追いついたはず。あいつがダブらずに進んでいれば、だけど。
「お待たせー! リノちゃん、会いたかったよー!」
僕の部屋の扉が開き、予想通りの明るい声がして、僕は満足の溜息をついた。
「……やっほ、クリス。おやつ何?」
「え、めっちゃ機嫌良いね、何かあった?」
「おやつ何って聞いてんだけど」
「こっちを見てくれれば分かると思うんですけどね」
「今動画見てるから。お前が前に来て」
「ねーえー! せっかく遊びに来たんだから後でにしてよー!」
もちろん動画なんか見てない。でも、僕の視界モジュールに何が映ってるかなんてクリスには分かりっこない。単にクリスが来て喜んでいると思われるのが癪だっただけだ。
クリスは文句を言いながらも僕の前まで来て机にトンと透明な籠を置いた。白い滑らかな塊が四つ、カップの上まで盛りこしている。
「……アイスクリーム?」
「正解〜! なんと味変の拡張パッチ付き!」
「ハァ? アイスにわざわざそんなもん付いてんの?」
「暇に飽かせた王族の遊びってヤツ!」
「大人ってどんどん馬鹿になってくよね」
「人生を楽しんでるだけでしょー?」
「じゃ、最初から馬鹿なんだな。くだらないアウトプットにかまけていられるなんて」
「こういうとこから発展する技術もあるんじゃない?」
「残念ながら、味変なんてリッチなだけの枯れた技術だよ。今の流行りはね、個人間の感覚の差異をどう算出するか、だ」
「へー、そうなの?」
「『ミルク味』のアイスに『ナッツの風味』を足すことを意図して拡張パッチが作られたとしても、人によっては『猫の毛が混入した』みたいな味に捉えられかねない。ただ味成分と香り成分をプラスするだけじゃ駄目なんだ。
まずは人それぞれに異なる感覚のマッピングを把握して、そこで過去の類似記憶から想起させるやり方が今研究されている。でも僕はそれだと『知らない味』を表現できないと思うんだよね。だから僕がそのうち作りたいなと思ってるのは……」
僕はそのままクリスに感覚補正モジュールの構想を話そうとして、クリスが満面の笑顔になっていることに気づいた。
「……なに? 気持ち悪い笑顔だな」
「んーん。リノちゃん、可愛いなと思って」
「……顔の話?」
「それは当然、世界一可愛いよ。金髪の三つ編みも綺麗だし、小鳥みたいに華奢だし。じゃなくて、好きなことになると止まらなくなるリノちゃんが可愛い」
「……もう喋んない」
「なんでぇ!?」
そりゃ、恥ずかしいと思ったからだけど。たった十二歳の凡人のクリスにナノマシン技術の話なんか理解できるわけないのに、得意げに語ってしまった僕が俗っぽすぎたからだけど。
……あと、クリスに可愛いって言われるのも。ついでに。ちょっと。
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