5.初めての笑顔

「――さて、最後に奴隷紋をアルゼ様に紐付ければすべて完了となります。最終確認となりますが、本当に彼女でよろしいのですね?」


 応接室にて俺とアランさんは向かい合って座り、売買契約を交わしていた。

 アランさんの後ろには、最低限身だしなみを整えられたメルが感情のない瞳で俺を見つめていた。

 明るい場所で見る彼女は、肩ほどの長さの黒い髪に空色の瞳を持ち、肌は透き通るように白くて、まるでアイドルのような顔立ちだった。


「はい、彼女――メルがいいんです」


 俺はメルを見ながら力強く返事した。

 気のせいかもしれないけど、僅かにメルの瞳が揺れたように見えた。


「……承知いたしました。では、彼女の主従契約は現在解除してありますので、アルゼ様と結んで完了となります。主従契約を新たに結ぶには、アルゼ様の血を1滴奴隷紋に垂らす必要があります」


 俺は針で指先をつついて血を出し、


「こ、これでいいですか?」


 メルの胸の上あたりにある奴隷紋に付けた。

 思わぬ形で彼女の胸に触れた俺は、少し動揺してしまった。


「――っ」


 奴隷紋が少し輝き、メルが少し苦しそうにしたが、すぐに奴隷紋も表情も元に戻った。


「はい、これで滞りなくすべて完了となります。彼女はアルゼ様の所有となります。賃金等、くれぐれもお約束事は違えぬよう、お願い申し上げます」


 アランさんが深く頭を下げた。


「はい、必ず守ります。ありがとうございました」


 俺もアランさんにお礼を言い、奴隷商を後にしたのだった。



 ◆◇◆



「えーと……メル、これから別の街に行って冒険者として活動していこうと思うんだ。それでお金がたまったら、街の外れに家でも買ってのんびり暮らしていけたらなって思うんだけど……どうかな?」


「はい、ご主人様の望むままに。どうか私のことは気にしないでください」


「ありがとう。あ、それとご主人様っていうのはちょっと……どうにもくすぐったいから、別の呼び方にしてもらってもいいかな? 例えば名前呼びとか」


「承知しました。アルゼ様……でよろしいですか?」


「うん、それで頼むよ」


 貴族として暮らしてたときはなんとも感じなかったけど、15で前世の記憶が戻ってからは、どうにも様付けされるのが気恥ずかしかった。

 俺とメルの間には分厚い壁があるように思えたけど、今はまだしかたないだろう。これから少しずつ打ち解けていければいい。


「あのご主人――アルゼ様」


「どした?」


「なぜ……私を購入したのですか?」


 メルが立ち止まり、俯きながら問いかけてきた。


「ああ、それは――」


「あれー? 無能のアルゼくんじゃね?」


 後ろを振り返ると、そこにはリックとその仲間たちがいた。


 ――最悪だ。


 目立たないように裏通りを通ってきたが、どうやら裏目に出てしまったようだ。


「あれ? お前そんな女連れてなかったよな? まさか奴隷か? コイツ、誰にも相手してもらえないから奴隷買ったのかよ!! ギャハハハハハッ!」


 リックたちは僕を見て、実に愉しそうに嘲笑った。


「おいリック、見てみろよ。あの女片腕だぞ? 目も片方白いし、こいつじゃねーの?」


「うわ、マジだ! コイツ、金なさすぎて買ってるわ!」


 ――欠陥品……? 廃棄品だと……?


 俺は剣を抜きたくなる気持ちをギリギリで抑え、


「――取り消せ」


「あ? なんだって?」


「取り消せって言ったんだよ、このクソ野郎ッ!!」


 自分だけならまだしも、何も知らない奴らが彼女を貶すことは許せなかった。


「……てめェ、誰に言ってるのかわかってんのかよ。女の前だからって調子乗ってると――ヤッちゃうよ?」


 リックが怒気を孕んだ声で俺を脅す。

 だけど――、


「お前に言ってんだよクソ野郎」


 俺はもう逃げる気はない。


「コイツ……ッ! ん? その女、よく見りゃ顔も身体もいい者持ってんじゃねぇか。お前にはもったいねぇなぁ、俺たちが壊れるまで使ってやるよ」


「プッ、ハハハハ! もう半分壊れてるようなもんだろ! まぁでも、コイツも愛玩道具代わりに買ったんだろ? おい、無能。痛い目見たくなければ、これでその女よこせ」


 男が剣を抜き、1枚の銅貨を地面に投げた。


「その女の価値なんて100スレイだろ?」


「――ッ!」


 もう我慢の限界だった。

 メルが服をギュッと握り締め、震えているのが見えた。

 相手も剣を抜いたわけだし、俺は迷うことなく剣を抜いた。


「……オイオイ、どうしちゃったんだこの無能。血迷ったのか? 3対1で無能が勝てるとでも思ってんのかぁ?」


「やってみないとわからないだろ」


「チッ、ふざけやがって。てめェもその女みたいに腕を斬り落として、目の前で使ってやるよ」


 リックたちは剣を抜き、俺と向かい合って構えた。


「……アルゼ様、どうかお逃げください。私は大丈夫です。きっと……耐えてみせます」


 細く、震えた声が後ろから聞こえた。

 メルは自分を犠牲にしてでも、俺を助けようとしているのだ。

 それが主と奴隷という関係性からなのかはわからないが……だったら俺には主としてやらなければいけないことがある。


「メル、きっと大丈夫だよ。俺が必ずこいつらを――」


 俺は一段と深く腰を落とし、


「倒す!!」


 スキル《突進》を使って突っ込んだ。


「――んなっ!」


 俺がスキルを使えると思わず、完全に油断していたリックたちは反応できていなかった。


「はぁっ!」


「ぐぁ――ッ」


 俺は手前の男を1人斬りつけて倒し、


「《爪撃》!」


「ぎゃッ!」


 もう1人の男をスキル《爪撃》で吹き飛ばした。


「クソがッ――舐めんなよ!」


 リックが剣を大きく振りかぶったところで、俺は《威圧》を使った。


「う……っ」


 効果は抜群のようで、リックはそのままの態勢で冷や汗を流した。

 当然、そんなチャンス見逃すわけもなく、


「おぉ――ッ!」


「――ぐあああぁぁッ!」


 俺はリックの剣を持つ腕を斬り落とした。

 血が吹き出て、のたうち回るリック。

 俺はそんな奴を見下ろし、


「これで少しは気持ちがわかるだろ? お前も冒険者の端くれだ、回復薬くらい持ってるだろうし、死にはしないさ」


 ――腕はもう元に戻らないだろうけどな。


「うぅぅ……あぁぁ俺の腕えぇ……」


 他の2人は伸びてるし、いつまでもこうしてるとそのうち衛兵が来るかもしれない。


「メル、行こう」


「――え、あ、はい」


 メルは目を丸くして驚いていたが、俺は手を繋いで走り、その場を後にした。



 ◆◇◆



「ふぅ……ここまで来ればもういいかな」


 俺たちはあのまま街を出て、しばらく進んだところで立ち止まった。


「大丈夫かな……お尋ね者にならないよなぁ……」


「アルゼ様は悪くないです。それに、きっと大丈夫だと思います。相手の人も訴えれば説明を求められるでしょうし、今後復讐してこないとは言えませんが……」


 メルが不安になる俺を安心させるように庇ってくれる。

 あの時もそうだったが、彼女は奴隷だからというわけではなく、根から優しい気がした。


「ありがとう、メル。あ、そうだ。遅くなったけど――」


「?」


「――《聖なる癒しホーリーヒール》」


 俺は《特殊スキル:聖なる癒しホーリーヒール》をメルに使った。

 彼女の身体――欠損している箇所は特に強く輝き、


「……え? え、え!?」


 すべてが以前の彼女に戻った。


「呪いも解けてるはずだ」


「え、そんな……うそ……」


 彼女は空色に戻った目をパチクリさせ、元に戻った腕でさっきまでなかった耳を触る。

 そして――、


「……《一鬼当千いっきとうせん》」


「うぉ!?」


 彼女がそう呟くと、スキルが発動した衝撃で俺は吹っ飛びそうになった。


「あぁ! 申し訳ありません、アルゼ様!」


 彼女は慌ててスキルを解いて、俺を抱きとめた。


「ああ、大丈夫。驚いただけだから」


「あの、これはいったい……なにがなんだか私には……」


 これまでの苦難が一気に解決し、メルはわけがわからず混乱しているようだった。


「メル、君は『なんで私を買うの?』って聞いたよね。俺にはね、少し変わったスキルがあるんだ。君ほど大変な思いをしたわけじゃないけど、俺もこのスキルが使えなくて過去に家とパーティーを追放されてるんだ……。だから君を初めて見たとき他人事とは思えなくて、このスキルなら君を救い出せると思ったんだ。俺の自己満足なだけなんだけどさ……見損なった?」


 メルは、俺が話すのを目を逸らさずに聞いていた。

 その瞳は、以前のようにもう暗くはない。


「見損なうだなんて、そんなことあるはずありません! ……アルゼ様は、私を救い出してくれたんです。私はもう生きる希望を失っていました。私こそ自分勝手で、どうせなら最後は主を救って死のうと身体を差し出そうとしたのです。アルゼ様、あなたは私の救世主様です」


 メルの瞳から涙が零れた。

 こんな時だというのに、俺はその姿が美しいと思ってしまった。


「だからアルゼ様、これからはメルがアルゼ様にすべてを捧げてお守りします」


 俺は初めてメルの笑顔を見たのだった。

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