第4話
ポケットから車のキーを取り出しながら早坂に通話を持ちかけた。暇だと言った通り、案外すぐに繋がる。
「もしもし、今いいか」
南美の愛車を借りており、運転席に乗り込むとエンジンをかけた。起動する機械達の振動にハンドルを撫でる。
『大丈夫。何か進展でもあった?』
変わらない調子にとある捨てアカウントを特定してほしいと言った。同時に電脳内から早坂宛にデータを送信する。数秒沈黙を挟んだあと了承の声が返ってきた。
『但しタダとはいかないかなー』
五月雨の技術を使うのだ、その辺りは考えていた。ヱマは「幾らいる」と訊いた。
『金じゃない。陰山長官の手助けをしてほしい』
身体が少し反応した。ハンドルを握る。
「なんで」
僅かに不機嫌な声音になる。早坂は一切調子を崩さずに笑った。
『タオウーの元凶を追い詰めた生き証人は君しか残ってないんだよー。あたしから何度も言ってるのに頼ろうとしないから、君の方から長官を助けてほしい』
然し彼は自分を酷く嫌っている。そんな事をしたって邪魔だと悪態をつかれるだけだ。
『そりゃ色々ほっぽって感情に流されて辞めたのは悪い事だし、それで強制的に尻拭いさせられた陰山長官が恨みを持ってるのも分かる。幾らPTSDの診断がおりたとは言え公安長官だ、それなりの責任と義務があった』
耳の痛い言葉の羅列にきゅっと唇を縛った。反論の余地はない。
『けどさあ、いい加減二人共手、取り合ったらいいじゃんか。ガキじゃあるまいし。見ててうざったいんだよねー』
ガキとアクセントを強くして言い放つ彼女に「いや、」と吐息混じりに言おうとした。然し通話越しだというのに、あの猫又特有の双眸に睨まれた。
『目的は同じでしょ。元相棒の仇、取りたくないの』
どんっと背中を蹴るような冷たい声音に、ややあってヱマは笑った。
「そんだけ言ってくれるの、アンタが初めてだよ」
はあと息を吐いて肯いた。ハンドルを握り直す。
「分かった。陰山長官に手を貸す」
早坂はころっと声音を元に戻した。
『ん。じゃあ何か分かったらあたしから連絡するよ』
通話が切れるとヱマはアクセルを踏み東京都内にある公安調査庁に向かった。元長官ならアポだなんだも必要ないし、受付でID認証をすれば済む話だ。
大きな駐車場に停めたあと、一つ呼吸を整えた。
「大丈夫だ。俺なら」
脳内にチラつく嫌悪感を孕んだ鋭い眼つきにドアを開け、ヒールを踏み出した。ウィッグもメイクもそのままで調査庁の自動ドアをくぐった。
何年ぶりだろうか、鼓動が強く波打った。正面の受付に行くと高性能なアンドロイドが出迎えた。
『ID認証クリア。琉生元長官、おかえりなさい』
どこか無機質な声音にふっと口角を引いて肯いた。渡されたクリップを胸ポケットにつけ、ゲートを通過した。
彼女がエレベーターに乗り込んだ際、アンドロイドから陰山長官のもとに連絡が入った。電脳内に届いた短い文章に眉根を寄せた。
「なにしに来た」
全く許す気のない悪魔のような声で呟くと、勢いよく椅子から立ち上がってガラス製の扉を開けた。乱暴に大股で長官室を出る。マットな質感の床だと言うのに、陰山の足音は深くしっかりと響いた。
ヱマは長官室のある階層で一旦自販機を探した。少し落ち着いてから話がしたい……甘いジュースがないか軽く屈みながら視線を巡らせた。だが。
「琉生」
陰山の声に驚く。腰をあげながら視線をやった。眉間に皺を寄せてこちらを睨みつけている。
「陰山、長官」
すっと右足を退いた。まだ感情の整理がつかないが、息を吸い込んだ。
「早坂総裁から、」
「よくも平気な顔で入って来れたな」
どんっと突き飛ばすような声音に一瞬言葉が出なくなる。いや、と弁明しようとしても陰山は近づいてきて胸ポケットのクリップを外した。
「借りの一つも返さない。それどころか頭も下げてこない。派手な化粧なんぞやりやがって、男に身体でも売ってんのか」
眉を八の字にさせて煽るような笑みを浮かべた。それにヱマはふっと表情を険しくして手を伸ばした。構わず胸ぐらを掴みあげる。
鬼とデビルでは体格差がある、陰山は酷く驚いて彼女の右腕を掴んだ。
「なんの真似だ」
声は荒げずに答えた。
「頭下げて返すつもりで来たんだよ。早坂総裁にいい加減にしろって言われたからな」
だから甘いジュースの缶でも買って落ち着こうかと思っていた、それを小さく言いながら手を離した。ヱマは怒る部分も苛立つ箇所もない、悪いのは自分だからだ。
「余りに未熟だった。責任もやるべき事も何もかも捨てて逃げた。本当に陰山長官には感謝しているし、申し訳ないと思ってる」
淡々とした声、握りしめた拳、僅かな息遣い。陰山は人間の差異を読み取れるからこそ、彼女の姿に口を噤んだ。
「逃げた先でも、境井組を使って俺をサポートしてくれてたのは陰山さんだ。本当に、」
声が震え出す。ずっとあった罪悪感や後悔がどっと雪崩のように崩れて襲ってくる。自分は陰山に恨まれてると信じて、ただ現実逃避をしていただけだ。それも含めて、彼女は恥じた。
静かに正座すると頭をさげた。偽の黒髪がジャケットを撫でて落ちる。腹の底から絞り出したような声に陰山はややあって溜息を吐いた。
「許して貰いたいなら俺の駒になれ。分かったな」
持っていたクリップをぽいと眼前に投げる。ヱマは恐る恐る頭をあげた。陰山は既に背中を向けており、クリップを拾った。
「ありがとうございます」
小さく言ったあと胸ポケットにつけ直し、後に続いた。
長官室にある革張りのソファに身を預ける。机には冷めたコーヒーがあった。
「南美が生きてるってのは俺も知ってる。だがお前も狙われてるのは初耳だな」
一通り情報を交換し、整理し終えた頃にやっとカップに手を伸ばした。ずずっと啜り上げる音に軽く笑う。
「そりゃ部屋荒らされただけだしな。証拠になるようなもんはなさそうだったし、多分素人じゃない。指紋も髪の一本も落ちてねえだろ」
それに何もせず行方をくらませる方がいい。相手の輪郭が分からない以上下手な事は出来なかった。陰山はカップを置き直して背もたれに預けた。
「だからそんな格好なのか。さっきは口が過ぎたな。悪かった」
軽く手を組む様子にかぶりを振る。
「アンタの侮辱には慣れてっから」
一つ沈黙を挟んだあと、陰山から口を開いた。
「あの日、追い詰めた時、お前は何を見た」
人によっては冷たく聞こえる声質にヱマの表情は暗くなった。眼を伏せる。
「一切語ってくれなかった。ただハルカが殺された事だけを俺に伝えてきてた。あの時のお前は完全に錯乱状態だったよ」
今思い返しても確かに自分は狂っていた。相棒が酷い殺され方をして、尚且つ右脚を失った。正気でいられる方がどうかしている。
ヱマは深く息を吐いてから顔をあげた。真剣な表情に組んでいた手が離される。
「深夜だったし霧も立ち込めてたからあんまハッキリとは見えなかった。埃っぽいとこで輪郭もぼやけてた。けど確かなのは角や翼なんかの特徴がなかったんだ」
「特徴がない……狐や雪男の類か?」
かぶりを振った。
「マジで、“特徴自体がなかったんだよ”」
不気味な怪談話をしているようにヱマが言うと陰山は眉根を寄せた。もう皺が痕になっていて寄せても深くなるだけだ。
「髪は」
「ない。多分スキンヘッドだ」
「眼の色は」
「赤だった。けどタオウーの影響だとしたら、元の色は分かんねえ。それに白眼に墨入れてたって情報通り黒かった」
「なら、背丈は」
「んー、俺よりデカい感じだったな。けど近くにあった自販機より低く見えたから、背自体は普通なのかも知れねえ」
一拍置いてもう一つ質問をした。
「耳の形は」
それに迷いなく答えた。
「尖ってない」
陰山は息を吐きながら背を預けた。コーヒーは完全に冷めきっており、全く減ってもいなかった。
「なんの特徴もない、か……そんな奴いたら逆に目立つんだがな」
「だろ」
然し実際には見つかっていない。公安が本腰を上げて捜査に乗り出しても、全く元凶に辿り着く気配がない。
「……春山、本当に凄かったんだな」
呟くような言葉に肯く。
「ああ。だからこそ俺は、」
何もかもが嫌になったんだ。彼女がそう言わずとも察したのか、陰山は溜息を吐きながら立ち上がった。
「何も特徴がない、その情報だけでも十分だ。それに南美を刺した連中の特定を早坂に頼んでるんだろう?」
ポケットに手を入れる。肯いてヱマも腰をあげた。
「それもあってこの格好してる」
にっと笑う彼女に鼻で笑い返す。
「やってる事犯罪だぞ。まあ俺が言える立場じゃないが」
視線を逸らし、自身のどっしりと構えた机に向かった。
「他に思い出した事とかあれば連絡してくれ。俺は現場に出ないしタオティエの方は警察らに任せてあるから時間はある。但し、午後七時過ぎはやめてくれ。娘がいるんでな」
軽く振り向くと突き放すように言った。ヱマはどこか懐かしい気持ちになりながら「わーってる」と崩れた言い方で肯いた。
軽くなった心のままドアノブに手をかけた。
「待て」
ふっと動きが止まる。
「もしタオウーの元凶が見つかったら、お前はどうするんだ」
ヱマはすぐには答えなかった。ただ笑顔を見せて振り向いた。
「わかんね」
がちゃりとドアノブの音を奏でて部屋を出る。その背中に陰山は溜息と舌打ちを鳴らし、机に向き直った。
境井組が本拠地を構える大阪の特例地区、道頓堀では乱闘騒ぎが起こっていた。
「ざけんな居ね!」
「あーもー、最悪やあ!」
相手をしているのは陰山長官から指示された境井組直系の組織達であり、警察と大和は一般人の避難や他で起こっている事件の対処で大忙しだった。
「困ったもんやのお」
若い衆からの報告に龍特有のごわごわとした顎髭を触った。
「オヤジ、これもタオティエ関連のやつですかね」
傍にいる若頭が言うと境井は肯いた。
「やろうなあ。陰山さんからの話によるとタオウーの下位互換みたいなもんやと。高揚感があがって自分がつよぉなったと錯覚してしまうらしい」
ふうと鼻から息を吐く。顔に傷のある若頭も呆れたようにかぶりを振った。
「あの悪魔、俺らをええようにつこてますよね。人を駒としか思ってない……」
組長以外はみな陰山の事をよく思っていない。ただ親父が言うならと渋々従っているだけだ。
「でもあの人がおらんかったら儂ら全員海の底や。いや、海の底の方がマシやなあ。ホンマおっかない連中やからな、第四は」
ぎしっと椅子を鳴らす。極道としてのプライドも信念もない境井は生きて暴れられればそれでいいと考えている。だから幾ら公安長官の私兵として首輪をつけられようとも、何も思わないし何も考えない。
「ところでオヤジ、例の元長官の相棒が刺されたって話、ご存知ですか」
愚痴や小言を飲み込んでから机に手を置いて問いかけた。境井は若頭を一瞥して肯いた。
「おう、古傷を抉られたらしいがタマは取られんかったようやなあ。全く、しぶといエルフやでな。やからこそあの娘も傍におるんやろうけどなあ」
長官時代の厳しいヱマの姿を思い出す。若頭は続けた。
「その件なんですが、どうやら娘の方も狙われとるようで。細かい情報は入って来ないんですがね、上手いこと変装してやり過ごしとるらしいです」
首の後ろを軽く触る。境井は「ふん」と鼻で笑った。
「二人をねろうとるのは十中八九プロやろう。見つかるのも時間の問題やな」
垂れた目元に嘲笑が混じる。あの小娘はやはり若いとでも言いたげに髭を触った。
「ほな助けた方がいいのでは。うちらがあるのも、あの娘が上手いことやってくれたからでしょう」
陰山より直接的に居場所を作ってくれたのはヱマの方だ。今の長官はあくまでもそれを引き継いで手綱を握っているだけ、若頭の言葉に境井は「そうやなあ」と呟いた。
「公安にもええ子アピールできるチャンスかあ」
外の喧騒に肯く。
「ええ。歌舞伎町の組事務所にでも置かせとったらええでしょう。まさか元長官がヤクザと繋がりあるなんて思わんでしょうし」
境井は軽く唸りながらもその案を飲み込んだ。
「ただ相手もこっちの世界におるとなると、情報が漏れとる可能性があるんよなあ。やから歌舞伎町の組織は使わんとうちから若いの出した方がええやろう。ほら、ID持っとらん連中おったろ。奴らなら万一死んでもええわ」
葉巻に手を伸ばす。若頭は「分かりやした」と頭をさげる。
「奴らも顔のええ胸のデカい女守れたら満足やろ。琉生本人には伝えんなや、なに言われるか」
「へい」
「あああと」
煙を吐きながら振り向いた。人差し指を立てて気だるげに言う。
「琉生の事は犯すなや。儂がケジメつけさせるけ」
若い連中への伝言だろう、若頭は「へい」ともう一度低く返し早速伝えに行った。事務所の窓から通りを見下す。いつもなら人でごった返しているのに誰一人として居なかった。
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