第3話

 はじめちゃんの采配でWhite Whyは臨時休業となりビルへの立ち入りが強化された。その細かい部分には、まるで彼が亡くなったもしくは危篤状態と言えるような匂わせがあり、噂が噂を呼んで「南美は死んだ」「南美がヤバい状態」という大きな波紋を生み出した。

 勿論病院側は警察の指示で南美の状態を公表しておらず、またヱマに関しても一切情報を出さなかった。だが川崎市の特例地区から姿を消した事、目撃情報がなくなった事から、「琉生ヱマも殺された」という噂がじわりと立ち始めた。

 昼の歌舞伎町内をヒール姿で颯爽と歩く。パンツスタイルのスーツで、僅かに見える右足首は義足特有の関節になっていた。

 黒い長髪が風に乗る。堂々とした雰囲気をまといながら路地裏に入った。そこからビルの裏口に入る。かちゃりと静かに閉めた。

「はあ」

 一つ息を吐いてジャケットのボタンを外しながら階段をあがった。事務所の扉を開ける、すると一人の女性がソファに座っていた。

 丁度はじめちゃんが茶を出したところで、カップの置かれる小気味よい音が響いた。

「どーも。元長官」

 振り向いたのは五月雨総裁の早坂。軽く手を振ってくるのに対し、ヱマはジャケットをハンガーにかけながら訊いた。

「南美や俺を当時治療してた連中、特定出来たのか」

 ノリの悪い彼女に早坂は「陰山みたい」と聞こえない声量で呟いた。出されたカップを手にとって啜ったあと、懐からデバイスを取り出した。

 ウィッグを取り、キツいネットも脱ぎとった。適当に元の髪をわしゃわしゃとやる。

「大和本部救護班、そのなかで南美さんを直接治療したのは男の医者と女の看護師が二名。それ以外で傷を触ったり包帯を変えたりした者はいない。カルテが見れるのもこの三名だけだろうし」

 デバイスの画面をこちらに向けた。パッと見性格の悪そうな顔立ちを一瞥し、それを受け取った。早坂はソファの背に腕を置いて軽く嘲る。

「救護班のなかでもまあまあ腕の立つ医者だってのにね。まあ看護師の方かも知れないけどさー」

 他人事と言いたげな態度に視線をやった。

「五月雨は今回の件、関わってねえのか」

 若き総裁はかぶりを振って背もたれに身を預けた。

「一応、サイバー視点で色々やってはいるよー。でも今はリアルの被害が凄まじくてさ、警察と大和はそれにつきっきりだし、公安はタオウーの調査でフル稼働中。ネットやメタバースで流通してるそいつらを阻止したり、元を辿ったりするだけ。それ以上はリアルの話になるしさ」

 ヱマはデバイスに表示された三名の情報を自身のものに移した。早坂に手渡しながら言った。

「キョウカは、」

 被せるように早坂が否定する。

「ムリムリ。そもそもあの人更生施設の管理もしてるから、BLACK BLACKみたいに元々関わってなけりゃこっちに手は回してくんないよ。いやまあ今回も関わってはいるけど……」

 振り向いてヱマを見上げた。

「君はあくまでも南美さんを刺した連中と元凶をどーにかしたい。正直今回は公安の方がいいと思うけどねー」

 いじらしく眼を細める。陰山のあの視線を思い出し、自然と顔が険しくなった。

「ま、今回ばかりはかなりヤバいっぽいからあたしらも協力はするよ」

 立ち上がって手を出した。にっこりと笑う猫又の少女に手を一瞥したあと右手で掴んだ。然しぐっと引かれる。細い瞳孔がよく見えた。

「失敗してもあたしらは責任を負わない。田嶋総裁程あたしも陰山長官もお人好しじゃないから。まあ精々死なないように頑張ってよ」

 またにいっと笑うと手を離して横を過ぎていった。はじめちゃんに対して「コーヒー美味しかったよー」と言い事務所を去っていった。

『……美味しいなら全部飲んでくださいよ』

 はじめちゃんの不貞腐れた声音にテーブルへ視線を落とす。ガラス製のもので、下の棚に置かれているものが上からでも見えた。

 南美にプレゼントした黒猫の置物があり、横にはいつどこで買ったのか分からない白猫の似たような置物が居座っていた。商品は違うのにペアのように見えた。

 ヱマは眼を伏せたあと、一つ息を吐いた。

「確かこの看護師……」

 タバコの煙が充満する。口元には白い棒があった。然し彼女が咥えているのは棒付きのキャンディーだ。

「はじめちゃん、この看護師に上手い事近づきてえんだが」

 デバイスから印刷した資料のうち一枚を手にとり、はじめちゃんに見せた。電脳でやり取りしてもいいが下手にネットを介する訳にもいかない、用心して今は出来る限りアナログの方法をとっている。

『うーん、少し考えさせてください』

 三本の指で紙を受け取る。画面の表情が悩んでいるような模様に変わった。ヱマはテーブルに向き直り、他二人の資料に視線を落とした。

 安い灰皿の上に紙巻タバコが置かれている。つけた時からなのか、灰が落ちる時は自重で耐えきれなくなってからだった。

『そうですね。カラーコンタクトとメイクで完璧に変装して、製薬会社の社員というていで近づくのはどうでしょうか。大和救護班は大手製薬会社二社と契約状態ですし、この時期なら薬品の数とか注文とかで社員が接触してきても違和感はありません』

 こちらに向けられた資料を手に取り、もう一度眼を通した。棒を軽く持って肯いた。

「それで行くぞ」

 先の割れた舌でキャンディーを舐めた。

 真っ黒なカラーコンタクトを入れ、瞬きを幾らかする。顔をあげると鏡越しに自分が見えた。

「あー、めっちゃ違和感」

 下まぶたを軽く引っ張って不愉快そうな表情を浮かべた。既にウィッグを被っており、後は軽くメイクを施すだけだ。

『下地とかは自分で塗ってくださいよー。私の手だと無理ですからね』

 はじめちゃんに言われ、慣れない様子で化粧品をとった。口元のホクロを隠すついでにアイシャドウや口紅を入れる。普段メイクをしていない分気づかれにくくなる。

『ちょっと上品な感じにメイクしますから、立ち振る舞いとか気をつけてくださいね』

 大人しく眼を伏せる。AIによる計算された色合いと精密さで確実に変わってゆく。

『……南美さんが見たらビックリしそうですね』

 小型ドローンの画面がぱっと笑顔の表情に変わる。色の薄い口紅を塗ったヱマは完全に別人へと変貌していた。

「後は声のトーンか」

 立ち振る舞いや口調は長官時代に散々気をつけていた。少し咳払いをして薄く口角を引いた。

「はじめまして。柳田ラクと申します」

 ターゲットの看護師に対して丁寧に頭をさげた。はじめちゃんによる手回しで今回の担当を彼女にする事が出来た。柳田ラクことヱマはカツカツとヒールを鳴らしながら覚えてきたセリフを言った。

「五ヶ月分のデータは全て揃っていますか?」

 ただ長官時代を思い出してやっているせいか、僅かに威圧的な雰囲気があった。製薬会社のいち社員にしてはあまりにも風格がある、看護師は怖がっているのかそれとも不審に思っているのか、ぎこちない対応で肯いた。

 暫くははじめちゃんが用意した通りに動いた。柳田ラクという人物に慣れ始めたのか、看護師の緊張が少しほどける。そのタイミングでヱマは切り込んだ。

「White Whyの南美氏が刺された件、ご存知ですか」

 ざっと左足のつま先を向ける。手にはあまり飲まないブラックコーヒーの缶が握られていた。買った事は数回……そのうちの一回は南美への奢りだ。

 看護師の肩が僅かに震える。その小さな反応をしっかりと見つめた。

「え、ええ。かなり話題になっていますよね。でもなぜそれを……」

 ヱマは一切動かず、南美のような相手を萎縮させる微笑を浮かべた。

「猿の青年に刺された箇所をなぜか細かく知っている上で刺されました。南美氏は救急搬送され、詳細は不明です」

 細めた眼の上には青と紫のグラデーションがあった。看護師はぎこちなく笑う。

「は、はあ……それは、大変な事に……」

 ヱマは俯く彼女を見た。あからさまにそわそわとしている。

「彼の傷の位置を知っている者は身近な人間か、直接治療した人間のみです」

 声のトーンがさがる。ら行が僅かに巻舌になった。立ち方ががらりと変わり、堂々としたあの雰囲気がまとわりつく。

 看護師はびくりと大きく震えて顔をあげた。瞬間、手にあった缶コーヒーが一瞬にして潰された。軽い爆発音と共になかの液体が飛び散る。ヱマの指のあいだから滴り落ちる。

「南美の裸知ってんのは俺と事務所のAIだけだ。残ってんのはテメエら直接治療した奴らだよ」

 手を開くとぐちゃぐちゃに潰されたアルミ缶が床に落ちた。軽い音をたてる。

 ひっと怯えた声を出して後ずさった。然し後ろには椅子があり、脚が引っかかってどんっと尻もちをついた。

 ヱマは彼女の前まで来ると見下した。長い黒髪が垂れて、カラーコンタクトの奥から鋭い眼光が覗く。

「俺の相棒殺しかけたのは、お前か。お前以外か。それとも全員か」

 がんっと椅子を右足が蹴る。確かな振動に看護師は震え、視線を自分の左下にやった。

 ヒールと裾の間から見えるのは特徴的な義足のデザイン、もう一度顔に視線を戻す。彼女の視界には一瞬、琉生ヱマの鬼のような目つきが見えた。

「くそったれ!」

 南美のカルテを売ったのは担当の看護師二名だった。呼び出された医者は絶句の表情を浮かべ、後から来た看護師の方は泣き叫んだ。

「ごめんなさい。どうしても欲しくて、ごめんなさい」

 わんわんと泣き声をあげてヱマの脚を掴んだ。一瞬怒りが湧き上がって蹴り上げそうになったが相手は暴力を振るってきた訳ではない。ぎりっと歯を鳴らして脚を引き、無理矢理手を退かせた。

「なんで、こんな事をした。金か? 大和救護班なんて、普通の病院より金払いはいいはずだぞ」

 燃え上がってくる怒りを抑え込んでいるからか、息が切れて仕方がない。ヱマは眼を伏せて大きく呼吸をした。少し落ち着く。

「薬が、ほしくて」

 それに反応したのは医者の方だ。やっと言葉を話せるようになったらしい、たどたどしい調子で身を乗り出した。

「薬物、か」

 鼻を啜りながら肯く。医者は拳を握りしめ、「意味がわからない」と食いしばるように吐き捨てた。ヱマはその哀れな姿を見下して低く言った。

「“タオティエ”」

 四凶の一つ、饕餮の中国語での名前だ。タオウーの成分を混ぜた問題の薬物の名称でもあり、早坂から事前に聞いていた。

 看護師二人がばっと顔をあげる。その速度と表情は異様なものだった。

「そんなふざけたものの為に……!」

 ぎゅっと拳を握りしめ、喉の奥から唸るような声を出した。その剥き出された牙と眉間と鼻のあいだに寄った皺が二人を恐怖に叩き落とした。また泣いて縋り付いて来るのを振り払う事もせず、上を向いて大きく呼吸をした。

 然し薬物が欲しいが為に自分の相棒を殺されかけた事、そしてその薬物が自分と因縁のあるタオウーの派生である事にそう簡単に収まるはずもなく、発散するように大きく叫んだ。反響する鬼の怒号にぴたりと泣き止む。

 ゆっくりと顔をさげ、二人を睨みつけた。

「テメエらの処分は田嶋総裁にきっちりやってもらう。だがその前に吐けるもん全部吐け。胃の中全部吐かせてやる」

 腹の底から怒る鬼の姿は地獄の獄卒と同じだった。

 二人は直接的なやり取りをせず、ネット上で取引をしていた。その為相手の名前はユーザーネームしか知らず、アカウントは使い捨てのものだった。

「早坂に頼むか……」

 流石に業務用AIのはじめちゃんにそこまでの能力はない。デバイスに書き込んだメモを一瞥したあと、顔をあげた。

「南美を殺せたら報酬にタオティエを貰う。だが情報が確定してねえし、警察が意図して隠してるのは相手側も勘づいてるはずだ。もし傷痕を正確に狙ったと犬に嗅ぎつけられたら……お前らから情報が漏れるのを危惧する」

 デバイスをスーツの裏ポケットにすっとしまい込んだ。

「俺は一般人だ。もし警察の調査がお前らに向くようなら、そいつらは消しに来るかも知れねえ」

 ヱマの言葉に疲れ果てた顔をあげた。恐怖に縛られた双眸に溜息を吐く。

「お前らのやった事は許されねえ行為だし、大和の信用を落とす原因でもある。だが気をつけろ、その為にも自分達で上司に直接白状するんだな」

 立ち上がると彼女達は俯いた。もう何も、言葉を発する気力がないのだろう。ヱマは一つ息を吐いて立ち去った。

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