第2話 大きな背中
「え?」
一角兎は目の前の獲物へと真っ直ぐに飛びかかる。
不意を突かれた女子高生が小さな声を漏らす。
同時に彼女の右肩の肉が抉り取られる。一角兎の角が掠ったのである。
噴き出す鮮血と悲鳴。
女子高生は顔を酷く歪ませた。
「たす、たすけ――――」
戦意のない彼女は最早ただの肉。火魔法の才能があろうとも、実際に行使できなければそれはないも同然である。
一方、男子高生は震える手で木刀を握りしめていた。
幼馴染の女子高生を救うべく、己の内に秘める勇気を絞り出そうとしている。
しかし、足は進まない。たった一歩すらも前には動いてくれなかった。
生々しい鉄臭さと、日常とはかけ離れた目の前の光景に彼の心もまたぽっくりと折れていたのである。
自分の不甲斐なさに涙が溢れる。幼馴染に迫る死が、足元の草花を湿らす朱色が、彼の鼓動を早めた。
ごめん、ごめんごめんごめん――――。
俺じゃ、君を救えない。
男子高生の視界はどんどん狭まっていく。
そんな中、ダンッと力強い音が彼の耳へ届いた。
次に爆風が駆け抜け、彼の体が後ろへと倒れる。
ほんの僅かに金属が擦れるような音。何かが叩かれて凹むような鈍い音。続けざまに耳に飛び込んでくる情報。
男子高生は何事かと、閉じかけていた目を見開いた。
「…………あんたは」
視界に飛び込んできたのは大きな大きな男の背中。そして振るった大剣の先に突き刺されている小さな白い亡骸であった。
「おう。生きてたか、少年」
「チュ、チュートリアルおじさん」
「は!? 待て、俺は三十歳だからまだおじさんじゃねーよ! それに名前は結城ユージだっ――」
「うっゔぅ」
チュートリアルおじさんこと、結城ユージ三十歳。彼の自己紹介は男子高生の耳には届いていない。ただただ安堵の涙が流れ出るのみだった。
「おいおい、高校生になってまで泣くなよ。たくっ、名前は?」
「り、りゅゔがさき……まぁざぁどぉですうゔ」
「なんて言ってるか、わっかんねーよ。まぁ、いいか。とりあえず立て。さっさと外に出るぞ」
ユージは地面にへたり込んでいる男子高生の腕を引っ張り、無理矢理立たせた。そして一角兎に腕を貫かれた女子高生の方へと近づく。
「腕の肉をちょっと抉られただけだな。気絶はしてるが、死ぬことはねえ」
彼は自分の服が汚れることを気にせず、女子高生を担ぎ上げた。
「ちゃんとついてこい。はぐれても次は探してやらねーからな」
この日、ユージのおかげで二人の新人探索者の命が救われたのであった。
※※※※※※※※※※※※
初級ダンジョンから帰還したユージはすぐ近くにあるギルド浅野支部の建物へと入った。
「すまん、アリサ。救護班の手は空いてるか?」
受付カウンターに馴染みの女性職員を見つけるとすぐに声をかける。
「あっ、ユージさん。お疲れ様です。って! その子どうしたんですか!?」
「一角兎にやられたみたいだ。女だし、傷は残らねえ方がいいだろ。できるだけ早く治療してやりてえ」
「分かりました! すぐに手の空いている者を探してきます!!」
アリサと呼ばれた職員は肩口で切り揃えた茶髪を振り乱しながら、建物の奥へと駆けていった。
「で、落ち着いたか?」
救護班がくるまでの間、手持ち無沙汰になったユージは男子高生と少し話してみることにした。
「はい。迷惑かけてすみませんでした」
「おう。ところで名前は? さっきは何言ってるかわからんかった」
「龍ヶ崎マサトです」
「そうか。マサト、二度とこんな無茶するな。次は死ぬぞ」
「…………分かりました。同じ目に合わないように万全の準備をして臨むことにします」
「ん? 今回のことがあったのに、探索者になることを諦めないのか」
マサトが予想外な返事をしたため、ユージは少し興味を持った。
「妹の病を治すにはエリクサーが必要なので」
エリクサーはとても希少なダンジョン産の回復薬であり、滅多に市場へ出ることはない。仮にオークションへ出品されたとしてもうん十億で取引されるなんてことがざらにある。
「げっ、よりにもよってエリクサーか。あんなもん上級の深層、それか特級にでも潜らないと手に入らないぞ。俺も昔手に入れたことがあったけど、すぐに売っちまったしな」
ユージは自身の全盛期を思い浮かべた。
爆炎魔法と圧倒的な身体能力を武器に特級ダンジョンにもぐり続けた記憶を。
ただ人では足を踏み入れることすらできないような環境、苛烈な魔法の応酬に血沸き肉躍る日常。全てが刺激的でとても有意義な時間だった。
「て、て、て、手に入れたことがあったんですか!?」
「はっ、驚き過ぎだろ。一応、俺はちょっと前までは特級ダンジョンに――――」
「ユージさん、お待たせしました! 救護班の者を連れてきました。治癒魔法を使えるので、すぐにみてもらいましょう!!」
ユージが自身の過去を話そうとしたところで、アリサが救護班の男性職員たちを連れて戻ってきた。
アリサは少しずれていた眼鏡の位置を戻しながら、その職員へユージから聞かされたこれまでの経緯を伝える。
「だいたい状況は把握しました。あとは奥の処置室で対応します」
救護班の職員たちはユージから女子高生を預かり、そのまま処置室へと消えていった。
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