第7話 快活に笑いながら今年四歳になる娘さんの話しかしない顧問を誰か、止めてください!!
ガラっ
入口の扉がまた相手、僕はしまった、と思った。僕の声が大きすぎて誰かが文句を言いに来たのかと思ったのだ。
入ってきたのはしかも教師。胸元に小さく「horizon」というロゴの入ったシンプルなデザインのジャージで、顔は浅黒い。年は結構若そう。スポーツマンのような印象をで汗と快活な笑顔がよく似合う。体育教師だろうか。
「おう、始めていたな」
その男性教師の口を突いて出たのは注意でも文句でもなかった。それとなく先輩方の様子をうかがうと、全員が一礼し、代表して霞月先輩が「先に自己紹介だけ」と答えた。
「お、新入部員か」
先生が僕を見つけ、ようとフランクに挨拶してくる。
「一年の桜坂純也です」
「ああ、入学制代表の言ってたメガネくんか」
ぐさ。ん、今何かちょっと刺さった気がするんだけど……ま、いっか。にこにこと陽気に握手を求めてくる先生に悪意はない。
「ナンプレ部顧問の飯塚俊則だ。よろしく」
「よろしくお願いします」
その手を握り返すと何故だかふわっと体が浮くような感じがしてずどんっ。
って。
「痛いっ!?」
なんで僕、図書館で投げられてるんですか?
「お見事、一本!」
「さすがとっしい先生」
「褒めても何も出ないぞ?」
どうして先輩方ははしゃいでいるんですか? お見事! じゃないですよ。先生も調子づかないでください。
唯一沈黙している霞月先輩を見ると、スーッと目をそらされた。そしてボソッと一言。
「登竜門だよ」
ガーンガーンガーン。
なんですか。僕が何か悪いことしましたかね? この図書室は言ってからこっち、いろいろと打ち砕かれているんですが。ボクはいったい何のためにここにいるんだろう? というか、ここって何部だったっけ? ナンバープレートの写真を撮ってよくわからないナンバープレートトークをして、大和なでしこと血迷った性別の先輩二人、唯一の良心である先輩は何か悟りを開いていて、顧問は会うなり一本背負いって……
「桜坂くん? 桜坂くん!」
「ああ、先輩、時が見え」
「なくていいから!!」
霞月先輩に突っ込まれ、はっとする。いろいろと危ないところだった。
「すみません。取り乱しました」
「うん、気持ちはわかるよ。先生、いい加減この通過儀礼はやめてくださいよ」
「ん、背負い投げはダメか? ビシッと決まって気持ちいいんだが」
「そういう問題じゃありません」
「じゃあ、足払いか。地味な技だがあれも決まるとスカッとするんだよな」
「そういう問題でもありません」
「んじゃ、寝技がいいのか? 苦手なんだけどな」
「先生、寝技って……キャーッ!」
「いい加減にしてください」
にっこり爽やかスマイルを貼り付けた先輩が、表情とギャップのありすぎる声を出す。部屋の気温が一気に下がった気がした。先生と茶々を入れた翔太先輩が縮こまる。
「とりあえず、飯塚先生、自己紹介を」
混沌とした空気の中で話を正道に戻したのは部長だった。
先生が居ずまいを正し、一つ咳払いをする。それから改めて名乗った。
「ナンプレ部顧問の飯塚俊則、体育教師だ。年は三十二。この学校に赴任してから今年で八年目と結構長いな」
思っていたより普通の自己紹介だ、と安心しかけたとき、先生がにかっとして一言付け加える。
「趣味はもちろん、ナンバープレート撮影だ」
ぐっと親指を立てる先生。
「デスヨネ〜」
もう僕は驚かない。驚かないよ。
「ステキナゴシュミデスネー」
「桜坂? それ、日本語だよな?」
「ナニヲオッシャルンデス? センセイ。アタリマエジャナイデスカ〜」
全部棒読みですが、何か?
「それより先生はどーしてナンバープレートを?」
さすがに場の空気が気まずくなってきたので少し抑揚をつけてみる。しかし、僕の発した問いに、先生以外の全員がぎくりと固まる。
「アハ、アハハ、サクラザカセンパイ、ソレキイチャイマスカ〜」
んん? 何故だか翔太先輩に僕の棒読み喋りが移ってしまっている。霞月先輩の絶対零度下でも平静を保っていたはずの部長もぎくしゃくと目をそらしていた。
訳もわからず目をぱちくりしていると、がっしり肩を掴まれる。突然だったので過敏に反応してしまったが、振り向くと先生のデレッとした笑顔が僕を出迎えた。
今度は何だろう?
一抹の不安が胸をよぎる。
先生が口を開いた。
「俺にはなあ、今年四歳になる娘がいるんだよぉ」
「は、はぁ」
何を言い出すかと思えば、娘さんの話か。
「綾音って言ってな。まだ三歳だけどよく喋るんだよぉ。他の子に比べて言葉が達者でな。もう"生麦生米生卵"とか言えちゃうんだ。すごいだろう? 他にも"青巻き紙赤巻き紙黄巻き紙"、"隣の客はよく柿食う客だ"とか、"坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた"も言えるし、"僕ボブ"十回もいけるんだぞぉ? 更に今は"あめんぼ赤いなあいうえお"ってのも習得中だ。こんなに色々言えるうちのあーやんなんだけど、時々舌足らずになったり噛んじゃったりするのがまた可愛いのよ! 最近では"東京特許許可局"を"ちょーきょーとっきょきょきゃきょきゅ"とかね。可愛いだろ? こんな感じで上手く言えなかったときに"あうー"って半泣きになる姿とか、半泣きでとてとてーってこっちに駆け寄ってくる姿とかもーっ最高っ! それで"おとーしゃん"って泣きつかれた日には俺もう死んでもいいかと思っちゃったもんね。それくらいホントうちのあーやんはマジ天使なんだよ。目に入れても痛くないってああいうことを言うんだな。
俺はあーやんを見てその格言の正しさを身に染みて思い知ったよ。そう、あーやんはね、言葉だけじゃなく」
……な、なるほど。
僕はマシンガントークというものを初めて生で聞いたかもしれない。これは先輩たちもドン引くわけだ。実際、僕ももうだいぶドン引いている。というかあーやんって何。ナンプレはどこに行ったんですか?
かろうじてナンプレの部分だけ疑問を舌に乗せると、「そうだったそうだった」と先生はぽん、と一つ手をつき、続けた。
「実はなー、そんな愛しい娘のあーやんのために五十音表を作ろうと思ってな。普通の五十音表をただ作っても、きっとあーやんもつまらないだろうと思ったんだ」
「ま、待ってください。僕の頭がついていけません。五十音表?」
今、ナンバープレートの話をしてたんだよね?
「そうだ。ナンバープレートの五十音表。ほら、車には地名に三桁のナンバー、その下の四桁ナンバーの前にひらがなが入ってるだろう? それを使おうと思ってな。一緒に数字やひょっとしたら漢字、地名とかまで覚えられちゃうかもしれないだろう? うん、うちのあーやんは賢いからな。そんな感じでナンバープレートの五十音表揃えられたら、あーやんだって楽しいと思うんだ」
いいえ、僕は普通の五十音表の方がいいと思います。──と主張を挟む間もなく、再び先生のマシンガントークに火が着いた。周囲の乾ききった空気などお構い無しのようで、僕はそっと聞くのをやめた。
ああ、ちょっと西日が眩しくなってきたな、とカーテンを閉めに立っても、先生の親バカトークは止まる様子がない。
「あ、そうそれでさっきの続きだけどさ、あーやんは運動神経もいいんだよ〜。体がすんごい柔らかいし、この年でブリッジができるんだ。側転はまだ無理だけど、前転後転はカンペキ。すっごい可愛く綺麗に回るんだぁ。回って起き上がってから必ずピースって決めるの。それがまた可愛いのなんのって。あ、今度写真持ってきて見せようか。あ、いや先生のケータイの待受あーやんなんだよ。ほら今、見せるから」
「あの先生、もういいです」
「そんな遠慮せずに。ほらぁ、すっごく可愛いだろ。ばっちりカメラ目線でさ」
「先生、わかりましたからそろそろぶか」
「そうそう、他にも写真いっぱいあるんだよ。これはあーやんが初めて立ったとき。これは近所の猫しゃんに初めて触ったとき。さわさわしてるーって喜んでたんだ。これがまた可愛いの一言に尽きる。それからこれは……」
誰か……
誰か、この人を止めてぇぇぇぇっ!!
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