第4話

 呼び鈴が不規則に、何か意味を持つようになった平日の午後二時。インターホンに応えて玄関に向かう。

「今日は開けてくれたんだねぇ、前は鍵使って〜って言ったたのに…。成長?」

「気分だから」

 相手は千暁しかいない。

「ふ〜ん?知ってるけど。お邪魔しまーす」

「ん」

 千暁が手を洗ってる間でもゲームをして待つ。

「で、今日は何の用?」

「特にないよ?」

「え?…殴ってもいいかな」

「暴力反対」

「永眠妨害よりはええやろ」

「だから生きてってば」

「生きてるよ?」

 まったくもう…と何もかもいつも通りでお互い笑顔が溢れる。

「今日は寒いね?」

「今日も、だから」

 つむぎから修正がかかる。

「最高気温、二十度切って来てる。まだ最低気温が一桁になりはしないだろうが…って聞いた?この前天気予報で雪降るかもとか言ってたの」

「え?待って、まだ九月だよ?どこの話」

「知らない」

「聞いといてよね〜」

「気が向いたらね?」

「あはは…」

「用事がないなら今から寝たいんだけど?」

 自室に向かおうと向きを変えると千暁もついていく。

「一緒に寝るの?」

「それも良いね〜」

「じゃあ、母上が来たら起こしてねぇ〜おやすみ〜」

 言うだけ言って寝てしまった。つむぎの部屋には千暁の布団も用意されており、寝ていても何も不思議はないのだが。ダイヤルを回して灯りを落とす。


 夜に寝て昼に活動する、という大多数的な生活リズムの千暁は暫く眠れずにいた。これからつばさはさらに生きづらくなるだろうと体質的なことを考えてしまう。

(完全に偏見だけど、夜の仕事はまともなものが無さそう)

 これ以上、つむぎの心と身体に、記憶に傷を残したくなかった。

(どうしたものかねぇ…)

 千暁自身も照明なし、曇天の暗さで眠くなってきた頃——。

「うっ…」

(つーちゃん…?)

「はぁ、っは…はぁ…っはっ、はぁ、は…けほっはぁ…かほっ……」

 つむぎほどでないにしても、夜目が効く千暁は今までに何度も見たそれを暗闇の中で認識する。隣には右耳を塞いで左手で心臓のあたりを強く押さえて丸くなっているつむぎ。

「ごめん、な…さい……。や、だ…ごめんなさい…。いやだ、怖い怖い怖いっ……!」

「つーちゃん?…つーちゃん!」

 つむぎに触れて届くよう、怖がらせない程度に、少し大きな声を出す。

「ちー、ちゃん…?」

「私がわかる?」

「ん……」

 弱々しくも確かな返事。つむぎの背中をさすり続ける。病院が必要な音はしない。

(過呼吸か…)

 落ち着くのを待てば良い。例えば喘息とかそういうのではないという安堵と、落ち着くのを待つしかないという無力感。

「大丈夫だよ」

 誰に向けた『大丈夫』なんだろうか?初めてではないし、何度も何度も目にして来たのに。千暁はつむぎを失うかもしれない不安に飲み込まれそうになった。

(……、?)

 つむぎが千暁の腕を掴んだ。

「ちーちゃん…」

「どーした?」

 何事もないように、自分の感情があまり伝わらないように、不安が伝染しうつらないように。

「そばにいて、離れないで…」

「…わかった」

 言われずとも離れる気はなかった。こんなにも弱ってる子を置いてどこかに去るような冷酷な人間ではない。知らぬ子でも離れないのに、血のつながりはなくとも妹のように大事なつむぎのそばを離れることなんてしない。できるはずがない。

(ずっとずっとそばにいた。つーちゃんのご両親よりつーちゃんを知ってる自信はある。あの時、守るって決めたんだ。過保護だと言われても変えるつもりはない)



——十四年前——


 幼稚園の玄関だった。

「また熱出したの?今月何回目?」

 先生の腕の中で同じクラスの子がぐったりしていた。それを心配もせず、怒るママ。つむぎちゃんって呼ばれてた。先生は宥めていたけど、高くてよく見えなかった。知らない言葉もあったけど、先生とそのママがいい話をしてるわけじゃないというのは伝わっていた。つむぎちゃんが熱を出して怒ったことも。後でそのつむぎちゃんが近所のつーちゃん、だと知った時は遅れて怒りが込み上げたものだ。お迎えにママらしき人はいたけど、私がママと公園に行くといつも一人だった。

「ママは?」

 一人でいるところに訊いたことがある。返ってきた答えは

「いない。しんぼくかい」

「しんぼくかい?」

「うん」

 いま思うと親睦会、なんてものは園児が知ってる言葉じゃない。うちのママがちょっと真剣な顔したたのも納得できる。何度もそれを理由に幼子を一人にしたんだから。でも雲龍家に両親が直談判しに行ったのは後で知ってびっくりした。だから私が雲龍家に朝から行けてたんだよね。お宅に行かせるより、こちらに来てくれ(意訳)とでも言われたのかな。近所とはいえ、よそ様の子が来たらちゃんとしなきゃいけないって思ったり?園児を一人にさせられるほど、興味なかったのかな?つーちゃんに。あの頃はいっぱい怒ったよ。


なんでつーちゃんを一人にしてるの⁈

なんで体調悪いって言ってるのに怒るの⁈

なんでつーちゃんはうちの子じゃないの⁈

なんでつーちゃんをそんなに傷つけるの⁈

つーちゃんは何も悪いことしてないよ‼︎

つーちゃんは良い子だよ⁈


 いっぱい怒って、いっぱい泣いた。ママが私にしてくれるようなことをしてなかったから。つーちゃんが陽に弱いことすら把握してなかった。そんなの、酷いよ…。親なのに。だからつーちゃんのママたちがしてなかったことを久遠家はできる範囲でたくさんやった。半分以上投げられて、予防接種とかもうちで行った。ほぼうちの子の扱いなのに、この家からは出さないって言ったらしい。だったら親の務めを果たせよって。だからつーちゃんを守ろうと、守んなきゃって思った。



つむぎは荒かった呼吸を整えて

「おかえり」

「ただいま、ちーちゃん」

 まだ頭痛とか残ってるけどね、と笑うつむぎはいつものつむぎだ。

「ありがと」

「いーの、いーの」

 重く黒い雲は消え、黄金色の光が射し込む部屋。布団を片付けて立ち上がる。

「さぁ〜!僕の時間だよー!」

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みんなみたいに生きたい(仮) 夜桜夕凪 @Yamamoto_yozakura

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