第18話 フレイルの過去②

 その日の夜、ふと手紙の中身が気になり始めた。

 手紙を渡しに行っているときはそのことに夢中であったのと、勝手に中身を確認することには気が引けたので、深くは考えなかった。

 一度何かを気になると、そのことで頭がいっぱいになる性分であったので、あれこれと何が書かれているのか思案していた。

 しかし夜の寝静まった時間では確認しようがないので、その日はおとなしく横になった。

 明日手紙を渡した兵士か、運よく見かけたらあの男に訊ねようと思い次の日が来るのをまぶたを閉じ、待ち望んだ。

 だが待ち望む必要などなかった。

 なぜなら思い描いたようなは決して来なかったのだから。


 次の日私が眠る寝室にいつもとは違う、騒々しく使用人やらが走り回る音や、口々に互いに言い合う声が入って来て、たまらず目を覚ました。

 起きるとすぐにガラス窓に向かい、カーテンを開いた。

 これはいつもの習慣で、私はガラス窓からストルの街並みを一望するのが好きだったのだ。

 この日もいつもと変わらずストルの美しい街並みを拝もうとした。

 けれどもそこで目にしたのは私の全く知らない景色であった。

 天高く伸びる黒煙、家々を襲う火の手、豆粒のように小さい人々が逃げ惑う姿。

 私は生まれて初めて恐怖というものを感じたと思う。

 悪夢のような光景を前に、幼い私は心をかき乱す感情の旋風に巻き込まれるばかりで、制御できず、わけもわからずに今にも泣きださんとするばかりであった。


 その時、寝室のドアを勢いよく開ける音がした。


 「フレイル様!フレイル様!ああ、何という……!……グリューゼフ様がお呼びです!さあ、こちらへ!」


 女中のライシアが私の手を引き、父のもとへ連れてゆく。

 向かう途中何人もの兵士や使用人とすれ違う。

 皆とらえきれない不安に駆られた表情をしていた。

 さすがの私にもただならぬことが起きているのだと理解することができた。

 私はライシアに手を引っ張られながらぼろぼろと涙を流すだけであった。


 「フレイル!そんなに泣いて!大丈夫、大丈夫よ!私たちがいるからね」


 父のもとにたどり着くと、母も一緒にいて、私を見るとすぐに駆け寄り、私をこれでもかというほど強く抱きしめた。


 「フレイル、ライシアと共に今すぐにストルを出なさい。そして安全な所へ直ちに逃げるのだ。ライシア、娘を頼んだぞ」


 父が今までにないぐらい険しく暗い表情で、私に語りかけた。


 「お父様とお母様は?一緒に行かないの?」


 「私たちは領主としてこの地に残り、皆を導かなければならない。……大丈夫、きっとすぐに会えるよ。少し離れるだけだ」

 

 父が私をなだめるため平静を装うとしているが、表情は悲痛で顔は青白くなっていた。


 「グリューゼフ様!大変です!都市内の混乱だけじゃありません!魔王軍も進軍を開始しました!それも前線に駐屯していた全兵力を、です!」


 「……すぐに兵を収集できるか?」


 「それが……都市内の混乱は放火だけでなく、魔王軍のものと思われる操り人形がそこかしこに暴れており、その鎮圧のために多くの兵が出向いてしまったため……すぐに収集するのは難しいかと」


 「……そうか。もう少ししたら私も向かう。ひとまず集められるだけ兵を集めてくれ」


 「はっ!」


 威勢の良い返事と共に兵士が下がる。

 父は少し思い悩むようにして黙然とした。

 その後母に何かを確認するような目線を送った。


 「フレイル、これからお前に様々な困難が降りかかるかもしれない。けどその時は思い出してくれ、自分がフィリーゼフ家の人間であることを。高貴な誇りと勇気を持ちなさい。私たちはいつでもお前のことを思っているからね」


 父は私の肩に手を置きながら言った。

 

 「ちゃんとライシアの言うことを聞くのよ。いつもみたいに勝手に行動したりしたらだめだからね」


 母が私の手を握りしめる。


 鈍く幼い私にも両親が言葉にすることの意味を理解することが出来た。

 おそらくもう二度と会うことはないのだ、と。

 二人が私に向ける、憐れむような悲しげな視線は私の胸を苦しめた。

 そんな絶望と憂悶ゆうもんに満ちた目で私を見てほしくなかった!

 一言、たった一言『必ずまた会える』と言ってほしかった!

 哀願するように私の目には再び涙がたまり始めた。

 父と母はそれを見てもただ私を強く抱きしめるだけであった。


 渡された多くの金貨と生活に必要な最低限のものをライシアは背嚢はいのうに詰め込み、私たちは先祖が古くに作った逃避用の地下道を使って都市を脱出することにした。

 両親と別れるときは感情に任せてただひたすら泣き叫び、離れまいと暴れたが、ライシアに引きずられるようにして別れた。


 「フレイル!フレイル!フレイル!」


 この時私は感情の渦に飲まれて、分別を失っていたから当時を微細に記憶してはいない。

 それでも別れ際は母が甲高く、ヒステリックに私の名前を繰り返し叫びながら泣いていたのは鮮明に覚えている。

 そして普段は剛毅ごうきで見る者を圧倒させるような印象を与える父の姿も、その時は重病に臥す病人のように弱々しく見えた。


 私はライシアに手を引かれながら地下道を進んでいった。

 相変わらず、私は泣きじゃくっていた。

 全てだったのだ。私の世界は父と母がいて成り立っていたのだ、と痛感した。

 両親がいない世界に何の意味があるのか、何を期待すればいいのか。

 私は前途に待ち受ける未来にとても耐えられる気はしなかった。

 しかしこの少女に未来を考える権利など、はなからなかった。

 鉄鎖はすでに私の運命を縛り上げていたのだから。

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