第17話 フレイルの過去


 私はフィリーゼフ領のストルという都市で生まれ育った。

 ストルは大きな軍事都市で魔王軍との戦いにおける前線の砦としての役割を担っていた。

 そしてフィリーゼフ家は軍事や領内の政治についてある程度自由にできる裁量権も渡されていた。

 それ程フィリーゼフ家、もとい私の父であり当主でもあるグリューゼフに対する信頼は厚かった。

 このグリューゼフという人は非常に才気にあふれていて、特に軍制においてはその才をいかんなく発揮し、自らも戦地に出向いて指揮を執り、戦果を収めるほどであった。

 

 私はもちろん父のことは敬服していたし、ストルの領民もそうだった。

 だが父は貴族として、領主としての厳格さを持ちながらも、人並み以上の情愛も持ち合わせており、その愛情は私に多く注がれていた。

 父は魔王軍との争いから私を遠ざけようとしていた。

 戦線は安定して維持されていたが、父は外で戦いが行われていることなど、私の前ではおくびにも出さなかった。

 

 「フレイル、私の可愛いフレイルよ、お前は全てを愛し全てに愛される、そんな心優しい人間になりなさい」


 グリューゼフは度々私に穏やかな口調でこのように語りかけていたのである。

 そしてこの考えは徹底的に使用人や私の教育係に覚えさせていたらしく、外の世界の情勢など、ほとんど私は知ることがなかった。

 それでも時折、物々しい兵士や武官を目にすることはあったから、外で行われている戦いを少なからず察してはいた。

 しかしものを知らない愚かな幼き頃の、箱入り娘であった私はストルの外は何か楽しいことがあふれる素晴らしき世界であると、おぼろげな夢想をし、それを信じて疑わなかったのである。


 さらに私は年相応の快活さを持て余していたから、日々の座学や剣技の修練(一応たしなみとして、フィリーゼフ家の名に恥じぬようにと教わっていた)では長い一日を満足出来なかった。

 そのため田舎から来た者が宮殿と見間違いかねないぐらいの大きな家をこっそりと抜け出し、ストルの街中を一人で自由に行き来したものだった。

 使用人や両親に知られたときはこっぴどくしかられたが、それも天真爛漫てんしんらんまんだった当時の私にとってはかけがえのない日常の一部であった。

 私は全てにおいて満たされていた。父と母セラスは多忙であったが時間を見つけるたびに私と過ごしてくれた。

 ストルの広い空、乾いた心地の良い空気、戦場と隣り合わせでありながらも、したたかに、たくましく生活を送る人々。それら全てを私は愛していた。

 

 危機、戦争、猜疑さいぎ、恐怖、絶望、そんな言葉とは無縁の生活を送り、その言葉の観念すらも理解していなかったであろう私は無知で愚昧だったが、善美を持った、心の美しい少女であったのかもしれない。

 

 すまない、話が長くなるな。ことが起きたのはここからだ。

 あれはよく晴れた日のことだった。

 私は性懲りもなく隙を見て家を飛び出し、いつものようにストルの街中を面白い物はないかと歩いていた。

 そうしていると、突然ある男に話しかけられたのだ。

 その男は青っぽいフロックを着て、刺繡の入ったシャツを身にまとい、髪は白く整髪料で全て後ろにかきあげていた。

 歳は中年ぐらいに見えたが、洒脱な装いとその時の柔和な顔立ちはどこか好印象で、紳士的な見た目をしていた。


 「お嬢さん、一つ頼みごとがあるのだが、この手紙を城門にいる兵士に渡してくれないかな?君にしか頼めない仕事なんだ」


 男はかがみ、私に目線を合わせながらゆったりとした口調で言った。


 「ええ、わかったわ。おじさんのためにすぐに届けに行ってあげる!」


 「ありがとう。本当に助かるよ。君みたいな親切な子がいてくれて本当に良かった」


 男は私に封のしてある手紙を渡しながら、慇懃にお辞儀をして礼を言った。


 私はみじんもこの初対面の見知らぬ男のことを疑ったりはしなかった。

 これは私が一人で自由に街中を歩いていたことにも関係するが、ストルでは街を警備し巡回する兵士も多くおり、治安が十分に維持されていたため事件やならず者などはいなかったし、見たことがなかったのだ。

 そして男の頼みを安易に引き受けた理由として、私の子供じみた自尊心のせいでもあった。

 多くを持った家に生まれたため、普段の暮らしのほとんどは周りにいる女中などが世話をしてくれていた。

 私がやらせてくれたことなどはそう多くはなく、窮屈な気持ちと共に、早く大人と同じように好きなことを完全に自立してできる人間になりたいと当時強く思っていた。

 『君にしか頼めない仕事』、当時の私にとってどれほど甘美な響きを持つ言葉であろうか。

 あの男はそんな私の胸中を見透かしたように、私を他の大人たちとは違い、一人前の人間として扱ってくれたのだ。

 それが私にとっては痛快でたまらなかった。

 私は単純であったためすぐにその男を信頼し、期待に応えようと夢中になり、手紙を受け取った後は走って兵士のもとへと向かった。

 

 「これ、渡すようにって言われたから」


 「おお、フレイルお嬢さん。おつかいかい?わざわざありがとう。でも、また一人でいると怒られちゃうんじゃないかい?日が暮れるまでには帰った方がいいよ」


 「もう、わかってるよう。すぐ帰るから」


 そう言いつつも私の胸は満たされていた。

 浮足立ちながら私は急いで家に帰った。

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