ひと月後 ―アルテの場合
あくる日、ルイが狩りと見回りを兼ねて外を歩いていると、川べりに見慣れた赤い髪が見えた。
魚を獲るでもなく、水を汲んでいるようでもなく、雪の中、少女はただぽつんと座り込んでいる。
「……アルテ」
ルイは後ろから静かに声をかけた。けれど、彼が近付いていることに気付いていなかった彼女は、飛び上がるほど驚いて悲鳴を上げる。
怯えた顔できょろきょろと辺りを見回したアルテは、ルイに気が付くと思わずため息をついた。
「……脅かさないでよ……」
落ち着いたアルテは、もう一度川の方を向く。ルイはその隣に腰を下ろした。
「……その額の傷、どうしたんだ?」
ルイが鼻先で示す。アルテは水に濡らした布を額に当てていた。僅かな隙間から、布が赤く染まっているのが見える。
「……別に。転んだらちょっと打ちどころが悪かっただけ」
アルテはルイから顔を背けながら、ぶっきらぼうに言う。それ以上話すことはないと、突き放すような言い方だった。
「……もしかして、村で石を投げられたのか」
静かな声音で、けれど容赦なく、ルイは問いかけた。途端にアルテが勢いよく振り返った。その目は、驚きで丸く開かれている。
「どうしてそれを……!?」
「シュシュから、昔も投げられたのだと聞いた」
「……そう」
知られている、と理解したアルテは、何も言わずに顔を伏せた。目の淵は赤く、ルイは先程川の流れる音に混じって聞こえてきたすすり泣く声が気の所為ではなかった、と思った。
「お母さんたちには言わないで。特にシュシュには絶対」
唇を微かに震わせ、ルイの方を見ないまま、アルテが小さく懇願した。何故、とルイが問い返す。
「心配させたくないの。お母さんは村に乗り込んで立場を悪くするかもしれないし、シュシュはきっと次からはわたしも行くって言って聞かなくなるから」
「……確かに、『お姉ちゃんばかりつらい思いをするのは嫌』と、シュシュなら言いそうだな」
いつも布団を抜け出してくるシュシュを思い返す。冬は特に寝付けないのだと言っていた。
元々体が弱くてあまり働くことができないのに、冬場は更にアルテへ負担をかけていることが、シュシュにとって精神的つらさとなっていることは、なんとなく察せられた。
「でしょ?」
ルイの言葉に、アルテは苦笑した。
「昔からずっとそう。自分は何も出来なくて、悔しくて、無理をして倒れてを繰り返して……」
目に浮かぶようだ、とルイが静かに相槌を打つ。
「あの子、あたしのこと『お姉ちゃん』って呼ぶでしょ? あたしたちは双子だから、本当ならどちらが上とかないはずなのに。多分、そうやってあたしに甘えて頼って、『わたしにはできない』って自分に言い聞かせて、ようやく諦められるんだと思う」
「……アルテは、そう呼ばれるのは嫌か?」
ルイの質問に、アルテはしばらく視線を彷徨わせたあと、困り顔で苦笑した。
「……正直に言うとね、お姉ちゃんって呼ばれるの嬉しいの。あたしにはお母さんとシュシュしか居ないから、頼られると、あたしは必要とされてるんだ、居ていいんだって」
「……」
「そう思うとつらいことも頑張れるの。例えあたしが本当に悪魔の子だったとしても」
「……そうか」
――考えていた以上に、アルテにとってシュシュの存在は大きい。
「……他人と関われなかった結果、か」
まるで俺とは正反対だな、と独り言ちたルイの言葉は、川の流れる音にまぎれてアルテには届かなかったのだろう。怪訝な顔をして自分を見上げる彼女にルイはおどけた表情を見せる。
「俺にとってはふたりとも悪魔どころか神の遣い同然だけどな」
「またそういうこと言う……」
「事実だろう?」
「はいはい。『あたしたちのおかげで冬を越せそうだ』、でしょ? そう何回も言われると流石に居心地が悪いわ。あたしたちは困ってるヒトを少し助けただけ」
「そう出来ること自体が素晴らしいんだよ」
「んー……」
胡乱げな声を上げつつ、悪い気はしないのだろう。アルテの頬がうっすら赤く染まっている。
「……家に戻るわ。忘れ物を取りに行っただけなのにあんまり遅くなると余計な心配をかけちゃうもの」
誤魔化すようにアルテが立ち上がる。額に当てていた布を外すと、血は既に止まっていた。前髪を下ろせば傷は見えない。
「背負っていこうか?」
寒いなか長い時間座っていたからか、少し足元が覚束ないアルテを気遣ってルイが声をかけたが、彼女は「いい」と一蹴する。
「大丈夫か?」
「大丈夫。あたしはそういうのは、いいの」
気合を入れるようにひとつ深呼吸をしてから、アルテが歩き出す。
その姿に、ルイはため息をつきつつ、後に続いた。
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