ひと月後 ―シュシュの場合

「あー!」

 朝、アルテの叫び声が家中に響き渡った。

「お姉ちゃん、うるさい~」

 叫び声に起こされたシュシュがむにゃむにゃと目をこすりながら文句を言う。彼女の背後では同じく起こされたらしいルイが大あくびをしている。

「うるさい、じゃないでしょ! あんたたち暖炉の前で眠り込んで!」

 プリプリと怒りながら、アルテは暖炉の灰をかき、新しい火を熾す。

「いいかげん風邪を引くわよ! ただでさえ冬で冷え込むっていうのに……」

「だいじょうぶだよぉ、お姉ちゃん。ルイがあったかいもん〜」

「限度があるでしょ!」

 のんびりとルイの上に体を寛げる妹に、心配と呆れの混じった厳しい視線を向けた後、アルテは更に厳しい表情でルイを睨む。

「すまない、つい話し込んでしまって。次からは気を付けるよ」

 殊勝に謝るルイに、しかしアルテは一層眉間のシワを深めて彼の首辺りの毛皮を引っ張った。人であったなら耳を引っ張っているような感じだ。

「その言葉、おとといも聞いたんだけど?」

「ううん、アルテ。そこは引っ張られると痛くはないがなんとも嫌な感じで困るからやめてくれないか……」

「ワザとやってるのよ! 夜中にシュシュがベッド抜け出して話し込むのはもう仕方ないけど、せめて彼女が寝ちゃったらベッドに戻して!」

「善処はする」

 しがない熊の腕では人を傷つけずに運ぶのはなかなか難しいのだが、とため息をつくルイの毛皮を、アルテは更に強く引っ張る。

「絶対よ! あんまり続くようならしまいにはアンタを毛皮になめすからね!」

「わかった、わかった……」

 念を押すように何度かペシペシと叩き、ようやくアルテは手を離した。

「じゃあ、あたしはお母さんと牧師様のところに行ってくるから、留守番よろしくね」

 ごはんは用意してあるから、と言い残し、アルテはパタパタと駆けていった。


 シュシュは更にしばらくルイの柔らかな毛並みを堪能してから、ようやく立ち上がって台所へ行く。

 ふたり分のスープとパンを持ってくると、暖炉の前でルイと一緒に口にした。

「ルイのおかげでお肉が増えて助かっちゃった」

 スープから大きめの肉をすくいながら、ふふとシュシュは笑う。彼女が口にしているのはルイが仕留めた鹿の肉だ。

「この頃は冬場でも鹿を仕留めるコツを掴めたからな。少しでも役に立てたなら嬉しいよ」

 ルイは熊の手で器用にパンをちぎり、スープに浸しながら笑う。シュシュはぷるぷると首を振った。

「少しだなんて! この1ヶ月でもう5頭以上も仕留めてるじゃない! 多すぎるくらいよ」

「そうか?」

「そうそう。おかげで今日お母さんたちが牧師様のところに行くことになったんだから」

 つと、食事をする手を止めて、ルイがシュシュの方を見上げた。

「そういえば牧師様のところに何しに行くんだ?」

「仕留めてもらった鹿の毛皮で手袋とかを作ったでしょう? それを牧師様に塩や砂糖、香辛料なんかと交換してもらうの」

 彼女が答えながらもぐもぐとスープを食べる。そのスープはしっかりと調味料で味付けされている。

「お母さんはしっかりしててすごいけど、流石にそれだけじゃ生きていけないから、こうやって牧師様の手をお借りして物を手に入れるの」

「なるほど」

 ふむ、と納得した様子でルイはスープ皿を持ち上げると、ゴクリと中身を飲み込んだ。具材は器用に口の中に残してもぐもぐと咀嚼している。

「シュシュは行かなくてよかったのか?」

 全部飲み込んでからルイが問いかけると、シュシュは少し困ったように笑った。

「わたしはあんまり体があんまり強くなくって、遠出をすると熱が出ちゃうことが多いの。冬場は熱冷ましのお薬も少ないし、お留守番」

 それにね、と目を伏せてシュシュは続ける。

「わたしとアルテは、ね、あんまり村の人によく思われてないみたいなんだ」

 えっ、と目を見張るルイに、シュシュは苦笑する。

「わたしはお年寄りみたいに真っ白な髪だし、アルテは瞳が血みたいに真っ赤で、どちらも普通の人とは違うでしょう?」

 食べる手を止め、シュシュが自分の髪の毛を指先でくるくると弄る。透き通るような白い髪は絹糸を思わせ、老人のモノより更に白くて美しいように見える、とルイは思ったが、口に出さず、シュシュの話の続きを待った。

「こんな見た目に加えて、わたしもアルテも陽の光に弱くって。わたしはずっと外に居るとひどい日焼けをしちゃうし、アルテは外が眩しすぎてあんまりよく見えてないみたい。だから外に出掛けられるのはいつも夕方だったの。

 辺りが赤く染まる頃に出てくる奇妙な見た目の子供。村の人たちには相当不気味に見えてたみたい」

「……」

「悪魔だ、吸血鬼だ、なんて石を投げられたこともあったっけ」

 冗談めいて笑うシュシュを、ルイは特に笑ったりせず、ただまっすぐに見ている。その視線に耐えられなくなったのか、シュシュは笑うのをやめて俯いた。

「……全然違うのにね」

 ぽつんと溢れた言葉ごと拭うように、ルイはシュシュに頬を寄せ、それから慰めるように顔を舐めた。

「わ、ルイ、くすぐったいよぉ!」

 わしゃわしゃぺろぺろと慰められ、くすぐったさにシュシュは笑いながら身を捩る。ひとしきりルイのされるがままになって笑うと、ありがとう、と小さく言った。

「えへへ、心配かけてごめんね! 悪いことばっかりじゃないんだ。さっきも言ったけど、牧師様はわたしたちを普通に迎え入れてくれて、時々お話も聞かせてくださる。お姉ちゃんもお母さんも居るし、村に行かなくても平気なんだ」

 ルイの首に抱き付きながらシュシュは元の明るい口調に戻る。

「それに、ルイに出会えた! 普通に村で暮らしてたのなら絶対にあなたには会えなかったわ! おかげで今年の冬はいつもよりすっごく楽しい!」

「そう思ってもらえるなら何よりだ。俺も君たちに出会えてとても嬉しい」

「ふふ、ずっと一緒にいてほしいかも。なーんてね」

 くすくすと笑うシュシュにルイは身を寄せる。その顔は戸惑いのような雰囲気を纏っていた。


「……もし、望むなら……」


 小さな声で言いかけ、ルイは口をつぐんだ。聞き取れなかったのだろう、「なぁに?」と聞き返すシュシュに、ルイは何でもない、と答える。

「少し外で焚き木になりそうな枝を集めてくるよ。確か少なくなっていただろう?」

「それならわたしも……」

「いや、シュシュは寝ていなさい。アルテに注意されたが、実際ここしばらくあまり寝ていないんだ。本当に熱を出してしまうかもしれないだろう? ここは俺に任せてくれ」

 ぽすぽすと撫でるように額を擦りつけると、シュシュはうーん、でも……としばらく渋ったが、しまいには頷いた。

「じゃあ、お言葉に甘えるね。よろしくお願いします」

「ああ。それじゃあ、行ってくる」

「あ、でもお見送りするくらいはいいでしょ?」

「まあ、それくらいなら」

 ふたりは連れ立って玄関まで行くと、壊さないように玄関の戸を開く。


――あれ?


 玄関からのそのそと出ていくルイを見送ったシュシュは、一瞬彼の体に金色に輝くなにかがあった気がして目を凝らした。

 けれど、ひとつ瞬きすると無くなっており、シュシュは気のせいかな、と思うだけだった。

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