第11話

「ふむ。なかなか足が速い奴だ。すぐに来るぞ。志嬰、鬼が見えたら後戻りできぬように起爆符を発動させろ」

「はいっ」

「奏、この鬼は切ると減ったり増えたりするか?」

「いいや。分身できる数は決まっているようだ。一つ消すと別の場所に一つ現れる」

「なるほど、それはそれで厄介だな。では攻撃はせぬように。お前も式神でなるべく朱雀院の結界まで追い込んでくれ」

「君は?」

「鬼に効く毒を打ち込みながら這蛇で追い立てる。じき酩酊状態になるだろうよ」

 くくくくく、と喉を鳴らす禄花へ、志嬰は苦笑いをして「ほどほどに」と諫める。

「ほどほどになど甘いぞ、志嬰。やる時は徹底的に、に決まっている! あの下膨れも徹底的に二度と! 奏へ大口叩けぬようにしてやるわ!  はぁーっはっは!」

「なるほど頼もしや花仙様」

「怖ぇ……」

 呟いた紀之片の脛を軽く蹴り、たん、と足を踏み鳴らす。朱雀院のある方向へ手を伸ばし、蔦の結界を網のように広げる。

「くくっ、大江山の鬼に飲ませた酒なんぞとは比べ物にならん毒だぞ? ふふっ、己れを誰だと思っている。態度も性格も悪い雪月花仙様ぞ! はっはっは!」

「花仙様、それは自慢になりませぬ」

「だってあいつ、己れのこと姫とか抜かしやがったんだぞ! 五尺六寸もある姫が居てたまるか! 己れは顔のことを言われるのが一番嫌いだ!」

「……嫌いなんだ」

 意外そうに紀之片が首を傾げる。しかし破魔の弦鳴は止めない辺り、さすが奏臥の弟子だと感心する。

「……」

「何だ、奏。急に大人しくなって。大丈夫、お前の見せ場は取っておいてやる」

「花仙さま、師匠が青くなってる」

 青いも赤いも分かるものか。顔はすこぶる良くとも、凍てついた湖面のような無表情が常の奏臥の感情が分かるなどさすが弟子だ。

「何でお前が青くなるんだ、奏」

「私も君の顔のことばかり言っている……」

「自覚があったのか……。お前のはもう慣れた。気にするな」

 そもそもお前、己れが喋ってる時唇の下のほくろをじっと見る癖があるだろ。気づいていないとでも思ったのか。失礼なのはもう慣れた。続けて言うと、奏臥は困ったように蝙蝠扇で口元を隠す。

「君の」

「うん?」

「豪快な性格も好きだ」

「……うん。お前にしては精いっぱいのお褒めの言葉ありがとよ」

「うーん、伝わってない。伝わってないんだよなぁ、師匠……」

「紀之片。無理を言ってはいけない。花仙様も奏臥様と同様にご自分への好意には鈍感でいらっしゃるから……」

「お前ら、結構言いたい放題じゃねぇか」

 びぃぃぃん。

 ひぃぃぃあぁぁ。

 這蛇に追われて鬼が朱雀大路を駆け上がる。小路へ逃げようとする鬼を奏臥の式神と志嬰の起爆符が大路へ追い立てる。一度に十体以上の式神を操っているのだ。眠たそうな無表情でも奏臥の実力は陰陽家一だろう。

「いいぞ、上手だ志嬰」

「はいっ」

 禄花の頭上を駆け抜けた鬼を、奏臥の式神が追いかけて行く。主人に似て美しい、白い鬼だ。

「切っ……てはならぬのだな、禄花」

「おう」

「うん」

 頷いて刀を構え、器用に峰打ちで小鬼をいなして行く。これが迷子が常の奏臥とは思えない。

一二三四五六七八九十ひぃふぅみよいむなやここのたり布瑠部由良由良止布瑠部ふるべゆらゆらとふるべ

 操る刀に破魔の力が強く宿る。峰打ちだが効果は覿面だ。鬼は足をもつれさせ動きが鈍る。優雅に刀を振るいながら、片手で刀印を作り空中へ縦に四本、横へ五本、切り裂くように線を描く。

「臨兵闘者皆陣列前行」

 小鬼が見えない糸に絡め取られたように動きを止める。

「なかなかやるな、奏」

「うん」

 微かに表情を緩め、鬼を追いつめて行く。的確な符の起動で志嬰が。弦鳴を止め、弓を放って紀之片が。禄花の意図を組んで鬼を一か所へ集める。

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ……」

 数えながら子鬼に毒の種を飛ばす。これで鬼の個体識別も可能になる。ところが小鬼はわざと起爆符へ飛び込み、消し飛ぶ。

「あっ!」

 消えて別の場所へ現れた子鬼に志嬰が悔しそうな顔をする。

「よいよい、気にするな志嬰。お前のお陰で分かったぞ」

「禄花」

「おうよ任せておけ。こういうのは己れの得意だ」

「一つ! 蘇芳すおう!」

 種を植えられた子鬼から濃い桃色の花が咲く。取り払っても取り払っても己の肉体から狂い咲く花に子鬼は惑い、這蛇に捕まる。

「二つ! 双葉葵!」

 ぽろぽろと丸く小さな花を零しながら子鬼が逃げる。しかしこちらもまたすぐに這蛇に捕まった。

「三つ、仏の座。四つ、熊四手。五つ、五加木うこぎ……」

 数え始めると小鬼は慌てた様子で起爆符へと向かう。暗闇で、しかも小さな鬼の動きは読みづらい。

「月下を照らせ、燈花とうか!」

 青白く光る花をいくつもまき散らす。花灯りで逃げる子鬼が照らされる。紀之片の弓が追いかける。小鬼の手前で起爆符が弾けた。

「そうは行きません」

 志嬰が先に起爆符を起動させて微笑む。以斉の弟子は本当に優秀だ。

「ほう、なるほどなるほど、お前は数えられてはならぬ鬼か? 数に縛られておるな。力の源は数か。良かろう良かろう」

 花を植えられた小鬼は動きが鈍る。紀之片が的確にまだ花の咲いていない子鬼を狙って弓を射る。

「六つ、六月雪はくちょうげ。七つ、七竈ななかまど。八つ、八代草。九つ、九輪草」

 結界内は体内も同じ。今、目の前にあるのが全ての鬼だろう。

「ひぃ、ふぅ、しのごのろくなな……九つで全部か。ではやるぞ」

 たたた、と裸足で駆け出した禄花を奏臥が追って来ているのを背中で見て、叫ぶ。

「奏!」

「うん」

「拾えよ!」

「!」

 各々鬼を追い立てていた這蛇が禄花を目指し集まる。這蛇を足場にして駆け上がり、月を背負って白拍子が飛ぶ。月に見えたのは禄花の広げた蔦の結界。逃げ場はない。禄花の元へ追い立てられた鬼が苦し紛れか一つになり、大きな鬼となる。満月を背に鬼と白拍子が対峙する。

「来い!」

「ぐおおおおおお!」

「十で十薬じゅうやく! 狂い咲き、引き裂け血の花! 浄花じょうか!」

 とん、と鬼の額を蹴る。咲いたのは白い毒痛みの花。額から発芽した蔓が鬼の体を貫き月下に花咲く。いつの間にか朱雀院前に来ていた維尽と供が呆けたように禄花を仰いでいる。

「奏臥、止めを!」

「うん。我招くは退魔の光。急々如律令、招雷!」

 禄花同様に這蛇を足場に駆け上がり、既に鬼の背後に迫っていた奏臥が唱える。鼓膜を震わせる轟音と共に刀へと雷が落ちた。奏臥は雷を纏った刀で鬼の首を刎ね、自重に任せて落ちる禄花を空中でしかと抱えて地上へ降り立ち軽く刀を振った。禄花を抱えたまま器用に懐紙で刀を拭く。紀之片と志嬰が駆けて来るのが見えた。奏臥に抱えられたまま禄花は念のため、首を刎ねられた鬼の首と胴をそのまま結界内へ閉じ込める。

「師匠、『拾え』の意味がよくお分かりになりましたね」

「うん」

「奏臥様、刀を洗って参ります」

「頼む」

 慣れた仕草で志嬰へ刀を預ける。志嬰もまた、慣れた様子で奏臥から刀を受け取り下がる。僅か三人。他家ならば、武人を伴っての調伏だろうにこの脳筋陰陽師どもはこれが当たり前のように動き、振る舞う。なるほど嵯禰など以斉の家に取って代われるわけがない。

「紀之片、符の始末をしておいで」

「はい!」

 元気よく駆けて行く紀之片の後ろ姿がすっかり闇に消えても奏臥は禄花を抱えたまま動かない。

「……いつまで抱えたままでいるつもりだ、奏」

「……だめか」

「ダメだ」

「……そうか」

 渋々、という素振りを隠しもせず膝をついて禄花を立たせ、眩し気に目を細める。立ち上がり禄花の髪を撫で、それから結い上げた髪の根元へ挿した芍薬を直した。

「花、花仙殿!」

 寄って来た下膨れにうんざりしながら蔦で押しやる。興奮した様子の維尽と供に眉を顰めた。

「寄るなよ。己れの肌に直接触れると毒に中って爛れて腐るぞ。奏は慣れているから己れに直接触れぬようにしているのだ」

「……っ! 左様でしたか、いや花仙殿。しかし見事でした。美貌は聞き及んでおりましたがここまでお強いとは存じ上げませんでした。今度ぜひ、我が屋敷にご招待いたしたく……」

 そのまま蔦で維尽を横へ押しやり、戻って来た小柄な影二つに声をかける。

「志嬰! 刀は洗ったか?」

「はい、花仙様」

「師匠、片付けも終わりました」

「うん。ご苦労だった。志嬰、紀之片」

「では帰るとするか。或誼殿に借りたい書があるからな。ではな、嵯禰殿。行こうか、奏」

「うん」

「花仙殿、ぜひ我が屋敷で酒でも一献」

「ご遠慮しよう。己れは裸足だ。嵯禰殿の立派なお屋敷を汚しては大事だ」

「そんな、そんなお気になさらず、ぜひ」

「本日は御協力感謝致します、嵯禰の御当主殿。禄花は我が家でもてなします故、失礼致します」

「奏」

「うん」

「早く来い。お前、己れから離れたら迷子になるだろ」

「禄花」

「うん?」

「迷子になるのは私ではなく」

「あー、はいはい、迷子になるのは己れと紀之片と志嬰な! 面倒だからしっかりついて来い!」

 言いながら鬼を閉じ込めた結界を閉じて収縮させる。手のひら大の蔦の玉になったそれを志嬰に渡す。

「持ち帰って浄化して式神にするもよし、そのまま滅するもよし。普段どうしているか知らんのでな。任せる。それでいいだろ、奏」

「うん」

「緑藍と同じで奏の言うことを聞くようにしてある。開けと言えば開く。九つが一つになって十を成す。数が縁になった鬼だったようだ。取りこぼしはない」

「分かった」

「花の使える鬼にもしてやれるぞ」

「誠か?」

「なんだ、本当に花が好きだな。奏は」

「うん」

「花っていうか、花仙さまが好きなんですってば」

「これ、紀之片。それはわたしたちから伝えては野暮というもの」

「だってじれったい」

 紀之片と志嬰のやり取りを聞かぬふりをしてのんびりと歩き出す。乞われたとして、応えられぬ身で何を乞える。奏臥の指が禄花の髪をいらう。桜の花弁で蝶を作って奏臥の頬へそっと触れさせる。

 この世で一番幸せそうに微笑んだ、凛然とした白睡蓮を眺める。

 紀之片と志嬰は狩衣の袖を掴んだり引っ張ったりしながら視線を逸らし、静かにしている。奏臥はお構いなしに禄花の髪を弄んだまま桜の蝶と戯れ、禄花の前でしか緩まぬ表情を緩めている。

「『今』は短くてかなわん」

 ぽつりと零すと紀之片が洟を啜った。心なしか志嬰の足音が少し小さくなる。

「いやぁ、にしても今日の己れはよく働いた。或誼殿にはよい酒をねだらねばならんな」

「禄花、ほどほどに」

「水のようにがぶがぶ酒を飲む奴に言われたくないわ」

「師匠はお酒を飲んでも普段と変わりませんからねぇ」

「ええ。迷子にならなくなるくらいで」

「何っ?! 奏、お前出かける時は必ず酒を飲め」

「だから迷子は私ではなく」

「紀之片と志嬰と己れな。はいはい」

「ぷっ」

「ふふっ」

 上機嫌で以斉の屋敷まで戻ると、門の前に家人に提灯を持たせた或誼が立っている。

「おかえりみんな。おや、花仙殿まで。最近はよく弟を手伝ってくださるようで」

「おう、或誼殿。今日なんぞ己れは大活躍だ。よい酒を所望するぞ」

「ふふふ、そうですか。では奏臥、一緒に花仙殿の活躍が如何なるものであったか聞かせてもらわねば」

「はい、兄上。これは本日調伏いたしました鬼にございます」

 志嬰が掲げた蔦の玉を覗き込み、或誼は頷く。

「うん。これは確かに花仙殿の術。怪我はなかったかい、奏臥」

「はい。禄花が居りましたので」

「うん、そうか。そうだね」

 何度も小さく頷き、奏臥の頬を撫でて或誼は紀之片と志嬰へ顔を向ける。

「紀之片と志嬰もご苦労だったね。少しだが膳が用意してあるから食べてお休み」

「はい、当主さま」

「はい、或誼様」

 仲良く屋敷へ入って行く二人を見送る。弟子とはいえ或誼にとって二人は家人だ。それでも夜食を用意しているとは、二人を大事にしている。他家ではこうはいかぬだろう。例えば、今日の嵯禰家。供は五人だがどれも栄養状態が悪い。元々体格の良い子供をどこぞで買い上げて来たのだろう。しかしそれでも、ろくに飯も与えず殴って育てたのではまともに使えるわけもない。曾乃生家に至っては子供三人を捨てるように寄越した。他の陰陽家も似たようなものだろう。以斉家が特殊なのだ。人が良く、思慮と知略に長けた当主。それを素直に支える弟。この家は危うい。謀略に容易く壊されてしまうだろう。禄花はそれを望まぬ。

「禄花?」

「おう」

「入らぬのか」

「入るよぉ? 酒をいただかねばならぬ」

 狩衣の腰の辺りを掴んで脇の下から顔を突っ込んで奏臥の顔を覗き込む。手を袖へ引っ込め、直接肌に触れてしまわぬよう気をつけながら禄花を見やり、白睡蓮が綻ぶ。

 この家の者たちがどうか、悲しむことのないように。願ってやまぬなど、らしくもない。

狡猾剽悍こうかつひょうかん、顔以外に良いところなど一つもない雪月花仙で通っていたのにな」

 奏臥が珍しく声を上げて笑った。

「あはは、そう思っているのは君だけだ。君は優しい。そうでなければ唯人から仙人になどなれるものか」

 或誼も驚いた顔で奏臥を眺めている。それ以上に禄花は驚き、言い表せぬ心の震える想いに戸惑っていた。

「確かに君は横柄で礼儀を知らぬ貴族へは無茶な要求を突き付けるが、庶民へは無償で治療をし薬を配って気まぐれを装う。君が慕われているのは容が清らかだからではなく、その行いが優しいからだ」

 無口な男が珍しく滔々と淀みなく喋った。或誼と二人、口を開けたまま奏臥の薄く笑みを刷いた口元を仰ぐ。

「そんなことは皆知っている。悪く言われたがるのは君の悪い癖だ」

「……阿呆め。己れ様をそんな風に言うのはお前だけだ」

 袍の袖を掴んで、できるだけ邪険に奏臥の腕を前へ放り投げる。相変わらずだらしなく表情を綻ばせたまま、奏臥は禄花を見つめている。或誼はそんな弟を目路に入れ、陽の去にし空のような諸々が綯交ぜになった表情を浮かべている。

「私だけが知っていればよい」

「……阿呆め」

 それでもお前はいつか、己れを置いて逝くのだ。お前の時間は短い。短いお前の「今」を安らかにと願うことをどうして止められよう。

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