第24話:ジャンプ!

 僕は馬鹿だった。

 目先の勝利にばかり目を取られ、隣で肩を組む此花さんが見えていなかった。

 こんなに近くにいるのに。

 彼女の体温どころか、心臓の鼓動すら感じ取れるのに。

 どうして気付かなかったんだろう。

 僕は馬鹿だ。

 大馬鹿者だ!


「此花さん、大丈夫?」

「だ、大丈夫……」


 そうは言うけれど返事するどころか、呼吸をするのすら苦しそうで、喘ぐように息する様子はまるで溺れているかのようだ。

 顔色だって土色になっていて、とても大丈夫そうには見えない。


『中学時代の此花咲良は身体が弱くて休みがちだった』


 こんな時に笹本さんの言葉が重くのしかかってくる。

 勿論、忘れていたわけじゃない。僕なりに注意深く此花さんを観察してきたつもりだ。

 それでも二人三脚での此花さんにそんな素振りは見られなかった。

 僕と一緒に芝生へ倒れこんでも。

 肩を組んで障害物に見立てた机を何度も昇ったり降りたりしても。

 多少の息の乱れ、発汗、疲れは見せても、此花さんは元気いっぱいだった。

 

 何より昨日の「お母さんに見てもらえるようになった」って言葉に、僕はもう大丈夫なんだなと勝手に思い込んでしまっていたんだ。

 

 でも、本当は違っていたのだろう。

 此花さんがどんな病気を抱えているのかは知らない。でも実はまだ完治していなくて、いや、それどころか本当は普段からかなり無理をしていて、鈍感な僕が気付けないだけなのかもしれない。


「……棄権しよう、此花さん」


 後ろから追いかけてきたライバルたちがようやく僕たちに追いついて、次々と抜きさっていく。

 それでも僕はさっきまで焦りがウソのように冷静になって、此花さんへそう告げた。


 うん、僕たちはよくやった。十分に頑張ったよ。

 だからこれ以上はもう無理をしないで欲――。


「ダメですよっ!」


 それはこれまでの付き合いの中で初めて見せた、此花さんの僕への力強い否定だった。

 彼女は暴走しやすい性格ではあるけれども、それは自分の意志を貫くために相手を否定するというわけではない。

 ただ自分の願望を叶えるために、相手の様子が見えなくなってしまうだけだった。

 暴走と表現するようにそれはほぼ彼女の意識と関係なく発動し、故に相手の否定も何もない。

 それに普段の付き合いの中でも、此花さんから否定された記憶があまりない。

 なのに今の彼女は


「き、棄権なんて絶対ダメですっ!」


 息をするのも辛いはずなのに声を荒らげ、顔を上げるのもキツいはずなのに僕を見上げ、苦しいはずなのに弱気なんてこれっぽっちも見せない瞳でキッと見つめてくるという、自分の意志をどうだまいったかとばかりに僕にぶつけて否定してきた。


「高尾君っ!」


 名前を呼ばれた。

 こんな時なのに何故か僕は入学翌日のお昼休みに、初めて此花さんから声を掛けられた時のことを思い出す。


「わ、私はまだ……頑張りたいっ!」


 あの時は思わず「ぼへぇ!」なんてリアクションを取ってしまった僕であった。


「だから頑張らせてくださいっ、高尾君!!」


 でも息も絶え絶えに訴えてくる此花さんに、今の僕は言葉に詰まる。


 思えば誰から何か言われても何も考えず、ただ角が立たない返事だけを自動的に返していた僕だった。

 面倒くさそうなことは「回避する」しか選択肢を持たなかった僕だった。

 それが今は懸命に思考を巡らし、いくつもの選択肢が頭の中に浮かぶ。

 どうすればいいのか、何を選ぶべきなのか。

 いや、そもそもどうしてこんなに選択肢がいっぱいあるんだ?

 訳が分からないまま、考え、迷い、逡巡し、僕は最も相応しいと思うものを必死に導き出した。


 その結果、出てきた言葉がいつもと同じ「……分かった」であったとしても、それはきっとこれまでとはまるで違うものだ。


「でも本当にダメそうだったら止めるからね、此花さん」


 再び此花さんの左肩を手でしっかり握って抱き寄せる。

 彼女は気丈にもまだ続けると言うけれど、こうして抱きしめていないと今にも倒れこんでしまいそうなぐらい疲弊しているのが分かった。

 

 それでも嬉しそうな表情を浮かべると「うん……ありがとう」と囁く此花さん。

 同じ言葉を僕も送るべきだろうか。ふとそんなことを思う。


 5組中4位に転落した僕たちは、落ち着いてレースを再開し始めた。

 転ばないよう、無理をしない自分たちのペースでゆっくりぴょんぴょん。トップにいた時と違って焦りもないから存外に上手くいった。やはりストレスフリーこそ勝利。過剰なストレスこそが現代社会が抱える深刻な病魔だと確信を得る。


「こらー! わたしの焼肉の為に頑張りなさいよっ、あんたらー!!」


 そんな声が聞こえるような気もするけど、ここは気持ちよくスルー。


 レースは優勝を目指して3つチームがデッドヒートを繰り広げていた。

 後ろから見ていると、これがなかなか面白い。

 ただの麻袋競争じゃなくて、その前に十回転しているのが効いている。

 前へ進もうとしているのに右や左へ逸れていったり、お互いが斜め左右へジャンプしようとするからスピードが出なかったり。

 そう簡単にゴールさせてはつまらないだろとご満悦な発案者の顔が目に浮かぶようだ。


 これならあともう一波乱ぐらいあって、僕たちにもチャンスがやってくるのだろうか。

 そんなことを考えながらも隣の此花さんの体調を心配する。

 本人はやる気だけれども、吐き出す息は相当に荒く、やっぱりかなりキツそうだった。

 うん、ここはレースで成績を上げることより此花さんの身体を優先すべきだと、余計な邪念を振りきったその時。


「どりゃあああああああああああ!!!!!」


 後方からやってきたチームが、大声をあげて僕たちを追い抜いて行くのが横目に見えた。

 凄まじい勢い、そしてそれ以上にとんでもない斜行だった。

 なんでそんなところを走っているの!? と驚くほどの大外からコースを横切るような勢いで斜め前方に物凄いスピードでぴょんぴょん飛び跳ねていく。


「あはははははっっっ!! 優勝はあーしらが貰ったァァァァァァ!!」


 その追い越していく女の子の明るい茶色の後ろ髪にどこか見覚えがあるなと思っていたら、さらには聞いた覚えのある声まで聞こえてきた。

 どうやら5組の笹本さんのチームだったらしい。

 今の今まで同じ組で走っていたなんて知らなかった。後で知ったのだが、どうやら跳び箱を飛び越えようとして失敗したのも彼女たちだったそうだ。

 でもさっきはそこまで確認する余裕もなかったし。ましてやゆるふわヘアーをポニーテールにされては、他人への興味が薄い僕が気付くわけが……あっ!?


 ゴールまであと数メートル、一気にまくってきた笹本さんチームがついにトップに立った、と思ったらいきなりドテンッと転んだ。

 これまたとんでもなく派手な転び方だった。

 

 なんせ斜行しまくってきた挙句、トップに立つやいなやそれまで優勝を争っていた三チームの目の前で横倒しになったんだ。


 突然の乱入&転倒に成す術くなく巻き込まれる、僕たち以外の参加チーム。

 競技者から「きゃー」とか「うわー」って悲鳴が。

 観覧者から「わぁ」とか「おおーっ」とか「焼肉ゥゥ」って歓声が沸き上がる。


 うーん、もう一波乱あるかなとは思っていたけれど、まさか本当に起きてしまうとは。

 地面を揺らすほどの大盛り上がりに、さすがは参加希望用紙の競技説明欄に「春高名物」と書かれていただけのことはあるななんて感心する。

 もしかして一年生である僕たちを競技の最後に配したのは、慣れていないからこういうハプニングが起きやすいと睨んでのことだろうか……って、そんなことは言うまでもなくどうでもよかった。

 

「た、た、高尾君! だ、だ、大チャンス……ですっ!」 

 

 ぴょんぴょんと撥ね進みながら、此花さんが大きな目をさらに大きく広げて僕を見た。

 息は相変わらず粗くて、話すともっと苦しそうだけど、でもその目は「勝てちゃうよっ!」と思わぬハプニングに興奮を隠しきれないでいる。


 もう体力もほとんど残っていないのに此花さんはやる気だ。

 だったら僕がやる事はただひとつ。


「行こう、此花さん!」


 此花さんの左肩を抱きしめる手に力を入れる。

 応えるように此花さんも僕の右肩をぎゅっと抱きしめてきた。

 地面をのたうち回る麻袋の山が近づいてくる。

 その先のゴールに向かって、僕たちは呼吸を合わせて山を飛び越えようとジャンプした。

  

 

  

 

 

 

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