第25話:謝罪と感謝
まるで嵐のような体育祭が終わった。
嵐というか台風だった。
こう、徐々に近づいてきて、最大威力で突っ込んでくる、みたいな。予め準備を怠らないように気を付けてください、みたいな。
しかもいくら準備万端でも思わぬハプニングもありますよ、みたいな。
結論から言うと、僕たちは見事に一位をもぎ取った。
お互いに身体を寄せ合い、息を合わせた僕たちのジャンプは麻袋の山を飛び越える……はずだった。
が、既に体力をほとんど使い切っていた僕たちは、思ったほど跳べずに麻袋のひとつに着地。
「うげっ!」と聞き覚えのある声が上がるやいなや「あーしの上から早く退くし!」と足元がぐらぐらと揺れて、僕たちは態勢を崩して前方へ転がり落ちた。
咄嗟に身体の位置を変えて此花さんを頭から抱きかかえた。
いくら麻袋がダメージをある程度吸収してくれるとは言え、普通に転ぶのとは違って今回は高さがある。出来るだけ被害が出ないようにと身体を捻り、地面に落ちてもゴロゴロと横回転して衝撃を分散しようと考えた。
かくしてゴロゴロと回転したまま僕たちは、誰よりも早くゴールインした。
運動公園での人間パンジャンドラムの経験がこんなところで役に立つとは、人生分からないものだ。
勿論、この結果は審議となった。
ゴロゴロ転がるだけでは二人三脚とは言えないだろう。当然のことだと思う。
それでも意図的ではなく、そうせざるをえない状況であったこと。
そもそも二人三脚レースなのに、梯子潜りで一時的にその状態を解除するケースがあること。
加えてルールで「転がってゴールしてはいけない」と決まってはいないこと。
そんなことを僕たちの担任先生が、まるで生徒想いの素晴らしい教師のように熱く訴え、そしてなによりも。
「やった! やりましたよ、高尾君っ!」
といまだ寝っ転がったまま僕に抱きついて離れない此花さんの姿が観客の賛同を呼び込んだのだった。
まさに「もぎ取った」という表現が相応しい。
なお、僕は「これは娘さんが僕に抱きついてきているんです。僕のせいじゃないです」と此花さんへのお母さんたちへの言い訳を考えるのに必死だった。
もっとも此花さんのお母さんたちはレースを見たらさっさと帰っちゃったみたいで、挨拶どころか顔もあわさなかったんだけど。
まぁ、友だちになろうとしているからといって、そのご両親とも顔見知りになる必要はないだろう。正直ほっとした。
それから此花さんもしばらくはキツそうにしていたけれど、出番が終わってお手洗いに行って戻ってくる頃にはいつもと変わらない様子に戻っていた。
正直、心配なのは心配だ。でも本人は「もう大丈夫ですっ!」って言ってるし、それどころか「勝利をお祝いして、ちーちゃんと行ったケーキ屋さんにソフトクリームを食べに行きましょう!」と誘ってくるほどの絶好調ぶり。
うーん、レース中に苦しむ様子がウソのようだ。
もしかしたらアレは薬を飲んでしばらく休めば静まるようなものなんだろうか。
でも、それだったら中学時代に毎日病院に通わなくてもいいような……。
体育祭で僕たちは友だちという関係にまた近づいたと思う。
それでもまだ此花さんの身体についてはうかつに訊けないと感じつつ、僕は自転車の後ろに彼女を乗せながら駅向こうのケーキ屋に向かってペダルを漕いだ。
「じゃあ今回も『せーの』で行きますよ?」
「分かった」
体育祭も無事終わり、しばらくすると中間テストが始まった。
もとより良い成績を収める自信はないけれど、下手をして赤点になるようなことだけは避けたい。放課後に補習なんてなったら、此花さんに合わせる顔がないよ。
というか、正直なところ、僕より此花さんの方が心配だった。
授業中に居眠りする回数は減ったけれど、それは家でぐっすり寝ているためで、それはすなわち学生の本分たる勉学、予習・復習を全くしていないという証拠。
そんな此花さんが真面目に試験勉強をやる姿が想像出来なくて、試験一週間前からキャッチボールやカラオケじゃなくて一緒に勉強会をすることにした。
その結果。
「63点っ!」
「65点」
おかげさまで最後に答案用紙が戻ってきた日本史でもお互いに赤点を回避。
これで放課後の安寧は無事守られた……んだけど。
「うわんっ、また負けたぁぁぁぁ!」
お互いに帰ってきた答案用紙を見せ合い、二点差のすえに惜しくも負けた此花さんがひとしきり悔しがった後、がっくりと肩を落とす。
いや、そんなにがっかりされてもこっちだって困る。
此花さんの勉強を見てみたら想像以上に酷くて、自身のテスト勉強そっちのけで教えてあげたのは僕なんだからね?
「ううっ。まさか日本史でも負けるとは……」
それでも記憶力勝負の教科には自信があったらしい。
確かに此花さんは記憶力がいいと思う。特に初めて話しかけられた時に自慢していたように、人の名前と顔を一致させる能力は僕なんか太刀打ちできないほどだ。
でも君、その時に暗記物の勉強は苦手だって言ってなかったっけ?
「高尾君……もしかしてカンニングしてませんかっ!?」
「人聞きが悪いことを言わないでよ」
負け惜しみでとんでもないことを言ってきた。
あとジト目で見るのやめて。
「だっておかしいじゃないですかっ。どのテストも私よりちょっとだけ点数がいいなんてっ!」
「あのねぇ、僕はただ当たり前の努力をしただけだって」
此花さんがしつこく疑ってくるので、僕は改めてお互いの答案を机に並べてみた。
実は少し前に気付いていたんだ。此花さんが僕に勝てない理由を。
「ほら、まず此花さんの方だけど無回答の問題が結構あるよね?」
「はい。だって分からないから仕方ないじゃないですかっ!」
「比べて僕のを見て何か気付かない?」
「えーと、字が丁寧? ああっ、もしかしてそれで点数がプラスされるとかっ!?」
「そんなわけないでしょう。そうじゃなくて、此花さんのと違って僕のはなんだかんだで全部埋めているでしょ?」
「あ、言われてみればそうですね」
「これが当たり前の努力という奴ですよ、此花さん」
この説明で察してくれるだろうかと期待してみたけれど、此花さんは頬に人差し指を立てて可愛らしく首を傾げるばかり。
うん、そうだよね、これで気付くことができていたら、こんなことにはなってないよね。知ってた。
「いいかい、此花さん。人間、分からない問題でもとりあえず答える必要があるんだよ」
「分からないのに?」
「そう。分からなくても『パプアニューギニア』とか『すあま』とか『テスタオッサンドナイシテマンネン』とかなんでもいいからとりあえず答えなきゃいけないんだ」
「でもそんなことしたら先生、怒りませんか? ふざけんなって」
「授業中だったら怒るだろうね。でもテストでは怒られないんだ。だって先生も大量のテスト用紙を採点しなくちゃいけないんだよ? 生徒が苦し紛れに書いた答えにいちいちツッコミ入れてる暇はないんだ。答えが合ってるか間違っているか、それしか見てないんだよ」
「はぁ。でも、それだと結局点数は増えませんよ?」
「だけど中には運よく当たる場合もある。それにさ」
ここからが此花さんが僕に全敗した理由の解答編である。
「いくら分からなくても選択肢問題まで白紙で出すのは勿体ないよ。これこそ運次第で当たることもあるんだし」
「ああっ!!」
此花さんが目を見開いて驚いた。
こんなつまらない解答編なのに最高のリアクションをどうもありがとう。
「ああっ、す、すごいっ! そんな手があったなんてっ! すごいですっ、高尾君!」
「そこまで驚かれることに逆に驚くんだけど」
「あ、もしかしてこれって裏技って奴ですかっ!?」
「そんな大層なものじゃなくて、みんな普通にやってるんだけどね。というか、此花さんもやってると思ってたんだ」
「まさかっ! 私は考えもしませんでしたっ!」
むしろその答えこそが考えもしなかったんだけどな。此花さん、この調子でよくこの高校に入れたもんだ。ある意味、そっちの方がスゴイ。
「そっか、そんな方法が……あ、でもよく考えたらそれってズルくないですかっ!?」
「え、なんで?」
「だって分からないのに勘で答えて当たったらラッキーって、授業をどれだけ理解しているかを調べるっていうテストの趣旨に反してますよねっ?」
「どうしてそんなところで真面目なの、此花さん?」
「私はいつだって真面目ですよっ!」
真面目だから分からない問題には「分かってません!」ってことを伝える為に空白で出すし、授業中も先生の言っている話が分からないから頭が混乱して眠くなるのだと僕に訴えかけてくる此花さん。
真面目クズって言葉があるそうだけど、この場合は真面目低スペックと呼ぶべきだろうか。いや、それよりも真面目アホっ子の方が……此花さんが聞いたら怒るな絶対。
ま、それはともかく。
「あー、此花さん、そういうことは僕じゃなくて先生に言おうね」
「それはダメですっ!」
「なんで?」
「だって中には熱心な先生が『だったら放課後に補習をしてあげよう』とか言ってくるかもしれないじゃないですかっ。それは困りますっ」
「そこは不真面目なんだ」
……いや真面目とか不真面目とかそんなのじゃなくて、単純に自分に正直すぎるだけなのかもしれない、此花さんの場合。
一般的に正直なのは美徳だとされる。桜の木を折ったジョージ・ワシントンが素直に謝罪して褒められたように。
でも、今の世の中にあって度のすぎる正直さは、かえって空気が読めないと疎まれたり、今回のテスト結果のように損をすることが多い。
どうしてそんなことになってしまったのだろう。
誰だって生まれてきた時は真っ白だったのに、ただ生きてきただけでいつしか真っ白いものは目に痛すぎると敬遠してしまうなんてね。
「あー、此花さん」
そんな世界で此花さんがこれまでどれだけ生き辛い思いをしてきたのかは想像に難くない。
だからこれからは少しでも快適になってもらえればと願う。
「ごめん。やっぱり此花さんの言うことが正しいような気がする」
ただし、彼女が灰色に染まる必要はない。
純白なままの此花さんを僕が理解してあげればいい。そう思うんだ。
「だからさっき僕が言ったことは忘れて」
「さっきって何でもいいから適当にテスト用紙を埋めろって話のことです?」
「うん」
「なんでですかっ!? テストの点数を少しでも上げる裏技なのに!」
「え? だって此花さんがさっき『ズルい』って」
「でもみんなも使って……あ、分かった! 分かりましたよっ! さては高尾君、これからも私にテストで勝ちたいからそんなことを言うんですねっ!?」
「ち、違うよ! 誤解だよ」
「だったらなんで忘れろなんていうんですかっ!?」
しまった。
此花さん純白保全計画に早くも綻びが。
「ううっ。まさか高尾君が『くっくっく。この女、そんなことも知らねぇとはなァ。よーし、だったらこれからも俺様の後塵を拝ませてやるぜ』なんて考える人だったなんて……」
「そんなこと考えてないって!」
「でも、私のこと、そんなことも思いつかないアホな子だって思いましたよねっ!?」
「………………」
「何で黙っちゃうんですかっ!?」
「いや、それはそのう……」
「それに高尾君だってGWの特別価格とか知らなかったじゃないですかっ!」
「……はい?」
「それにデンモクだって知らなかったしっ!」
「いやいや、ちょっと待って。一体何の話になってきたの?」
「高尾君だって私と同じぐらい世間知らずってことですよっ!」
ガーン。
頭の中でそんな音を確かに僕は聞いた。
言われてみればなるほど僕も世間に疎い側の人間だったわ。でもショックだったのはそんなことじゃなくて。
「ごめん、此花さん。ホントにごめん」
僕は堪らず頭を下げた。
気分的には土下座したいところだけど、さすがに周りの目がある教室で余計な注目は浴びたくないのでやめておく。だけどそれぐらい反省していた。
いつからか僕は上から目線で此花さんを見ていたことに気が付いたからだ。
「それは何の謝罪ですかっ、高尾君?」
「うん……どうやら僕は此花さんに対して知らず知らずに失礼なことをしていたみたいだ」
「つまり私のことをアホな子だって思っていたと?」
「アホな子というか、純粋だなぁって」
「……え?」
「だからその純真さを守らなくちゃいけない、なんてことを思っちゃったんだ」
「ええっ!?」
ムスっと僕を見ていた此花さんが目を見開いた。
かと思ったら今度はせわしなく瞳が動き出した。まるでどこに焦点を当てたらいいのか分からないといった具合に。
「だって答えを分かってもいないのにあてずっぽうで書くなんて、僕はずっと当たり前のことだと思ってたんだよ。でも此花さんはズルいって言ったよね? テストの本質から離れているとも。それは世間ずれしているかもしれないけれど、言われてみれば確かに正しくて、だから僕は此花さんって純粋だなぁって思ったんだ」
もっとも此花さんがそんな様子にもかかわらず、自分の話に終始する僕もまた大概だった。
「でもさ、言われてみれば僕だって世間に疎くて、そんな僕が此花さんを守ってあげなくちゃいけないなんて考えるのは思い上がりも」
「ス、ストップ、高尾君! ストップしてくださいっ!」
「うん?」
「あ、あの! わ、私が純粋とか、守ってあげたいとかっ! そ、その、そんなことを考えていたんですかっ!?」
「うん。ホント僕のくせして一体何様だよって驕りも甚だしく――」
いや、ホント反省しかない。
思い返してみれば此花さんの暴走も抑えてあげなきゃなんて考えるのだって単なる僕の自己満足にすぎないのかもしれないし、僕がこんな調子では此花さんと友だちになれるのはやっぱりまだまだ先で、それはなんとも申し訳ないなって思っていたら。
「う、嬉しいですっ!」
突然、此花さんがそんなことを言い出した。
「え?」
今度は僕の方が目を大きく見開く番だ。
「そんなふうに私のことを思っていてくれたなんてっ! 高尾君、わ、私、今! とっても! 嬉しいですっ!」
「……いや、此花さん、僕の話聞いてた?」
「聞いてましたよっ! 私のこと、純粋だって! 守りたいって!」
「いや、でもそれって僕、かなり上から目線だよね? あとちょっと馬鹿にされてるって感じるよね?」
「そんなことないですっ! わ、私、他人からそんなこと言われたの初めてで、か、感激してますっ!」
ええっ!? こっちは説教されるのを覚悟して謝罪したのに、逆に感激されてしまったよ……。
人間関係、やっぱり難しいな、ホント。
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