第26話:大切な……
あづきバーを食べる時、僕はしばし途方に暮れる。
人間が口にする物の中で一番硬いんじゃないかと思われるそれは、下手に挑んだら逆に歯を粉砕してしまいそうで、かと言って舐めても飴みたいに鮮烈な味が口の中に広がることもない。
それでも結局はある程度柔らかくなるまで舐めるしかないわけで、何と言うかその間はとても虚無な気持ちになる。
つまりカニを食べる時は人は無口になると言うけれど、それと同じ現象があづきバーでは起こるのではないだろうか。
そう思っていつもの体育館裏でのキャッチボールの帰り、梅雨入り前なのに初夏並みの暑さも相まって、あづきバーをふたつ買ってみた。
大きなリュックを背負ってコンビニの外で待っていた此花さんに一本差し出す。
此花さんはお金を出すよって言ってくれたけれど、僕は固辞した。
だって申し訳ないじゃないか。
これは実験であり、作戦なんだ。
何故ならあづきバーを食べ始めたら無口になるから話が途切れる。
そして話が途切れたら、その隙を狙って。
「ねぇ、此花さん。明後日の日曜日、街の方へ遊びにいかない?」
そんな一撃を打ち込む僕のささやかな野望なのだから。
此花さんと街へ遊びに行こうと考え付いたのは、本当に偶然の賜物だった。
たまたま朝学校に行こうと思ったら自転車がパンクしていて、仕方なく歩いて学校へ向かった。
するとこれまた偶然にも僕の前を同じぐらいの年齢と思われる女の子二人組が歩いていて、驚くほど大きな声で、びっくりするほど僕にとって有意義な情報を、普段は周りに無関心な僕が奇跡的に聞き逃さずにいたのだ。
どうやら大きな街の方にヤバいケーキバイキングがあるらしい。
なにがどうヤバいのかは分からないけれど、彼女たちの様子を拾うに悪い意味でないのは分かった。
それにいくら「ヤバい」が彼女たちにとっては万能な言葉であっても、さすがに店名までは「ヤバい」で表現できなくてしっかり情報収集出来たのも助かった。
さて、ケーキバイキングですか。
ケーキはまぁ嫌いじゃない。子供の頃のように大好きというわけではないけれど、それは単純にこれまで食べる機会があまりなかっただけで、ケーキバイキングみたいに色々な種類のものを食べてみたら幾つかは気に入るものがあるかもしれない。
それにそろそろ友だちへの超進化を目指して、大きな街へ遊びに行く時期ではないだろうか。
その状況に甘いものが好きな此花さんとケーキバイキングに行くのはうってつけのような気がする。
そんなわけであずきバーの力を借りて彼女を誘ったのだけれど、結果は家に帰ってからずっと件のケーキバイキングをやっているお店のホームページばかり見ていることから察して欲しい。
予約も取った。場所も把握した。一度に取ることが出来るケーキは3つまで。食べ残し厳禁。よしルールもばっちり。
なのに意味もなくホームページを見てしまうのは一体何故だろうか? 自分でもよく分からない。
ちなみに此花さんには「ちょっと面白そうなところを見つけたんだ」とだけ伝えている。
だってケーキバイキングだなんて伝えたら、下手したら前日からご飯を抜きかねない。
というか、此花さんなら高確率でそうするだろう。
楽しみにしてもらえるのは嬉しいけれど、それで体調を崩したら元も子もないからここは秘密にしておくのがベストだ。
「……あ」
ベッドに寝転び、まるで間違い探しをしているかのような、あるいは何か有益な情報を見落としていないかのようにスマホを見つめていると、不意に振動して画面が変わった。
チャットアプリの通話モードだ。
此花さんはよくチャットのメッセージを送ってくる。
ただその一方で電話はほとんどかけてこない。
逆にメッセージは来ないけれど、最近やたらと電話をかけてくる人物に心当たりがあった。
「笹本さん、しつこいなぁ……」
そう、5組の笹本さんだ。
此花さんと同中の彼女とは念のためにチャットアプリのアカウントを交換しておいた。
僕の知らない此花さんのことを、彼女側から何か情報が得られるかもしれないと思ったからだった。
だけどしばらく彼女から音沙汰はなかった。それが知り合って数週間してからいきなり電話がかかってきて、何事かと思ったら体育祭での恨み言だった。
困ったことに彼女はいまだにあの時の結果に不満を持っていて、何故か僕に抗議しまくるのだ。
まいったなぁ。二人三脚のことなら僕じゃなくて体育祭実行委員会とかそっちの方に抗議をしてくれって何度も言ってるのに。
「もしもし」
「この大馬鹿野郎ォォォォオオオ!!!!!」
いきなりの大声で耳がツーンとなった。
なんだ? 今日の笹本さんはえらく気合が入っている。
体育祭から結構経ったというのに、何で今更燃え上がってるんだろう、この人。
「大馬鹿野郎って、だから何度も言ってるように僕じゃなくて実行委員に」
「そうじゃねぇ! あんたっ、何で此花を説得しないし!!」
「え? 説得?」
一体何のこと? と続ける前に笹本さんがはっきりと言った。
「このままじゃああいつ、あと数ヵ月で死んじまうぞ!」
……え?
「あーしの母ちゃんが去年の秋ごろに聞いたらしいんだ。此花の奴、今年の夏までに一か八かの大きな手術をしないともう身体が持たないって」
「な、何を言ってるの、笹本さん? そんなわけが」
「なにがそんなわけないだ! 実際に体育祭の時のあいつ、苦しそうにしていたじゃんか!」
「それは……そうだけど」
あの時の光景が鮮明に頭の中に蘇ってくる。
麻袋競争での此花さんは相当に苦しそうだった。
それは確かに彼女の抱える病気のせいなんだろうなとは思っていたけれど、でもその後はすぐに元気になったし、お祝いのソフトクリームも食べに行った。あれから調子が悪そうな素振りもない。
だから身体にかける負荷に気を付けていれば、問題ないのだろうと思っていた。
なのに、あと数カ月で此花さんがこの世からいなくなるなんて言われても俄かには信じられない。
……いや、信じたくなかった。
「この前の体育祭、あーしの母ちゃんも見に来てたんだ。で、此花を見て『ああ、あの子、手術を受けて元気になったのね』ってさっき晩飯の時に喜んで話してたんだけど、あーしは中三の時もあいつと一緒のクラスだったから知ってる。あいつ、確かに休みがちだったけど、そんな大変な手術を受けるぐらい学校を休んだことはなかった!」
さらに高校受験を終えて長い春休みに入った頃も、笹本さんは此花さんが美容室やカラオケ屋に入っていく姿を見たと言う。
「だからあいつが手術を受けたはずがなくてこのままじゃ……っておい、聞いてんのか!?」
笹本さんに言われるまでもなく、僕はちゃんと聞いていた。
だからこそ信じたくはないけれど、彼女の話が本当なんだって事実に打ちのめされていた。
「……どうやらその様子だとあんたも聞かされてなかったんだな、あいつから」
溜息にも呆れにも似た息が電話口の向こうから聞こえてくる。
「だったら腑抜けてる場合じゃねぇし!」
でもすぐに先ほどと同じ、いや、さっきよりも強い調子で僕を怒鳴りつけてきた。
「まだぎりぎり間に合うんだ! あんた、此花を説得するし!」
「……僕が?」
「そう! だってあんた此花の大切な人なんだろ!」
僕が此花さんの大切な人……。
笹本さんはそう断言するけれど、実際のところは分からない。
仲良くはなっているとは確かだ。でも僕たちはまだ友だちになれていない。此花さんが僕のことをどう思っているのかなんて僕に分かるはずもない。
だけど。
「……分かった」
分かることだってある。
それは僕自身が此花さんを大切な友だちだと思っている、ってことだ。
結局、「友だち」そのもののことはいまだによく分からない。
キャッチボールをすれば友だちか。一緒にカラオケに行けば友だちか。お互いにがっちり組み合って二人三脚出来たら友だちか。
いろいろやってみたけれど、どれも「これだ!」って確証はなかった。
だけど、それでも、此花さんはきっと僕の大事な友だちなんだ。
だってこれからも一緒にキャッチボールや、カラオケや、他愛のないおしゃべりや、来年の春には約束通り一緒に桜を見に行ったり、定期テストの度にお互いの点数を競い合ったり、たまにはつまらないことで口論したり、それに楽しかったり、くだらなかったり、何にもなかったりする毎日を一緒に送りたい。
僕は此花さんとこれからも一緒にいたい。
そんな存在を友だち以外に何と表現するのか、僕は知らない。
だから。
「此花さんをなんとかするよ」
さっきまでの信じられない、信じたくないと思う僕はいつの間にかいなくなっていた。
代わりにどうすれば此花さんを説得できるか。
その方法を考えることだけに脳細胞の全てを捧げていた。
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