第27話:天秤だって図ることもある

 日曜日。

 都会へと向かう上り電車が、駅のホームへ滑り込むように入ってくる。

 スピードを落としながら目の前を通り過ぎて行く電車の中は、ホームと同じように混み合っていて、この中から此花さんを探し出せるかちょっと不安になった。


 電車がゆっくりスピードを落としていって、やがて止まった。

 目の前の扉がゆっくりと開いていく。そこに。


「おはようございますっ、高尾君!」


 いつもの笑顔を浮かべる此花さんが立っていた。

 ふわっとしたスカートに、マリンブルーのボーダーが入ったTシャツの上からほんのり薄紅色のカーディガンを羽織っている。

 足元にはいつもの学校で見る大きなリュックが床に置かれていた。


「おはよう、此花さん」


 他のお客さんの邪魔にならないよう、一度ホームへ降りてくる此花さんに挨拶をして迎える。

 顔色はいい。足取りもしっかりしている。とても笹本さんの言うような状態には見えない。

 でも以前に読んだ小説に、重病にも関わらず普通の生活をしている女の子の話があった。そう言えばその子の鞄の中には注射器やら医療機器やらが入ってたっけ。

 此花さんの大きなリュックの中身を僕は見たことがない……。


「どうかしましたか、高尾君?」

「え? いや、別に、その……」


 いつも通りを装っていたつもりだけど、此花さんは何かを敏感に感じ取ったのかもしれない。

 僕の顔を不思議そうに見上げてきた。

 まさか「体調に問題がなさそうかチェックしてました」とは言えない。

「ちょっとリュックの中身見せてくれる?」なんてもっと言えない。

 とは言え、まるっきりウソをいうわけにもいかないので、だから。


「私服姿の此花さんも可愛いなと思って」


 此花さんの健康状態を気遣う感情とは別の本音を口にしてみた。

 それがどういうことなのか、此花さんの顔が桜色に染まるのを見てようやく理解した僕は、やっぱり緊張しているのかもしれなかった。



 

 気まずいというより気恥ずかしいという感情を持て余しながら、混み合う電車の中を体育祭の二人三脚のように身体を密着させて揺られること20分あまり。

 辿り着いた街は僕らの地元とは比べ物にならないぐらいの多くの大きなビルと、様々なお店と、そしてなにより僕たちのように遊びに来た人たちで溢れかえっていた。


「人がいっぱいですね」

「そうだね……」


 此花さんと並んで都会の雑踏を眺めながら、信号を待つ。

 どうにも落ち着かない。やっぱりさっきのあれは失言が過ぎたみたいで、まだ電車の中で過ごした気恥ずかしい空気が僕たちに纏わりついていた。

 

 おかげで手を繋ごうにもその勇気がなかなか出てこない。


 この人混みの中ではぐれない為にも、そして何より此花さんの体調に異常が出た時にすぐ彼女を庇える為にも、ここで手を繋ぐのはとても重要だ。

 なのに左手はさっきから此花さんとの距離を近づけたり遠ざけたりするだけで、なかなかその右手を握ろうとしてくれない。

 我が左手ながら困った奴だなと、自分の未熟な精神力を棚に上げて思わず睨みつける。


 と、下ろした視界の先、同じようにうずうずとこちらへ手を伸ばそうとしては引っ込める此花さんの右手があった。


「此花さん……手、繋ごうか?」


 その様子を見て咄嗟に問いかけていた。

 条件反射的なものだ。勇気は何の関係もないのが情けない。

 それにここは黙って手を取るのが男の甲斐性というか、頼もしさだろう。そういうのとは縁のない人生を送ってきたのが、まさにこの問いかけに露呈している。


「むぅ」


 そんな僕に呆れたのか、此花さんが不満そうな口ぶりで返しては手を握ってきた。

 不甲斐ない男でごめんよ、此花さん。 


「それは私のセリフだったのにっ!」


 ……どうやら僕に呆れたのではなく、僕に先手を取られたのが悔しいだけのようだった。


「ううっ、さっきから今日の高尾君は一味違います……」

「そ、そうかな?」


 信号が青に変わり、周りの人たちが一斉に歩き出す。

 僕たちも他の人の迷惑にならないよう、少し遅れてから歩き始めた。


「そうですよっ。だって私は牡牛座で、高尾君は天秤座なんですからっ!」

「ああ、天秤座は牡牛座にリードされる関係、だったっけ?」

「はい! なのに今日はなんだか逆になっているような気がしますっ」

「……まぁ、たまにはいいんじゃないかな」


 天秤だっていつも何かを測らされてばかりじゃない。時には自分から図ることだってあるだろう。

 ……いや、ないか。だったらこれは奇跡だ。此花さんにはこの奇跡を楽しんでもらいたい。


 人波に流されるようにして、僕たちは手を繋いで歩いて行く。

 目的地へのルートは予め調べておいたのだけれど、みんなが同じ方角へ歩いて行くのでこれならあんまり意味がなかったななんて最初は軽く思っていた。

 けれど次第に「もしかしてこの人たちも同じ場所を目指しているんじゃないか?」と思うと途端に不安になった。


 人が多いのは困る。

 だから予約した時も既に埋まっている席から離れた所を取った。

 頼むからこちらの意を汲んでほしい。休日にこんな都会へ遊びに来るような人たちだから、きっとみんな空気を読む達人だろう。その能力を今こそ発揮してほしい。


 そんな僕の願いが通じたのか――あるいは陰キャ特有の考え過ぎだったのか。

 繁華街に入って歩を進めていくと誰かしらがお店に入っていったり、横道へ逸れたりして人波は少しずつ崩れ緩やかなものになっていった。


 そして僕たちは目の前の人たちがお店や建物に入っていくたびに、二人揃ってそちらへ視線を向けて、あれやこれやと話した。

 メガネ屋さんにはまだ一度も入ったことがない、とか。

 服はいつもどこで買っているのか、とか。

 さっきの人が入っていった建物の5階にある「ドキドキメモリアル女学院」って何だろう、とか。


 今のお店でやってるケーキバイキングはヤバいらしいよ、とか。


「そうなんですかっ? だったら今度行きましょう!」

「うん。そうだね、行こう」


 そんな約束を交わすことにも成功した。

 これで先日習得した情報が無駄にならずに済む。一度予約しておきながら取り消してしまったお店への顔向けも出来そうだ。

 願わくば病気を克服し、僕と一緒に未来へと歩く彼女と行きたい。そのためならどれだけでも待つ覚悟はある。

 

 賑やかな通りの先に、その建物はあった。

 通りの名前の由来でもあるその建物はとても大きくて、下層はショッピングセンター、上層はホテルやオフィス等が入っているらしい。

 

「お買い物ですか?」


 あたりをきょろきょろと見渡しながら、此花さんがワクワクする気持ちを表すように僕の手をぎゅっと握ってきた。

 ショッピングセンターと言っても郊外にあるような騒がしさはなく、人もお店もどこかゆったりとした落ち着いた雰囲気がある。

 その中を僕たちはまだ手を繋いで歩いていた。

 はぐれる心配はもうない。だけどこの場所では手を繋ぐのが相応しいような、そんな空気が流れていた。


「何を買おうか?」

「そうですね、グローブとか、もっとちゃんとした野球のボールとかっ!」

「いいね。でも、それだったら地元の商店街にもスポーツショップがあったはずだよ?」

「あ、そう言えばありましたねっ! でも、だったら何を買うんですか?」

「実は目的は買い物じゃないんだ」


 頭の中の地図と実際に見える景色を照らし合わせて進んできた僕は、メインストリートから脇に逸れて少し行ったその扉の前に立つ。



 ふたりしてエレベーターの案内板を見上げた。

 僕たちが待っているエレベーターは丁度その屋上にあった。


「プラネタリウム……」

「うん。僕はプラネタリウムって見たことないんだ。此花さんはある?」

「私も初めてですっ!」

「……どうかな? 楽しめそう?」


 ここにきて僕は突然緊張に襲われた。

 プラネタリウムのことを思い浮かべた時はこれしかないと思ったけれど、よくよく考えたらここで嫌な顔をされたり、無表情だったりしたらどうしよう?

 そう思い始めると、今度はこれまでこれまで多くの人の申し出に淡々と受け入れてきた僕の姿が浮かんできた。

 そんな僕が逆の立場になった今、此花さんに好意的な反応を求めるのははあまりに厚かましすぎるのではないだろうか。


 僕が神様ならここは思い切り此花さんに渋い顔をさせて、罪を償わさせる。

 ああ、つまらない神様でごめんなさい。


「はいっ! とっても素敵ですっ!」


 対してとびきりの笑顔で応えてくれる此花さんは、まさに素晴らしき女神なのだった。


 

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