第28話:風船と沈没船、宇宙を行く
プラネタリウムには二種類の席があった。
ひとつは人を駄目にするようなソファーに寝っ転がれる特別席で、もうひとつは普通の映画館みたいな席だ。
本当はソファーみたいな席が良かったんだけど数が限られていて、プラネタリウムを思いついた時には既に予約で完売だった。
だから仕方なく普通の席にしたんだけど、思ったよりもリクライニングが利いている。
おかげで僕たちはほとんど寝転ぶような形で丸いドーム状の天井を見上げることが出来た。
「いっぱいお客さんが入りましたねっ!」
此花さんの言う通り、プラネタリウムはかなり大きかったものの、七割方の席が埋まっていた。
多くはカップルや女性同士の若い大人の人だ。
意外にも中年男性のおひとりさまも結構いる。日頃の激務で疲れた心を癒すためだろうか。
また、親子連れがほとんど見当たらないのは、上映中のおしゃべりが厳禁だからだろう。
ちなみに今はまだ上映前なので、会話は許されている。
きっと僕たち以外にも話している人はいることだろうけど、その声は聞こえない。何故なら。
「でも、どうして私たちの周りだけこんなに空いているのでしょう?」
そう、僕たちの席の近くには誰も座っていなかった。
それは予約した時にわざと埋まっている場所から離れた席を取ったのもあるけれど、実は別の理由もあった。
チケット売り場で予約していることを告げた時のことだ。
「えっ!? そうなんですか!?」
「はい、お客様が予約された席よりも、こちらの方がもっと見やすいですよ」
チケット売りのお姉さんから僕の予約した席はいわゆる不人気席であることを告げられた。
なんせプラネタリウムなんて初めてのことだったから、普通席でも人気・不人気があるなんて思ってもいなかった。
だったら値段を変えたらいいのにと思っていたら。
「今ならまだ席が空いてますから変更できますよ」
お姉さんが提案してきた席は、なるほど、周りもすでに完売していていかにも人気席っぽい。本当ならそこにすべきなのだろう。
「あ、いえ。予約した席でいいです」
でも断ることにした。
お姉さんが不思議そうな表情をして「本当にいいの?」と訊いてくる。
だから僕は後ろの、チケットに並ぶ人たちとは離れた所で待っている此花さんをさりげなく指差して「出来る限り友だちだけと宇宙を楽しみたいんです」と打ち明けた。
多分それで気を利かしてくれたのかもしれない。
不自然なほどに僕たちの周りにお客さんは誰もいなかった。
お姉さんに感謝だ。
「なんでだろうね。あ、でもそろそろ始まるみたいだよ」
お姉さんだけじゃない、まるでスタッフ全員が僕に協力してくれてるかのように絶妙なタイミングで館内の照明が暗くなってきた。
同時に男の人の声で上映中の注意事項や緊急時の退出場所などについての説明が流れる。ここから先は私語が厳禁か。気を付けよう。
照明がどんどん絞られて、僕たちの周りの闇がいっそう色濃くなっていく。
やがて照明が完全に落とされて、真っ暗闇に包まれたかと思うと、ドーム状の天井に星が映し出された。
あれ、思ったほど大したことないな?
最初の印象はそれだった。
確かに綺麗ではあるのだけれど、なんというか、星空の映像をただ天井に映しているだけにしか見えない。
プラネタリウムって初めてだったけれど、こんなものなのだろうか。
だとしたらかなりの期待外れ――
『皆さま、本日は宇宙船・地球号にご乗車ありがとうございます』
と、そんなアナウンスが聞こえてきた。
『この度の宇宙旅行は一時間半を予定しております。皆様方、どうぞ星の海の旅をご堪能下さい』
いや、そうは言われてもこんな映像では星の海どころか、どこか田舎の海の夜空を見上げている気分にしかならないんだけど。
『それでは発進いたします』
いきなり見上げていた星が光の矢になって、僕たち目がけて落ちてきた。
よくアニメとかで見るワープする時の映像に似ているかもしれない。
でも、僕も此花さんも、そして僕たち同様初めてプラネタリウムを体験したのであろう人たちも思わず「うわっ!」って声を上げるぐらい、まさに星が光となって落ちてきたと錯覚させられた。
そして。
「うわぁ……」
驚きの後に待っていたのは、そんな感嘆だった。
さっきとは鮮明度も、見えている星の数も、迫力も圧倒的に違う、まさに星の海がそこにあった。
なんだこれ、完全に宇宙じゃないか。
ドーム状の天井を見上げているだけなのは分かってる。それなのにまるで宇宙遊泳をしているような浮遊感が身体全体を包み込んできて、堪らずシートの肘掛けをぎゅっと握りしめた。
そうでもしないとこの広大な星の海に、ひとりぼっちで放り出されるような気がした。
「すごい……」
此花さんの声が聞こえた。
その声に吸い寄せられるように、僕は隣に座る彼女へ視線を移す。
たちまち宇宙は霧散して、僕は元のプラネタリウムへと帰還した。此花さんの声が僕にとっての重力だった。
プラネタリウムは相変わらず闇に包まれていて、でも暗闇に慣れてきた目はしっかりと此花さんの様子を脳に伝えてくる。
「宇宙だ……」
此花さんは天井を見上げながら、両手をふわふわと頭上に掲げていた。
まるで星の海を泳ぐようなそれは、きっとそうしていたらいつか必ずどこかの星に辿り着けるんだといわんばかりで。あまりに頼りない動きだけれど、此花さんらしいなと思った。
この大宇宙を前にして自分の居場所を守ることなく、力の限り、前へ進もうとする此花さん。
教室で空を漂っていた風船は大気圏を抜け出し、宇宙へと旅立っていく。
かつて人類が外宇宙に自分たちと同じような存在がいると信じて探索ロケットを飛ばしたように、風船もまたどこかに自分と友だちになってくれる人がいると信じて宇宙を旅するのだ。
その旅に乗り遅れてはいけない。
僕は再び天井へと視線を移した。
再び宇宙の無重力が僕を襲う。さっきはこの感覚が怖かった。
だって生まれてこの方、ずっと重力という法則の中で生きてきた。それをいきなり解き放たれてさぁどうぞと言われても尻込みしてしまう。
だからまるで新しいクラスでの自己紹介で「高尾一真です、よろしく」とたった一言で済ませてしまうように、自分を守ることに必死になってしまうのだ。
でも二度目の無重力体験は違った。
僕は思い切って肘掛けから手を離す。当たり前だけど席からふわりとどこかに飛んでいくようなことはなかった。
それでも僕は僕の拠り所を求めて、僕の重力の方向へ左手を伸ばす。
隣に座っているのに、なかなか此花さんの右手を捕まえられなかった。
きっと彼女も手をゆらゆらと動かしているからだ。
視線を隣に移せばすぐに捕まえることが出来るだろうけど、それはなんか違うような気がした。
地上で僕たちが出会ったように、もう一度、今度は宇宙でも僕たちは出会うんだ。
あの高校生活二日目の昼休みに此花さんが僕を捕まえたように、今度は僕が彼女を捕まえるんだ。
此花さんという風船によってとっくの昔に引き上げられていた、僕という沈没船。
今度は風船を追いかけて、今こそ自分の力で宇宙へと飛び立て。
がむしゃらに空間をかき回していた左手の指先が一瞬、何か柔らかいものに触れた。
二度三度とその辺りを行き来して、ようやく此花さんの右腕を捕まえることが出来た。
手首の方へと掴んだ手を移動させていく。
その途中で彼女の指が僕の手首より少し上の辺りに触れたのが分かった。
僕は一度腕から手を離し、代わりに此花さんの指へと自分の指を伸ばす。
彼女の指と僕の指が重なる。
そして同じタイミングで僕たちはお互いの指を相手の指の間に絡ませた。
「高尾君……私たち、宇宙に来ちゃったね」
そんな此花さんの声が聞こえたような気がした。
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