第7話:頬が緩む
僕たちは友だちが分からない。
分からずにこれまで生きてきた。分からないことも分からないまま生きてきた、友だち流浪の民だ。
だけど今、僕たちは友だちを分かりたい、知りたい、理解したいと思っている。
そうして僕たちは友だちになりたいと思っている。
その最初の活動にキャッチボールは、とても的を射ていた。
お互いに初めての経験で、他人からしたら目も当てられない酷いものだったけれど、相手のことを意識してある行為を成立させるというのは友だち付き合いの基本のような気がした。
「行くよ、此花さん」
そんなキャッチボールに興じ始めて数日経つ。僕たちの距離は三メートルほどになっていた。初日は十メートルぐらいあったから、僕たちの自己評価の高さと現実のギャップに呆れる。
まぁ、試行錯誤の末にお互いにキャッチボールが成立する距離を突き止められたのだから、これ即ち心の距離もまた縮まったと言えよう。
ふたりにとってこれは素晴らしいことだ。
「ナイスボールですっ!」
此花さんが胸元で難なくキャッチする。さすがに三メートルの距離なら僕だって方向・力加減ともに問題なく、正確に投げることが出来るのだ。
「ほいっ!」
受け取ったボールを此花さんがゆったりとした力感のないフォームで投げ返してくる。
今思えば初日のダイナミックなフォームが懐かしい。体操着チラはもう見られないのだろう。
僕にとって残念なことだ。
「あ、そう言えば、先生たちのアレって何か法則があるのか、高尾君分かりますか?」
「アレって指名する生徒のこと?」
「はいっ。先日まで前の席に座っている人を当てまくってましたよね。でも今はそんなの関係なく不規則に当ててるじゃないですか」
「不規則だったら法則はないんじゃない?」
「でも、ひとりの先生だけじゃなくて、どの先生も突然バラバラに当てるようになったんですよ? それも含めて、実は不規則に見えて何か法則があるんじゃないかなって」
ボールを投げながらこんなどうでもいい話を交わすのも、キャッチボール効果と言っていいだろう。
なんせキャッチボールとは古来より親子がコミュニケーションを取るために利用されてきた長い歴史がある。仮に野球が廃れてNBPやMLBや春と夏の高校野球が消滅しても、きっとキャッチボールだけは生き残って綿々と人類に引き継がれていくはずだ。
「うーん、実はひとつ、思い当たることがないこともないよ」
「ホントですかっ!? 教えてください、高尾君! 私、何でか知らないけど最近よく当てられるから、授業中にずっと集中しなくちゃいけなくて大変なんですよっ!」
「うん、それだね」
「はい? それって?」
「つまりね、入学した当初は前の席の人ばかり当てていたのは、僕たちを油断させる為だったんじゃないかな、って」
「うー、意味が分かりません。どういうことですか?」
「だからね、自分はしばらく当たらないなと分かっていたら、此花さんはどうする? それでも真面目に授業を聞く?」
「ええっと、居眠りしたり、別のことが気になっちゃったりして結構サボっちゃうかも……って、え、ちょっと待ってください。も、もしかして最初は授業に集中してない生徒を見極めてたって言いたいんですかっ!?」
「うん、隠れて居眠りとかスマホ弄ったりとか、そうじゃなくてもなんとなくぼんやり授業を受けてる人をチェックしてたんじゃないかな、って」
「ええっ、そんなぁ!? な、何か根拠はあるんですか、高尾君っ!?」
「んー、此花さんは最近よく当てられてるよね?」
「う、うん!」
「でも僕は全然当てられないんだ」
此花さんと違って、僕は入学してからこの方、ずっと授業を真面目に聞いている。
それは単純に授業中は先生の話を聞くこと以外しかやることがないからそうしているわけで、別に勉強熱心でもなんでもない。
その証拠に僕の成績は極めて平凡だ。
中学の時に先生から「高尾君は真面目に授業を受けているのに、なんで成績が伸びないんだろうね」と不思議がられたことがある。
その時は勿論言わなかったけれど「授業を真面目に聞くことと理解していることは別物ですよ、先生。何故それが分からないかなぁ」と思ったものだ。
ま、それはともかく。
僕は真面目に授業を受けてきたから優秀な生徒だと先生方に認識されている可能性はある。
逆に此花さんは不真面目な生徒だと思われていて、最近集中砲火を喰らっているのではないだろうか、というのが僕の推測だ。
「うわん、最悪ですっ!」
もっとも本当のところは分からない。
でも此花さんが信じ込むには十分だったようで、彼女は僕が投げたボールを無視してその場にどうっと倒れこんだ。
学校の地面というのは、えてして砂っぽい。
それは体育館裏と言っても同じで、まぁドロドロにぬかるんだ地面と比べてたらマシではあるものの、やっぱりそんなところに寝っ転がると制服が汚れてしまうよと心配してしまう。
でも、そんな僕の心配をよそに此花さんは「ううっ、そんなのひどいっ! あんまりですっ!」と、地面に寝転びながらいじけ始めた。お子様かっ!
「此花さん、ボールは?」
「ううっ、もう今日はキャッチボールって気分じゃなくなりました……」
「そう」
キャッチボールの気分じゃないのなら、今はどんな気分なんだろう?
砂浴びしたいモルモットの気分なんだろうか? だったらまぁ、制服が汚れるのも気にせず地面に寝っ転がるのも頷ける。
存分に堪能して欲しい、ひとりで。僕は遠慮しておく。そこまで心を通じ合わせる必要もなかろう。
ま、それはともかく、どうやら今日はここまでのようだ。
僕はボールを回収しようと、地面にひれ伏した此花さんの横を通り過ぎようとする。
「ま、待ってぇぇぇぇ」
ふと地面から声が聞こえてきた。
「高尾君だけズルいぃぃ」
呪詛だ。きっと地獄からに違いない。
「高尾君も道連れにしてやるぅぅぅ」
よし、無視しよう。
「うわん、見捨てないでぇぇぇぇ」
しまった、足元に泣いて抱きつかれてしまった。こうなっては僕も一緒に地獄に……行かされてたまるかっ!
「ここだけの話、実はこれまたひとついい方法があるんだ」
「ホント!? 教えてくださいっ、高尾様っ!」
「これは僕の中学時代の話なんだけど……」
中一だったか、中二だったか。とにかく宿題を出しまくる数学教師がいた。
その数はきっちり40問。こちらとしてはたまったもんじゃない。
ただ、宿題だけどノートの提出とかはなかった。代わりに授業でその宿題の答えを次々と生徒に答えさせる。
宿題は40問で、教室に生徒は40人。だから誰もが必ず1問答えなくちゃいけない。
最初のうちはみんなビクビクしながら指名されるのを待ち構えていた。
答えに自信のある問題に当たればラッキー。逆に分からなかった問題が当たったら最悪。こればかりはどうしようもない、運を天に任せるしかない、誰もがそう思った。
ところがそこに革命家が現れる!
その名は高尾一真……なわけがない。僕はいつだって扇動される民衆側だ。期待に応えられなくて済まない。期待すらもしてなかった人は僕のことをよく理解している。えらいぞ。
まぁ、とにかくそいつは誰もが一問だけ答えなくちゃいけないというルールを利用して、ある日突然、いきなり挙手したのだった。
「その質問、私がお答えしましょう」とばかりに。
答えに絶対的な自信がある問題を狙って。
「そ、そっか! 当てられる前にこっちから手を挙げて当ててもらうわけですねっ!」
「そう。一度の授業で同じ人が何回も当てられることはまず無いよね。だからそれを利用して、分かる問題の時に自分から答えちゃうんだ。先生に当てられる前に」
「す、すごい! 答えた後は居眠りとかやりたい放題じゃないですかっ! ううっ、完璧なシステムですよ、高尾君っ!」
そう、完璧なシステムだ。
おまけに中学の時も数学の時間だけはみんながこぞって挙手する活気溢れる授業となったので、視察に来た文部省のお偉いさんが「あの先生は優秀だ」って褒めていたと聞いたことがある。
今から思うと僕たちがそうするのを想定してあの数学教師は宿題を出していたのではないだろうか。
だとしたら相当な策士だ。
だから僕も真似してみた。
この完璧なシステムを取り入れたら、此花さんは授業中に安寧を手に入れるだろう。
だけどその為には事前に予習をしっかりしなくちゃいけない。
つまりは結果的に彼女の学力をあげることになるのだ。
ひどくはない。これも此花さんの将来を思ってのことだ。
それぐらい彼女の学力は……うん、ちょっとアレだったりする。
それに以前の僕ならこんな話はしなかっただろう。
自業自得だと諦めてもらうしかないとなんら建設的ではない意見を言って終わりにしていたはずだ。
その結果、此花さんが授業が嫌になってサボる不良になったとしても、僕には何の関係もないと思ったことだろう。
だけど今の僕はそれを止めたいと切に願っている。
だって不良になって、それでも僕と友だちになろうとしている此花さんが「おい、高尾ぉ、ちょっと面貸せや。他校の奴らをシメに行くぞ」とか言って来たら困ってしまうじゃないか。
「ふっふっふ。おかげで明日からは余裕ですよっ!」
健全ルートに入ってくれた此花さんが立ち上がって、両手を腰に置いて勝利宣言をした。
そんな彼女を見て僕は改めてボールを拾いに向かう。
まだ友だちではないけれど、此花さんを不良化ルートから救い出せたことに少なからず満足感を覚えている。
その証拠に自分でも気づかないうちに頬が緩んでいた。
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