第8話:しかないっ!

 ああ、なんてことだ。此花さんが生徒指導室に呼ばれてしまった。

 理由ははっきりしている。授業中の居眠りだ。


 発端は例の「先生からの指名を回避するには、自分から分かる問題に挙手しろ」という僕のアドバイスだった。

 これを受けて此花さんは翌日から早速実行に移した。

 授業で挙手する人なんてまずいないので最初は先生もクラスのみんなも驚いていたけれど、少なくとも先生は此花さんのやる気を歓迎したはずだ。

 あの此花咲良がやる気になってくれたぞ、と。

 そこまで目を付けられているのかは知らないけれど。


 しかし、此花さんは純粋だった。純粋過ぎた。

 自ら挙手した問題を完璧に答え終えると、これで私の仕事は終わりですねとばかりに爆睡し始めたのだ。

 これもまた先生たちやクラスのみんなを唖然とさせた。


 そして本日、こうして呼び出されたというわけである。

 ああ、完璧に目を付けられてしまったな、此花さん。

 彼女の自業自得ではあるものの、作戦を伝授した身としては多少なりとも責任を感じる。


 なのでしょんぼりする此花さんに付き添って生徒指導室までやってきた僕は、外の廊下で彼女が解放されるのを待つことにした。

 鞄とボールを手に持って。


「ううっ、失礼しましたあぁぁ」


 廊下で待つこと30分余り、此花さんが涙目で生徒指導室から出てきた。

 中から声は漏れ出てこなかったけれど、こってり叱られたようだ。涙目以外にも頬が若干痩せ細り、足取りもふらふらしている。


「お疲れさま」

「あうあ~、本当に疲れましたぁぁぁぁ」

「先生はなんて?」

「どういうつもりだって訊いてきたから素直に話したんです。そうしたら最初は『予習するのはいいことだ』って褒められました」

「よかったね」

「でも、すぐに動機が不純すぎるって怒られたよ……」


 まぁ、そうだろうな。

 純粋なのはとてもいいことだけど、少しぐらいは保身の為にウソをつくことを此花さんは覚えた方がいいような気がする。

 ウソだらけの世の中で純粋に生きようとするのは、熱帯魚が汚れた水で生活するようなものだ。そのうち病気になってしまうだろう。


 でも、此花さんには今のままの此花さんでいて欲しいと思う自分もいる。

 純粋なものはいつだって眩しく輝いて見えるものだ。


「でね、予習は続けなさい。挙手も構わない。ただし、授業中に何度も当てるからそのつもりで、だって」

「茨の道だ……」

「本当にそうですよぉぉぉ! ああ、明日からどうしよぉぉぉ!!」


 縋るような目で見つめられても、こうなっては僕もお手上げだった。

 もはや真摯に授業へ取り組んでもらうしかない。

 それに今回のはややよこしまというか、セコい考えに基づく作戦だったけれど、それでもちゃんと予習をしてきた此花さんだ。ならばちゃんと真面目に取り組めば、たちまち超優等生になれるかもしれない。


 適切に管理された水の中では、熱帯魚は華麗な泳ぎをみせてくれるように。


「まぁ、とりあえずしばらくは大人しく授業を受けるしか――」

「そもそもですねっ!」


 宥め諭すように口を開いた僕の言葉を、しかし、此花さんの力強い抗議が打ち消した。


「居眠りしちゃったのだって、昨日は夜遅くまで予習していたからなんですよ? 睡眠不足で眠くなるのは当たり前じゃないですかっ!」

「そうだね。まぁ本末転倒だけど」

「だからそこまで怒られるような事じゃないよねと思うんですっ!」

「いやぁ、でもあそこまで堂々と居眠りされたら先生だって――」

「よし! 決めましたたっ!」


 決めた? 決めたって何を?


「授業中に居眠りしないよう、夜はしっかり眠るようにしますっ!」

「意外とまとも」


 でもその為には無駄な時間を削って、睡眠に充てなくてはならない。

 家でどんな時間を過ごしているのかはしらないけれど、僕が知る限り此花さんにとって無駄な時間というのはひとつしかない。


 放課後のキャッチボールだ。


 突如として訪れた呆気ない幕切れに、寂しくないかと言えばウソになる。

 なんだかんだで此花さんとのキャッチボールは悪くない放課後の過ごし方だった。

 ただ、此花さんの授業態度が改善されるのであれば、そちらの方を優先すべきなのは明らかだ。

 なぁにキャッチボール以外にも友だちになる方法は他にもあるだろう、きっと。


「うん、分かった。じゃあボールは返しておくね」


 此花さんへぽんと軽くボールを投げて放る。これが僕たち最後のキャッチボールだ。


「え?」


 いつもよりずっと近い距離だったのに此花さんがボールをファンブルした。


「あ、そ、そうですねっ!」


 それでも床に落とすことなく、しっかりキャッチする。


「さすがは高尾君っ! 分かってますっ!」

「まぁさすがの僕にもそれぐらいは、ね」

「確かに今日はキャッチボールって気分じゃありません! もっとぱーっと気分転換したいですっ!」

「そうそう、気分転換……って、ちょっと待って。そんなことしてたらまた寝不足になっちゃうよ?」

「大丈夫ですよ。今日は早く寝ますから」

「でも明日の予習は?」

「勿論やりませんけど?」


 それがなにか? とばかりに言い放つ此花さん。

 あれ? どういうこと?


「だっていつ当てられるか分からないんだったら予習なんてしても意味ないですもんっ!」

「それはさすがにおかしくない?」

「そうですか? でも分かる問題にだけさっさと答えて後はのんびりするって手段が封じられた今、予習する意味なんて……ないですよね?」

「ないですよねと言われても……。え、じゃあさっきの睡眠時間を確保するって言うのは、もしかして……」

「うん、もちろん予習はもうやらないぞって意味ですっ!」


 ……ああ、そうだった。

 此花さんは純粋ではあるけれど、決してそれだけじゃないしたたかさのある人だった。

 そんな人を適切に水質が管理されていないと生きていけない熱帯魚に喩えたのが、そもそもの間違いだったのだろう。

 正しく喩えるなら彼女はメダカだ。

 結構水が汚れていても逞しく生きていく、そんな高い生命力の持ち主だった。


 まぁ、逞しすぎて判断力にちょっと問題があるのではないかと思わなくもないけれど。


「あの! ということでどうでしょう、今日はその……ふたりでどこかに遊びに行く、というのは?」


 僕がそんな失礼なことを考えていると、此花さんがちょっと緊張気味に提案してきた。

 

「どこかへって学校の外ってこと?」

「は、はい! ぱーっと気分転換するには、これはもう外に遊びに行くしかないっ!」


 力強く断言されてしまった。

 まぁ確かに学校でぱーっと行くわけにもいかないしなぁ。

 

「というわけで、さっそく行き……あ、リュック……私のリュックがありません!?」


 まだ行くって返事もしてないのに、此花さんは勝手に進めていく。

 なんというか、問答無用って感じだった。


「ああ、しまったっ! リュック、教室に置いてきちゃっいました! ご、ご、ごめんなさい! 急いで取ってくるから高尾君は校門で待っていてくださいっ!」


 挙句に慌てて駆け出していく此花さん。

 その後姿を見送った僕は、やがて彼女の姿が見えなくなってから「さて、これは暴走だろうか?」と頭を捻った。


 ちなみに予習のことを言っているわけではない。

 そっちはもう諦めた。メガネをかけて「フフーン!」と頭の良さそうな此花さんの姿を期待した人、ごめん。それ無理。


 そうじゃなくて、遊びに行くという選択について僕は議論している。

 僕の感覚で言うと、外に遊びへ行くのは時期尚早だ。

 なんせどこかで何かを食べるにしても、買い物をするにしても、楽しめる要素が未知数すぎる。

 そもそも僕たちはまだお互いのことをよく知らないのだ。

 うん、授業をいかに効率よくサボるかを伝授する前に、もっと好きなものとか、興味のあることとか、最近読んだ本の話とかをすればよかった。

 それでしまいには生徒指導室に呼び出されているんだから、本気で友だちになる気はあるのかと自分で自分を問い詰めたい。

 

「うーん」


 ただ、だからこそ学校の外へ出てお互いの認識を深めるのは、荒治療としてアリとも言えた。

 それでふたりの仲が深まるという可能性が無いとは言えないだろう。

 

 まぁ逆に全く盛り上がらなくて、ふたりしてうんざりする危険性も多分にあるんだけど。


「でも、此花さんはやる気だしなぁ」

 

 あれやこれやと考えて、結局僕は「様子を見る」ことにした。

 一見するといつものように流されているだけのようにも思える。だけど僕の中では明らかに違っていた。

 何も考えずに流れに身を任せたんじゃない。よく考えた上で今はまだ流れに乗るだけだ。状況によってはしっかりストップをかけようと自分に言い聞かせてもいる。


 それにこれまでと大きく違うことがひとつ。

 僕は「うんざり」することを恐れている。「うんざり」されることはもっと恐れている。

 誰かに誘われたものの会話が盛り上がらなくてお互いにうんざりすることなんて馴れているはずなのに、此花さんとそうなるのは出来るだけ回避したいと心から思っている。

 

 僕は小さく、でも力強く頷くと、まずは自転車置き場へ自分の自転車を取りに向かった。

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